散らかっていても可!? 子が「親の家の片付け」をしてはいけない理由とは。

 

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子どもは実家に手をつけないこと

 

知り合いのTさんが、ある日こんなことを言ってきました。

「先生、聞いてください。久しぶりに田舎の実家に帰って、冷蔵庫を開けたら冷凍庫までパンパンで、よく見たら賞味期限が切れたものがぎっしり詰め込まれていて、ちょっとヘンな臭いがしたと思ったら、腐っているものまであって......。母はもともと掃除が大好きで、家中ピカピカにするような人だったんですよ。そんな母が、あんな冷蔵庫でも平気だなんて......。台所やお風呂場もどことなく汚れていて、私はもうショックでショックで。帰りの飛行機で涙がでちゃいました」

「ほうー。それで、Tさん、あなたどうしたの?」

「もちろん、掃除しました。こっそりと、母が寝た後にバレないように。賞味期限が切れたものを片っ端から捨てて、冷蔵庫の中を磨いて。すごくキレイになりました。なのに翌朝、母にものすごく怒られたんです。なんで勝手に捨てるの? って、それはもうすごい剣幕で......」

そう言いながら、ちょっと涙ぐむ始末。

 

そこで私は言いました。

「あたりまえでしょう! まず、人間は誰でも自分のものを勝手に捨てられるというのは腹がたつことです。それを子どもにされるというのは、親にとっては最も屈辱的なことですよ。自分ができなくなったことをいちいち指摘されているようでね。お母さまだって、ものを捨てることができなくなってきた自分にうすうす気づいているでしょう。歳をとったという現実をまず、受け入れてあげないと。あなたは見るに見かねてやったことかもしれない。でも、親にとっては、勝手に自分の領域にズカズカ踏み込まれたうえに、見られたくない部分を見られて、とても情けない気持ちになってしまったんだと思いますよ」

 

こういった状況は、なにもTさんに限った話ではありません。彼女は長女で、自分が実家をなんとかしなきゃという責任感も強い。

「実家は手をつけないほうがいい。これは親のためと思っても、やってはいけないことです。だいたい、冷蔵庫がパンパンで、何がいけないんですか?  

お母さまが『凍らせておけば大丈夫』と主張するなら、それでいいじゃないですか。それに、台所やお風呂場がちょっと汚れていると言ったって、足の踏み場がないほどなの? 多少のほこりや汚れで死にはしません。両親が普通に生活ができているなら、放っておくこと。見て見ぬふりをするのも優しさです」

そうアドバイスしたら、 「でも、きれい好きな母、というイメージがあって......つい......」と。

しつけに厳しいお母さまだったらしいから、尊敬すべき母のイメージが崩れるのも怖かったのでしょう。

 

断捨離するにはパワーがいる

 

今、世の中は空前の断捨離ブームです。若い人も老人も、みんな「ものを捨ててすっきり暮らす」ことに躍起になっている気がします。しかも、終活のひとつとして、死ぬまでに断捨離してできるだけものを減らせ、と言う。

でも、今まで捨てずに生きてきた人間が、いきなりバンバン捨てられますか? 物は買う、もらうより、売る、捨てる、断るほうがはるかに難しいのです。

 

私自身も、「断捨離」という言葉に憧れていたひとりです。身の回りを見渡せばモノの山、本の山、しがらみの山、つい引き受けてしまった仕事の山......。いっそのこと全部捨て、しがらみを断ってしまえばどんなにラクかと断捨離に挑戦してみましたが、毎回挫折。片づけは先送りになり、懲りずに本を買い、頂きものを断れず、仕事を引き受け、今に至っています。

 

あるとき、気づきました。

「人には得手、不得手がある。自分は、断捨離が不得手なのだ」と。そう思ったらずいぶんスッキリしました。不得手なことに貴重な時間とエネルギーを費やすほど馬鹿げたことはありません。やりたいことを優先し、それでも余力があったらやる、程度に考えると気が楽です。

 

断捨離、つまり「捨てる」や「やめる」は、決断することです。

決断するには、精神的エネルギーが必要です。歳をとって、体力や気力が落ちているならなおさら、負荷がかかります。

人が1日に決断できる容量は決まっています。アップル社のスティーブ・ジョブズさんが毎日黒いタートルネックの服を着ていたのも、朝起きて服を選んで決める、ということにエネルギーを費やしたくなかったからだといいます。

 

歳をとると、決断できる容量はどんどん少なくなってきます。体力も気力も衰えるなか、やりたくないことにエネルギーを使う必要はありません。ましてやそれが不得手なことならなおさらです。

 

歳をとってからの時間とエネルギーはとても貴重です。人生の残された貴重な時間をなぜ、精神的に大変なエネルギーを使う「捨てる」や「やめる」という行為に費やさねばならないのか、私にははなはだ疑問です。

人には、どんな物にも思い出があり、愛着があります。他人には価値がなくても本人には貴重なもの。それを捨てるとなると一層大変です。

一方、自分には関係のないもの、他人のものなら苦もなく捨てられるのも事実です。だったら自分が死んだ後、他人に迷いなく捨ててもらうのが、精神的ストレスもなく、時間もムダにせず、ベストではないでしょうか。

 


 

【本書のご紹介】

 

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『医者が教える非まじめ老後のすすめ』

 

歳をとったら、したくないことはやらない! 多くの高齢者を看てきた医師が語る、豊かな晩年のためにもっと”非まじめ”に生きるヒント。

 

【著者紹介】

大塚宣夫(おおつか・のぶお)

医師。1942年、岐阜県生まれ。1966年、慶應義塾大学医学部卒業後、1967年に同大学医学部精神神経科学教室入室。1968年より井之頭病院に精神科医として勤務。フランス政府給費留学生としての2年間のフランス留学を経て、1980年に青梅慶友病院を開設。2005年よみうりランド慶友病院を開設し、現慶成会会長。医療や介護の常識に縛られず、高齢者の「生きる楽しみ」を優先した病院作りを実践する。著書に『人生の最期は自分で決める』(ダイアモンド社)、阿川佐和子さんとの共著『看る力』(文藝春秋)がある。