
「いい顔」をつくる禅の言葉
顔には生き方が現れるといわれます。では、どのように生きると「いい顔」になれるのでしょう?
Q.どうやったらいい顔になれるでしょうか?
A.「洗面」をすることです。
――え、それだけでいいのですか、当たり前すぎるような気がするのですが?
今では誰もが普通に行なっていますが、日本で洗面が一般的な習慣となったのは、鎌倉時代以降と考えられています。
当時中国から日本に禅を伝えた道元禅師は著書『正法眼蔵』の中で特に「洗面」という巻を記し、禅僧の大切な修行の一つとして顔を洗うことを紹介しました。それが次第に市民に広まったのでしょう。「当たり前」をおろそかにしない姿勢が結果としていい顔を導きます。
――洗面をすることと、いい顔になることにどんな関係があるのでしょうか?
いい顔を求めるのなら、まずはその「顔」について知ることです。
あなたは自分の顔のことをどれくらい知っていますか?
――いや、どのくらいと言われても......毎日鏡で見ていますが。
顔について知るためには自分の両手で触れてたしかめるのが一番です。道元禅師は中国から何を学んできたかと問われ「眼横鼻直」つまり目は横に、鼻は縦にあるという当たり前のことを学んできた、と答えています。
当たり前のことにこそ奥義はあるのですが、皆そこには注目しません。たとえば毎日鏡で見ているのは本当にあなたの顔ですか?
――鏡に映った顔は自分の顔ではないのですか?
何かに映った顔でなく、直接肉眼で自分の顔を見たことのある人は誰もいないはずです。小さい頃は鏡に映った自分の顔を色々な角度から眺めて観察するものです。しかし歳を重ねるうちに癖がつき、だんだん一定の視点からしか見なくなります。
反転鏡で左右を逆にするだけで、顔の印象は全く変わります。顔は思う以上に立体的で起伏に富んでいて、呼吸や感情にも大きな影響を与えます。ごく限られた視覚だけで顔というものを知り、本来の美しさを発揮できていないなら、とてもモッタイナイことです。
――顔を洗う時に、何か気をつけることはありますか?
洗面をルーティンワークに、つまり朝起きて、歯を磨き、顔を洗う、といった所作を一連の動作として習慣にしてしまうのです。そのためには、目を開けてからどちらの手で歯を磨き、どのようにタオルをかけ、どこから顔を洗い始めるか、といった順番を決めてみましょう。
たとえば道元禅師は額から両眉毛、両目、鼻、頬、の順を勧め、耳の裏や、目の裏、唇の裏、舌の上など細部まで洗う手順を決めていました。細かく決めておくことで身体がそれを覚え、ダルい朝でも続けることができるのです。
継続することで次第にいい顔というものが、肌感覚でわかるようになってきますよ。
Q.人付き合いでストレスがたまることが多いです。人間関係がうまくいくヒントはありますか?
A.「和顔愛語」という禅語があります。
思いやりのある挨拶をしてください。
――挨拶するだけでいいのですか?
和顔(やさしい笑顔)や愛語(思いやりのある言葉)は、誰でもお金を一切かけずに与えることができる「布施」の一つです。「ありがとう」「よい週末を」などの言葉と笑顔をセットで口にするだけで、一日を気持ちよくすごすことができます。
簡単なようでなかなか難しいです。
たとえば嫌いな人にも笑顔で挨拶しなくてはいけないのでしょうか。何かコツはありますか?
いいところに気がつきましたね。実践するポイントは自分ではなく「相手の和顔愛語」を想像することです。
まずは相手のいいところを探してみましょう。探すだけなので最初は見つからなくても構いませんし、もし発見しても相手にそれを伝える必要はありません。そのままただ、挨拶をする。内容は「こんにちは」「おつかれさまです」など定番のもので十分です。
始めは難しいかもしれませんが、人に会う度に相手のいいところを探すことが習慣になってくると、そのうちに相手だけでなく、自然に和顔愛語になっているあなた自身にも気がつくはずです。
――なんだかそうしているだけで金運もよくなる気がしてきました。どのような顔が富にむすびつくのでしょうか?
なぜ金運がよくなりたいのですか?
―― お金があれば色々なことができます。たとえば質のいいものを使ったり、美味しいものを食べたり。
質のいいものを使って、美味しいものを食べて、どうしたいのですか?
――え? 質のいいものを使って、美味しいものを食べて、いい暮らしができたらそれだけで幸せではないですか?
私はドイツでも日本でも様々な経済状況の人に出会いますが、質のいいものを使い、美味しいものを食べている人が必ずしも幸せではない。これはハッキリと言えることです。贅沢な暮らしをしているのに不幸そうな顔をしている人は世界中にたくさんあふれていますよ。
Q.どうすれば幸せな顔ができるのでしょうか?
A.「本来の面目」という言葉があります。
国宝に指定されている『普勧坐禅儀』という書物にでてくる言葉です。思考による「作為」をなくしていくと身体と心は自然にリラックスしていき「本来の面目」が現れるというのです。これは坐禅の解説書ですが、坐禅に限らず誰もが「本来の面目」を必ず体験しているはずです。
赤ちゃんの顔を見てください。気分が悪い時は思い切り苦い顔、悲しい時はボロボロ涙をこぼし、嬉しい時は目を輝かせて笑う。そんな打算のない姿は本当に幸せに輝いて見えます。
人はただ、生きているだけで、美しいのです。
――たしかに日常が忙しくて、最近あまりそのような顔をする機会がありません。
無理に幸せな顔をつくる必要はありません。疲れた時は思い切り疲れた顔をしていいのです。イライラしている時は全力でイライラしてもいい。
ただし、いくら生きているだけで美しいといっても、部屋には埃がたまり、服は汚れ、鏡は曇り、疲れは顔に現れ、心の濁りも出てきます。困ったことですが、これも自然なことです。
そこで人間は「努力」をすることができます。部屋を清め、服を洗い、鏡を磨き、顔を洗い、心の濁りを取る「努力」。それをさりげなく続けている人はどんな顔をしていても輝いて見えます。
そういったさりげない努力の中に、「本来の面目」はあるのです。
星覚(雲水)
慶應義塾大学卒業後、雲水(禅の修行僧)となる。曹洞宗大本山永平寺にて3年間の修行を経た後、現在はベルリンの道場を中心に様々な活動を通じて禅を世界に伝えている。著書に『坐ればわかる』(文藝春秋)などがある。
本記事は、PHPくらしラク~る2018年3月号特集「金運は「顔」に出る!」より、一部を抜粋編集したものです。