『愉しく逝くための帯津流養生訓』の著者・帯津良一先生は、わが国における「ホリスティック医学」の第一人者。「ホリスティック医学」とは、西洋医学だけではなく、東洋医学や気功、呼吸法なども交えながら、「からだ」「こころ」「いのち」という「人間まるごと」を対象とする医学です。 

 

70歳なかばを迎えた今もなお、帯津三敬病院(川越市)と帯津三敬塾クリニック(東京都豊島区)で、多くの方の健康を見守っていらっしゃる帯津良一先生にお話を伺いました。 

 

――日本人の平均寿命は伸び続け、超高齢社会が実現しています。そんな中で、帯津先生がお考えになる「養生」とは、どのようなものでしょうか。

 

帯津先生 私はずっとがんの治療に携わっていますが、やはりがんというのは、病院が提供する治療だけをやっていても、なかなか埒があかないことが多いんです。そこで、日々の養生、自分でやれる部分ですね、それを大いにやっていかなきゃならんだろうということに、あるとき気がついたんです。

 

それで、もう20年近く前ですけど、勉強のためにと思って、中国の養生学会へ行ったんですよ。ところが、これがちっとも勉強にならないし、なんにもおもしろくない(笑)。

 

――なぜですか?

 

帯津先生 そこでは、不老不死ではないけれど、長寿のための養生法、つまり、長生きするにはどうすればいいのか、ばかり言ってるんです。

 

私が考える養生ってのは、長生きじゃなくて、身体をいたわりつつも、病があればそいつとなんとかうまくやり、そして、天寿を全うする――これが本当の養生だと思うんですよ。

 

長寿のために、ただ漫然と、守りに徹するような養生ってのは、特にこれからの時代には合わないんじゃないかと思うんです。それよりは一歩踏み出した「攻めの養生」が必要なんじゃないかと。

 

――守りではなく、攻めるんですね。

 

帯津先生 「攻めの養生」とは、ひとつに、日々、命のエネルギーを高め続けること。もうひとつは、天寿を全うするということ。しかも、「死をもって終わり」じゃなくてね、死後の世界までも視野に入れて、そこをも養生の過程のひとつに考えていく、というのが大事だろうと思います。

 

――今をよりよく生きるため、あるいは、生を謳歌するために、「死を想え」(メメント・モリ)ということもよく言われるのですが、実際にはとても難しいことのように思えます。

 

帯津先生 限りあるいのちですから、誰もが必ず死に向き合わなければいけない。そのことは誰もがわかっているはずなのに、実際に死に直面すると、狼狽してしまう人がほとんどです。

 

ところが、死に際で狼狽しちゃうとね、向こう側にうまく行けないと、私は考えているんです。だから、そのときに狼狽しないように、日頃から死を視野に入れて生きていくっていうのが、大事だと思うんですよね。

 

――先生はいかがですか?

 

帯津先生 今、私、75でしょ。正直言ってね、明日死ぬというようなことが起こったとしても、まあ、しょうがないかなという気持ちがありますよね(笑)。

 

王貞治さんが、「私はいつも、今日が最後だって思って生きているんです」って、実に王さんらしいことをおっしゃっていて、それにあやかって、私も「今日が最後だ」って、よく冗談を言うんですよ。「今日が最後だと思っているから、酒を飲まないなんて、ありえない!」なんてね(笑)。

 

歳をとれば相応に、誰でも死を考えるようになるんです。だから、若い人、たとえば30代の人に、「今日は最後だ」っていうのは酷だし、そんなことは思わなくてもいいんですよ。

 

それよりはやはり、死から目を背けず、折にふれて死を想う。しょっちゅうじゃなくてもいいんで、年に3回くらい、折にふれて想う。そういうことで、死というものに慣れ親しむ。それが大事だと思ってるんです。

 

――今はほとんどの人が病院で亡くなる時代。「死に方」も変わってきましたね。

 

帯津先生 こういう仕事ですから、多くの方の死に向き合います。たしかに、家で死ぬというのは難しくなってきましたね。特にがんのような病気なら、どうしても病院になりますよね。でも、それはそれで仕方がないと思うんです。

 

死後の世界への何か展望を持っていれば、どこで死のうと同じじゃないか――私はそう思うんですね。たとえば、五木寛之さんは、「お釈迦様は北インドの林の中で死んだから、私もそういうところで野垂れ死にするのがいい」とおっしゃいます。それで五木さんが、「帯津さんはどう?」って聞くもんですから、「野垂れ死にはいいんだけど、林の中はさみしいから、谷中(やなか)あたりの居酒屋の前がいいな」と(笑)。入る前ならウキウキしているし、出てきたときなら「旨かったなぁ」ということで、どっちでもいいですよね。

 

――先生は、毎年、テーマを決めて生きていらっしゃるとのこと。「野垂れ死に」というのは、ここ数年の有力候補なんですよね。

 

帯津先生 そう。4年前が「旅情」、3年前が「予感と直感」、2年前が「他力と自力」、それで去年が「本願と悲しみ」。実は去年、五木さんに承諾を得て、「野垂れ死に」にしようと思ったんですけど、結局、「本願と悲しみ」になっちゃった。阿弥陀様の本願と、われわれが抱いて生きている悲しみ。それが自然治癒力だと。去年はこれにしたんです。

 

それで今年、いよいよ「野垂れ死に」にしようと思ったら、なぜか「毎日が正念場」になった(笑)。だから、今年は毎日が正念場なんです。来年こそは「野垂れ死に」が出てくるかもしれないね。いやぁ、なかなか「野垂れ死に」に行き当たらないんだよね……。

 

――きっと、最後の最後にとっておかれるテーマなんでしょうね。さて最後に、帯津先生が目指しておられる医療とは、どのようなものですか?

 

帯津先生 私は医療と医学を分けて考えています。医学はサイエンスであり、客観性をもった治療法をたくさん備えているべきなんですね。医療というのは、患者さん本人やご家族、そして医療者、みんなが一緒にすごし、その中で向上していくという、癒しの「場」だと思うんです。

 

医療とは、治療法、戦術としての医学を駆使する一方、やはりそこには癒しの部分があって、「場」のエネルギーを高めながら、そこに身を置く人たち全員が、いのちのエネルギーを高め成長していく、そんな場のことだと思うのです。

 

聞き手:PHPエディターズ・グループ

 

【出典】 『愉しく逝くための帯津流養生訓』(PHP研究所)

 

 

【著者】

帯津良一.jpg帯津良一(おびつ・りょういち)

1936年生まれ。医学博士。帯津三敬病院名誉院長、帯津三敬塾クリニック主宰。61年、東京大学医学部卒業。東京大学医学部第三外科助手、都立駒込病院外科医長などを経て、82年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を開設。2000年には「楊名時太極拳21世紀養生塾」を設立するなど、西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れた統合医学という新機軸を基に、ホリスティック医学の確立を目指し、がん患者などの治療に当たっている。おもな著書に『達者でポックリ。』(東洋経済新報社)、『身近な人がガンになったとき何をなすべきか』(講談社)、『健康問答』『養生問答』『生死問答』『生きる勇気、死ぬ元気』(いずれも五木寛之氏との共著、平凡社)、『一病あっても、ぼちぼち元気』(PHPエディターズ・グループ)など多数。