いじめの自覚がない「いじめ」に、近年よく耳にする「いじり」があります。よくいじられる子は「いじられキャラ」とも呼ばれます。

いじりはじつに問題含みです。というのも、いじっているほうはあくまで「からかい」の延長といった感覚しかないからです。

たしかになかには、深く傷つくまでには至らない程度のいじりもあるでしょう。

しかし忘れてならないのは、いじりとは相手の個性や人間性の冒涜であるという点です。

「いじり」という軽いニュアンスでオブラートに包まれていることで、例えばよってたかってひとりの子の制服を脱がすといった「いじめ」でさえ、「いじっただけ」で片づけられてしまいます。そんなことが許されていいわけはありません。
 
立派ないじめであるにもかかわらず、「いじりだからいい」となってしまう背景には、やはりお笑い番組の影響も大きいように感じます。テレビ番組の中でお笑い芸人がいじられ、それによって出演者も茶の間で観ているほうも大笑いする。その影響は小さくないでしょう。
 
とくに現在のお笑いでは「いじり」は当たり前のものとなっています。「わあ、そこまでやる!?」と言いたくなるいじりも多々あります。ただ、それは芸人である彼らにとっては「笑いをとる仕事」にしか過ぎません。行き過ぎと感じるようなレベルであっても、仕事だからいじられているわけです。
 
大人であれば、そうした割り切った醒めた目で「いじり」を楽しむこともできるでしょう。しかし心の柔らかな子どもたちは違います。丸ごと真似するまでには至らなくとも、いじりの場面を繰り返し観ているうちに見慣れて、感覚が麻痺し、「ああ、こういうことをやってもいいんだ」と思うようになっていきやすいのです。
 
これは脱感作効果と呼ばれています。リラックスした状態で画面の中の暴力行為を観ていると、暴力に対する感覚が麻痺し抵抗感が弱まってしまうというものです。
 
お笑い番組はリラックスして楽しむものです。その状態で「いじり」という名の暴力行為を繰り返し楽しむことになれば、脱感作効果によって正義感やモラルも萎えていきます。「いじりだから」と笑いながら、無自覚でいじめる「いじめ」を増長させていくことにもつながっていくのです。
 
もちろん、お笑いは悪いことではありません。私もお笑いやお笑い番姐は大好きです。
 
けれども人の尊厳を傷つけたり、暴力を振るうようなお笑い文化が子どもたちに与える影響の大きさを考えると、「いじり」をおもしろいものとして手放しで楽しむ気にはなれません。子どもたちのいじめを減らすためにも、「そういうのはやっぱりおかしいよね」との認識が、つくる側にも観る側にも定着してくれることを願います。これは大人の責任でしょう。
 
 
 

 
 
尾木直樹
 
教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長
1947年生まれ。早稲田大学卒業後、海城高校、東京都公立中学教師として、22年間ユニークで創造的な教育実践を展開。現在、教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長、法政大学教授・教職課程センター長、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授。執筆、調査・研究活動、全国への講演活動のほかメディア出演も多数。
主な著書に『尾木ママの親だからできる「こころ」の子育て』(PHP文庫)『子ども格差―壊れる子どもと教育現場』(角川oneテーマ21)『子どもの危機をどう見るか』(岩波新書)『尾木ママの「叱らない」子育て論』(主婦と生活社)『生きづらいのは「ゆとり世代」だから、と思っている君たちへ』(ブックマン社)『尾木ママと考える いじめのない学校といじめっ子にしない子育て』(ほんの木)ほか多数。
 
 

 
 
 
【出典】『尾木ママの「脱いじめ」論』~子どもたちを守るために大人に伝えたいこと