待望の子どもなのに、森さんは、子どもと遊ぶのが苦手な自分に気がついて――。そして、遊ぶ代わりに、歌うことにします。

 

 

2度の初期流産と1度の死産を経て、2年前ついに赤ちゃんを抱くことが叶いました。待ちに待った子育てだったはずなのに、小さな娘を育てるうち、私は衝撃の事実に気がついてしまったのです。それは「子どもと遊ぶのが楽しくない」という心の声。いとおしい、かわいいと思う気持ちにうそはないのですが、赤ちゃんと交わす特有のコミュニケーションに慣れることができません。「はい、どうぞ」と物を渡し合う遊びから始まり、おままごとや絵本の読み聞かせ、お絵かき、公園での砂場遊び。最初はいいのです。こんなことができるようになったのか、と、子どもの成長に感動するのも束の間、もっと、もっと! と何度もくり返しせがまれる遊びに私はすぐに飽きてしまうのです。それが私の本音なのです。あんなに望んでいた子育てだったのに、どうして? このモヤモヤが毎日心を覆っていました。

遊びをすぐに中断する私に、娘は怒ります。そこで、そんなときはゴロンと寝転がって歌を歌うことにしました。特別、歌が好きなわけでもうまいわけでもないのですが、歌っていると娘が機嫌を直してくれて、私も楽しい気分になれたのです。散歩途中にぐずったときも、歌い始めるとまた歩き出してくれます。自転車に乗せるときもせがまれるままに何十分も歌い続け、寝かしつけも歌にしたら、私も気が楽でした。童謡や手遊び歌だけでなく、好きな歌や若い頃に流行した歌、C Mソングまで、家の中でも外でもずっと歌い続けました。歌うことでようやく、私も娘もご機嫌でいられるコミュニケーションが見つかったように感じたのです。次第に娘もまねして歌うようになりました。ふにゃふにゃな歌詞が乗っかった歌はとってもかわいらしく、上手! と拍手をすると、娘も私が歌った後は「おかあさん、じょうじー」と満面の笑顔で手をたたいてくれるようになりました。

ある日、友人の結婚パーティーに家族で出席する機会がありました。カフェで行なわれる気楽な集まりの中で、生ギターと歌のライブがあったのです。娘に「今からお歌だよ」と言うと、目を輝かせて待っています。ふと、隣の席を見ると、娘と同じ年頃の男の子が熱心にスマートフォンの画面を見ていました。少し前からぐずっていた男の子。仕方なしに親が見せたのでしょう。「一緒にお歌、聞こうよ」と母親が誘っても、気持ちは画面に向けられたままです。手のかかる2歳前後、スマホに子守りを助けてもらうことは決して悪いことだとは思いません。けれどもその光景を見て、目の前で人が歌っている「歌」に関心を向けて、一緒に楽しむという行為は、元々備わっている性質ではなくて、人との関わりの中で育まれる感情なのかもしれないという発見が、ふわーっと私の中に広がっていったのです。

子どもの要求に細かく寄り添うことが苦手な私は、いい母親ではないと感じていました。歌は、娘と過ごすための苦肉の策でしかありませんでしたが、歌ばっかりの日々は、子どもの情緒を育てることに少しはつながり、私も母親として成長しているのかもしれません。ライブが終わり、体じゅうで拍手をしている娘を見て、「これでよかったのかも」と、じんわりと幸せを感じた瞬間でした。

森 綾子(京都市・34歳・家具屋)

 


 

のびのび子育て

「PHPのびのび子育て」は未来を担う子どもたちの健全な成長と幸せを願って、発刊している月刊誌。 2017年月4月号の特集は<「早く!」がなくなる朝と夜の習慣>です。

 

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