6歳の娘を自転車の後ろに乗せて、保育園に向かう道の途中。交通安全のため、交差点にいつも立っていらっしゃるおじいさんがいました。
 

 

 

年齢はおそらく70代前半でしょうか。メガネをかけていて、まるっこい体型。緑色のベストと帽子をかぶっている姿は遠くからもよくわかります。


娘を生後8カ月のときから保育園に通わせていますが、その頃から毎朝、「おはよう!」とにっこりと声をかけてくださるおじいさん。人見知りが激しく、最初は、声をかけられてもうつむいてばかりの娘でしたが、毎日会ううちになじんだのか、すっと右手をさし出すように。娘のさしだした手のひらに、おじいさんがふわっと手を重ねてくれる、それが毎朝の習慣になりました。


いつのころからか娘はおじいさんのことを「タッチのおじいさん」と呼ぶようになりました。毎朝、交差点が見え始めると「タッチのおじいさん、今日もいるねぇ」としそうな声。信号をわたると、「みゆちゃん。今日は元気かな、どうかな?」と名前を呼びながら、手と手を合わせてくれる瞬間。「ああ、よかった。今日も元気だ!」と笑ってくれます。木枯らしの季節には、わざわざ手にはめていた手袋をとって、手を合わせてくれるのです。
 

新しい靴を買えば、娘は「ぴかぴかの靴、タッチのおじいさんに見せるんだ」と大はりきり。なのに自分からは言い出せず、私の服を引っ張って「ママ、はやく。おじいさんに、靴買ったよって言って」とせかすのです。保育園の運動会の翌日には、「みゆちゃん、きのう運動会だったでしょう? おじいさん、みゆちゃんを探してみたけど、人がいっぱいでわからなかったよ」なんて教えてくれたりして、娘は照れくさそうに、嬉しそうにしていました。

 

1人っ子のせいか、甘えん坊で、平日の朝はいつもグズグズ。保育園で別れ際になると、年中さんになっても毎朝大泣きでした。「ママがいいの。行かないで~」と泣き叫ぶ娘に、胸がぎゅうっとしめつけられる思い。保育士さんからは「お母さんが離れがたい思いでいるから泣いてしまうのよ。早く行ってください!」と強い口調で言われ、自分自身が情けなくなり、泣きそうになったこともあります。


気持ちがへこんだり、職場で嫌なことがあった翌日も、保育園から職場へ向かう中、同じ道を通ると、おじいさんは「おかあさーん。ご苦労様。いってらっしゃーい!」と声をかけてくれます。おじいさんに手を振るうち、私も「よっしゃ。がんばるぞ」と気持ちを切り替えられるのです。道路を歩く人たちみんなに「おはようございます!」とをするおじいさんのもとには、散歩中のおじいさんやおばあさんが立ち寄り、よく立ち話をしていました。

 

 ある朝、いつものように自転車で近づくと、おじいさんはいつもと違う表情でこちらに駆けてこられました。


「あのね、今日いっぱいで当番を辞めることになったんだ」
 

ええっ……。突然の話に驚きました。そうなんですか、と言葉にしながら、最近ときどき道に座り込んでいる姿が気になっていたことを思い出しました。もしかしたら体調を崩されたのかも。長い間お疲れ様でした、と元気に言おうとするものの、涙ぐんでしまいました。


娘の手をにぎりながら、「おじいさんね、毎朝、みゆちゃんの笑顔にいっぱいいっぱい、勇気をもらったんだよ。本当に、ありがとうね」と一言ひとこと、娘に向かってゆっくりと言ってくださいました。うつむきながらじっと聞いていた娘は「早く自転車走らせて!」といきなり怒り口調で私に叫びます。最後のハイタッチをして、自転車を走らせると、娘は押し黙ったまま「さびしいな。おじいさん、おしまいなんだ」とつぶやきました。保育園の前の道ばたに咲いていたコスモスを摘み、「いつもいつも、ありがとうね」となにやらコスモスに向かってつぶやく娘。顔をあげると「ママ、これタッチのおじいさんに」と差し出しました。


お別れの言葉が言えなかったけれど、ありがとうの思いを伝えたいんだなと思いました。職場に向かう途中、その1輪のコスモスをおじいさんに渡すと、おじいさんも涙ぐんで喜んでくれました。


実家が遠く、おじいちゃんやおばあちゃんとの交流がほとんどない私たちにとって、娘の成長をいっしょに喜んでくれるもう1人のおじいちゃんのような存在だった、タッチのおじいさん。「ありがとう」という思いのあたたかさを娘に教えてくれて、ありがとうございました。いつかばったり町中でお会いできたら、娘はきっと「こんにちは!」って元気に言えると思います。

 

 

西山よう子(千葉市・42歳・パート勤務)
「PHPのびのび子育て」11月号「あたたかな日々」

~ 「幸せ」を感じた瞬間~ より 

 


 

 nobinobi11_pub.jpg

「PHPのびのび子育て」は未来を担う子どもたちの健全な成長と幸せを願って、発刊している月刊誌です。

◎◎年間購読のご案内◎◎

「子どもをつれて買い物に行くのは大変…」「ついつい、買い忘れてしまう」

そんなあなたにおすすめしたいのが、年間購読。毎月ご自宅へお届けします。

送料無料。お手続きはこちらからどうぞ。