思わず叱りたくなってしまう、子どもの反抗。しかし、反抗は悪いことではありません!『新装版 子どもを叱る前に読む本』の一部をご紹介します。

 

 

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私の子どものころ、それは大正時代から昭和の初めにかけてですが、「親の言うことには何でもハイと言って従え」とくり返しくり返し教えられました。もし、親に反抗する子どもがいれば、親不孝というレッテルを貼られました。親孝行が説かれ、親の恩が強調されていたからですが、親不孝は「大罪」 に等しかったと言えましょう。

 

また、親不孝は、不忠につながっていました。それは封建時代(タテ社会) であったからです。

 

私の父は、封建思想の持ち主であり、儒教の考え方を大事にしていましたから、私の母に対しても、われわれ子どもたちに対しても、いつも命令調にものを言い、ちょっとでも自分の意見に反するようなことをすると、怒鳴っていました。私の母はまったく叱ることのない人であったので、そうした対照的な親の間で育ったわけです。

 

そして、母といっしょのときには情緒が安定し、楽しく遊ぶことができましたが、父が家にいるときには、絶えず緊張している状態が続き、父を好きになれませんでしたし、あるときには 「死んでしまえ」などと思ったこともありました。幸いなことに、父は土曜日の夕方帰宅し、日曜いっぱい家にいて、月曜日になると勤めに出かけ、週日は帰ってきませんでしたから、その間はのびのびと遊ぶことができましたし、友だちも大勢遊びに来ました。友だちも私の家でのびのびとしたかったのでしょう。

 

私は、小学五、六年生のころから、父のような父親には絶対になるまいと決意しました。これが前に述べた「叱らない教育」に結びついています。しかも、直接には「反抗」できないにしても、父親のすること (例えば趣味など) はできるだけ手伝わないようにしましたし、父親の希望すること (例えば大学の選択や就職など)には、遠回しに従わないように工夫しました。こうした人生行路については、拙著 『子ども期と老年期』 (太郎次郎社) でかなりくわしく自伝的に述べています。

 

子どもの「反抗」に発達上の意義があることを知ったのは、戦後になって子どもの心理や教育について勉強する必要が生じ、アメリカの書物の中でも、ゲゼルという人の本を読んで以来のことです。

 

その結果、二歳から三歳にかけての「第一反抗期」と思春期の「第二反抗期」があり、そうした時期の「反抗」によって子どもの「自我」が発達することを理解できたのです。そして、私が、小学校高学年から中学生のころにかけて、自分の父親に対して否定的な気持ちや考え方をもったのは、私の発達が順調に行われていたことを意味するのだと知りました。

 

おかげで、三人の子どもたちが二歳から三歳にかけて「反抗現象」を表したときにも、これでいいのだと思っていました。子どもたちの 「反抗」があまり強くなかったのは、私が命令調に言うことが少なかったし、叱らない教育を始めていたからです。

 

☆自我の芽ばえを大切にしたい

 

「第一反抗期」の特徴は、少しでも命令調に言いますと、「イヤだ!」と言ったり、反対のことをしたり、自分でやろうとしているところに手を貸そうとすると、その手を払いのけたり逃げ出したりすることです。ですから、せっかちのお母さんは怒りたくもなってしまいます。そして、自分が幼いころに親から言われたように、「お母さんの言うことをききなさい」という言葉が、口をついて出てきてしまいます。

 

私の八番目の孫は、裸が好きで、私の家に来るとすぐに裸になったりします。私は小児科医をしていたので、裸には大賛成で、寒い季節でもこコニコして見ていることができました。ところがおばあちゃんのほうには、寒い思いをさせるとかぜを引かせるという迷信が残っていますので――現在はビールス(ウイルス)による感染症――「早く着なさいよ」と言い、何とかして着せようとしますと、孫は「ババー、あっちへ行け!」と叫んで反抗するのです。私は、自分のことは自分でする――という「やる気」を感じ取って、喜んでいるわけです。しかし、おばあちゃんもそのときに気がついて、「じゃあ、自分でやりなさいね」と手を引っ込めて、私と目を合わせます。自分の扱い方の誤りに気づいたからです。

 

おそらく、反抗期について知識をもっていないお母さん・お父さんだと、「何を言うか」とたたいてしまうでしょう。それによって「反抗」のできない状態に追い込まれた子どもは、だんだんとおとなしくてすなおにはなりますが、「やる気」を失ってしまいます。私は、わが国の多くの親や年寄りたちが望んでいるすなおな子は、「やる気」からすれば危険な子どもである――と警告を発しています。

 

その点で欧米の親たちは、自分の気持ちや考えをはっきりと言える子どもを望んでいる点で、対照的と言えましょう。自分の気持ちや考えをはっきり言う中に、「イヤだ」も含まれているのです。それは、大人についても言えることで、勤めが終わってから上司に「飲みに行こう」と誘われても、妻子が待っていて夕食をともにすることになっていれば、「私は行かない」とはっきり表明します。どうしても上司とともに食事をする必要が生じたならば、必ず妻に電話をするでしょう。妻に断りもなく夕食をすっぽかすような夫であれば、妻から離婚の申し出が生じてしまうでしょう。

 

国際的に言っても、会議の中などで「YES」か「NO」をはっきり表明することが、信用問題からいえば非常に大切です。相手に対して何もできないくせに「善処します」などの表現をすれば、相手は期待するでしょうし、それがうそであることがわかればまったく裏切られたという気持ちをもち、不信感を強めるでしょう。幼いころから、はっきりと自分の気持ちや意見を言えるようにしておくことが、国際人としての資質を高めるためには絶対に必要です。

 

 


 

 

【本書のご紹介】

 

 

新装版 子どもを叱る前に読む本


『新装版 子どもを叱る前に読む本』

素直でおとなしい子がいい子ではありません。いたずらは好奇心旺盛な証拠。叱らない子育てで、子どもの「生きる力」を育みましょう。

 


【著者紹介】
平井信義 (ひらい・のぶよし)
1919(大正8)年~2006(平成18)年。東京生まれ。東京大学文学部、東北大学医学部卒業。母子愛育会愛育研究所所員を経てお茶の水女子大学教授、1970(昭和45)年より大妻女子大学教授、1990(平成2)年より大妻女子大学名誉教授、児童学研究会会長を歴任。医学博士。
主な著書に『「心の基地」はおかあさん(新紀元社の子育てシリーズ)やる気と思いやりを育てる親子実例集』『ほんの少しのやさしさを(新紀元社の子育てシリーズ)「叱らないしつけ」のすすめ』(以上、新紀元社)『子どもを叱る前に読む本』『親がすべきこと・してはいけないこと』(以上、PHP文庫)など多数。