東大生に支持される教育者 外山滋比古さんが教える「天才と秀才の決定的な違い」
「頭がいい」とはどういう意味でしょうか? 学ぶ楽しさを子どもたちどう伝えるべきでしょうか?
東大生の多くに愛読された本『思考の整理学』の著者として知られる外山滋比古さん。文学博士、評論家、エッセイストと活躍しながら、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を歴任し教育者としても精力的に活動しました。
本記事では、学ぶことの「楽しさ」を伝える外山滋比古さんの言葉を多く収録した書籍『やわらかく、考える。』より、学ぶ意義や頭の使い方について触れた言葉を中心に紹介します。
※本記事は外山滋比古著『やわらかく、考える。』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。
頭は元々、ガラクタだらけ
勉強をしなくても、ただでさえ、頭の中には雑多なものが無差別につめこまれている。
本から入ってくる知識などほんのわずかで、まわりの人の話、見た景色、あるいはテレビやラジオ、携帯電話やインターネットからの情報など、あまり役に立たないものが、これでもかというくらいに、ためこまれている。
単なる記憶は役に立たない
記憶と忘却は仲が悪い。記憶をありがたがる人たちは当然のように忘却を悪いものときめてしまう。
記憶はもともとそんなに頭がよくないから、忘却に助けられない記憶はあまり役に立たないことを、ずっと見落としてきた。
記憶の巨人、コンピューターが出現して、ようやく、機械的記憶はそれほど大したものではないことがうすうすわかってきた。
コンピューターは記憶では千人力を発揮するが、ものごとを判断したり、選択的忘却をすること、考えることはできないのである。
記憶は秀才を育てるが、忘却は天才を生む
西脇(順三郎)先生が、
宝石箱をひっくり返したような朝
といった詩をつくりだされたのは、よけいなことは忘れて頭の中がきれいさっぱり片づいていて、思いもかけないものが、自由に飛び交い、新しく結合して詩の世界を創出できたからだ。
記憶のつまった頭ではとても望めない。そんなところから、記憶は秀才を育てるが、忘却は天才を生む可能性を秘めているというドグマをつくり、いくらかそれを信奉するようになった。
よく忘れ、よく考える
情報化時代などといって過剰な知識を頭に詰め込めば、頭は困惑します。睡眠では十分に不要な情報を始末できなくて、持ち越すことになり、それが、いずれは知的不活発、思考停止の状態になりかねません。
現代のわれわれは大なり小なりこの危険にさらされていることになるように思われます。
よく忘れ、よく考えるのが、これからの頭です。
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