夢だった海外で働くことができ、日本に帰って無事に出産し、子育てにも何の不安もなかった後藤さん。ところが、再び働き始めた途端に、すべてがうまくいかなくなってしまいました。

 

女性

 

小学校、中学校の卒業文集に書いた夢は、「海外で働くこと」。高校、大学に進学してもその夢は変わらず、海外出張へ行くことができる会社へ就職しました。とにかく夢中で働き、太平洋の島国・パラオに出張中、スキューバダイビングのインストラクターをしている日本人男性に出会い、1年半の遠距離恋愛の末、私がパラオに移住しました。

 

そこでも、私はやりがいのある仕事に出合え、念願だった海外の人たちとともに朝から夜まで働くことができ、夢が叶ったと充実した日々を過ごしていました。そんな中、彼とも入籍し、妊娠。海外で暮らし始めて、丸5年が経っていました。

 

海外で子どもを育てるのも良いかな、と思っていましたが、夫には安定した仕事を日本で、という気持ちがあり、私も初めての子育てへの不安があったため、日本に帰ることに。妊婦が飛行機の搭乗を許されるギリギリの週まで働き、日本へ帰った翌月に男の子を出産しました。とても安産だった上、よく寝る子だったこともあり、子育てが大変という気持ちは薄く、出産7カ月で2人目を妊娠。長男が1歳2カ月のときに次男を出産しました。

 

私の知る海外の友人たちは、産後2週間で職場復帰する人もいるほどタフで、私も長年、いつか自分が子どもを産んだら、そんなふうに颯爽と社会に戻り、またバリバリ働きたい、絶対そうしよう、と思っていました。

 

ところが、です。いざ就職活動を始めると、なかなか思い通りにいきません。子どもがいるからじゃないか、こんな片田舎に私に合う仕事なんてないんじゃないか、などと思い、私の熱意は徐々に失われ、むしろ苛立ちが湧き出るようになりました。でも、ようやく仕事が決まり、保育園生活を開始。なのに、子どもたちは毎日泣き叫び、朝の準備どころではありませんでした。しかもさっそく子どもが熱を出し、早退。事前のシミュレーションとはまったく違う事態が起き続け、家の中はグチャグチャ、洗濯も料理もできない状態に。そんな状態で新入社員研修を受けていたある日の終業後、私はばったりと倒れ、人生初の救急車で病院へ運ばれる事態になったのです。

 

病院では疲れからの過呼吸と言われ、家に戻ったものの、次の日からまったく布団から起き上がれなくなりました。考えがまとまらず、感情も安定せず、訳もなく悲しくて涙が止まりません。あんなに育てやすいと思っていた子どもたちまでも、急に言うことを聞いてくれなくなり、このまま育てられるか自信がなくなりました。子どもたちは健康に恵まれ、自分の両親も近くにおり、夫は新しい環境の中、頑張って働いてくれています。こんなに恵まれているのに、何もかもに自信がなく、体調が悪い、というような生活が1年続きました。

 

そんなある日、公園で子どもたちが遊んでいる様子をボンヤリと眺めていたときのことです。子どもたちが自分で滑り台に上り、滑り下りてくるのを見て、え! こんなことができるようになったのか、と思いました。その後、長男が私の作ったごはんをお箸で食べているのを見て、お箸を使っている! と今さらながらに驚いたのです。

 

私は1年間、時間が止まったような感覚で過ごしていましたが、子どもたちはちゃんと時間とともに成長していたのです。私は、子どもが何も自分でできないと嘆いてばかりいました。でも、ふと小さな成長に気づき、もっと子どもを見ていたい、小さな成長を私の心に刻みたい、と思うようになりました。

 

長男は3歳、次男は2歳になります。「誰よりも、この2人を愛したい」という欲が、自分に生きる力を与えてくれることに、私はようやく気づいたのでした。

 

奈良県・34歳・主婦

 

 


 

「PHPのびのび子育て」 1月号より

 

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本記事は、「PHPのびのび子育て」2019年1月号特集【子どもの「弱点」を「長所」に変える お母さんの言葉】より、一部を抜粋編集したものです。