いつまでも負の感情にとらわれて過ごすのではなく、前向きに気持ちを整理するためにはどんなことが必要でしょうか。仏教の教えから、そのヒントを探ります。

野仏

 

苦しめているのは「我欲」と「執着心」


新年度を迎えたと思ったら、早くも初夏がすぎ、梅雨の時期を迎えました。「五月病」や「梅雨鬱」という言葉もありますが、空模様と同じで、どんより憂鬱な気分になってしまいがちな季節です。しかし、そういうときこそ、気持ちだけでも晴れ晴れしていたいものです。

古来蓄積された智慧である仏教には、現代人の私たちにも役立つ教えがたくさんあります。その中でも特に注目すべきものに「捨(しゃ)」という考え方があります。「捨」という漢字だけを見ると、ごみやいらなくなったものを捨てるというイメージもあるでしょう。しかし仏教では、自分たちが知らず知らずのうちに築いてきた「我欲」や「執着心」といったものを捨てることを意味します。これらに触れる前に、まずは「幸せ」について考えてみたいと思います。

 

幸せ=自分が手に入れたもの?


人間にとっての幸せとは何でしょうか。万人に共通する幸せの定義があるのでしょうか。そんなふうに考えたことがあります。人は生まれながらにして人格と個性があり、生い立ちや家庭環境も違います。ですから、杓子定規に幸せの定義はできません。

しかし、少々乱暴ではありますが、あえてこの幸せを定義するならば、「幸せ=自分が手に入れたもの÷自分が欲しいもの」と私は思っています。

これを幸せの公式とするのであれば、幸せを増やす方法は2つあります。まずは、自分が手に入れるものを増やすという方法です。例えば、自動車が欲しい人がお金を貯めて自動車を買ったら、その人は幸せに感じるでしょう。もしくは、一生懸命勉強して、欲しかった資格を取ることができた。この人もうれしいに違いありません。しかし人間というのは欲深い生き物で、自動車を買った人はもっとグレードの高い自動車を欲しいと思うでしょうし、さらに別の資格を取りたいと思う人も大勢いるでしょう。これが適度な場合は、モチベーションとなって物事はよい方向に進みます。

しかし、自分が得るもの以上に欲しいものがどんどん増えてしまうと、いくらよい自動車を買っても、資格を取得しても、際限なく欲が出てきて満足できなくなってしまいます。

 

欲しいものを減らせば、幸せは増える


幸せを感じるにはもう一つ方法があります。欲しいものを少なくするという方法です。仏教においては「足るを知る」という考え方です。欲望を抑えて期待値を低くし、与えられたものに感謝をして満足を得る。こういう幸せの感じ方もあります。

現状に満足してしまったら向上心がなくなるという危険性もありますが、過度な期待を控えることによって非常に穏やかな安心感を得ることができます。

我欲を捨て、執着心を離れるというのはこの考えからきているのです。

 

※本記事は、PHPスペシャル2017年7月号特集「気持ちをパッ! と切り替える」より、一部を抜粋編集したものです。今号では、イライラしたり、クヨクヨしたり、モヤモヤしたり。そんなときは誰にだってありますが、できればあまり引きずらずにいたいものですね。嫌な感情を素早く消し去るヒントを探りました。

PHPスペシャル7月号特集気持ちをパッと切り替える

監修者プロフィール

松山大耕(まつやま・だいこう)
1978年、京都府生まれ。妙心寺退蔵院副住職。東京大学大学院農学生命科学研究科修了。世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席するなど、世界を股にけ、宗教の垣根を越えて活動中。『京都、禅の庭めぐり』(PHP研究所)など、著書多数。