あるときのことです。何十年ぶりかで小学校のとき同級だった女性に会いました。

教育評論家として全国を講演で回っていたときに、わざわざ講演先まで会いに来てくれたのです。

久しぶりに会った彼女の自己紹介は、このような第一声でした。
 
「尾木くん、私を覚えていますか? 小学生のときに学校でいじめられていた○○です」
 
もちろん、彼女のことは覚えていました。でも小学生時代、自分の学校にいじめがあったことなんて、それまで私は忘れてしまっていたのです。
 
「ああ、そういえばそうだった……」と、走馬灯のように当時のことがよみがえりました。私には「小学校のときはとても平和で楽しかったなあ」という牧歌的な記憶しかなかったのですが、記憶をたぐりよせてみると、たしかにいじめはあったのです。
 
私の小学生時代ですから、もう50年以上も前のことです。いじめの質は現在のいじめほどには残忍で陰湿で冷酷ではなかったと思います。
 
でも、いじめられた側の彼女はずっと「みんなから仲間はずれにされた」、「ひどい言葉を投げつけられた」、「助けてもらえなかった」というつらい記憶を持ち続け、苦しんできたのですね。その想像を絶するような傷の深さを思うと、しばらく彼女にかける言葉が見つかりませんでした。
 
今でも「どうして助けてあげられなかったんだろう」と思うと自分が情けなくなります。重苦しい思いに襲われて胸が苦しくなります。
 
 
小学校時代の同窓生たちが集まったときのことです。久しぶりの同窓会に、場は大盛り上がり。あちこちで思い出話に花が咲いているところに、ひとりの同級生が私の傍にやって来て言いました。
 
「僕ね、尾木くんに謝らないといけないことがあるんだ。小学生のときに、君をいじめたことがあって……。それをずっと後悔していたんだよ」
 
学校の帰り道、坂道で私に「オンブしろ!」と命令して、自分をオンブさせて上らせたというのです。
 
「えーっ、そんなことあったっけ!?」
 
私にはまったく記憶がなく、いじめと呼ぶほどひどい行為だったとは思えませんでしたが、彼は50年以上もそのことを後悔し続けていたのです。
 
 
いじめは、いじめられた側はもちろんのこと、いじめた側にも心に傷を残します。そして、いじめがあることを知っていながら傍観してしまった者たちの心にも傷を与えます。
 
その傷は深くて、ちょっと触れるだけでも大きな痛みが走り、触れるたびに赤い血がにじんできます。いじめによって負った傷は時間が経ってもなかなか癒えていきません。癒えたとしても痛ましい傷跡が残ります。
 
そうした傷を成長過程の途上にいる子ども時代に負ってしまう。そこで人生を変えられてしまう――。なんと残酷なことでしょうか。
 
その残酷さゆえ、いじめは罪深いのです。だから絶対にいじめを許してはいけないのです。いじめに目をつぶってはいけないのです。
 
いじめによってかけがえのない子ども時代を奪われていく子どもたちを、ひとりでも減らしていくことに大人はもっと心を砕いていかなくてはいけません。
 
 
「いじめのようなものはなかった」
 
「いじめがあったことには気づかなかった」
 
こんなふうに言い逃れる教師や教育関係者もまた、ひとりでも減らしていかなくてはいけないのです。
 
 
 
 

 
 
尾木直樹
 
教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長
1947年生まれ。早稲田大学卒業後、海城高校、東京都公立中学教師として、22年間ユニークで創造的な教育実践を展開。現在、教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長、法政大学教授・教職課程センター長、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授。執筆、調査・研究活動、全国への講演活動のほかメディア出演も多数。
主な著書に『尾木ママの親だからできる「こころ」の子育て』(PHP文庫)『子ども格差―壊れる子どもと教育現場』(角川oneテーマ21)『子どもの危機をどう見るか』(岩波新書)『尾木ママの「叱らない」子育て論』(主婦と生活社)『生きづらいのは「ゆとり世代」だから、と思っている君たちへ』(ブックマン社)『尾木ママと考える いじめのない学校といじめっ子にしない子育て』(ほんの木)ほか多数。
 
 

 
 
 
【出典】『尾木ママの「脱いじめ」論』~子どもたちを守るために大人に伝えたいこと