独り占めしたい息子VS好物がかぶるパパ イクラを取り合った結末は【うちのアサトくん第17話】

黒史郎
2025.12.18 09:57 2025.12.29 20:00

ごはんを食べる男の子

「赤色は推し色ならぬおいしい色」「好物は独り占めしたい!」と思うアサトくん。しかし、アサトくんのおいしい物とパパの好物はかぶってしまうことも多く──。そんなパパが考えた策とは?

小説家・黒史郎さんが、自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いたショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。

※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年10月号から一部抜粋・編集したものです。
※画像はイメージです。

「赤い」は「おいしい」!

アサトは赤い食べ物が好きだ。赤はおいしい色らしい。彼を魅了する「赤きもの」をいくつか紹介していこう。

まずはトマト。とくにミニトマトが好きで、半分にカットしたものより、丸ごといきたい派。食卓にミニトマトが出ると、何よりも先にそれにいく。ヒョイパク、とワイルドに素手でいく。

本当においしそうに食べるので、僕や妻はなかなか手を出せず、せめて1個ぐらいはと手を伸ばすと、アサトが「え、食べるの?」という目で見てくる。

僕らを見ながら、ヒョイパク、ヒョイパク。妻と僕は1つも口にできぬまま空っぽの皿を見つめる。

お次は、「いくら」だ。

野菜以外の生ものを食べないアサトが魚卵を好きになったのは意外だったが、見た目はトマトと同じで赤くて丸い。しかも透明で宝石みたいだ。その美しさに一目惚れ。

はじめは、こわごわと舐めて様子を見ていたが、プチッと噛んでジワリと口に広がる味に「ン?」となる。そして、もっと寄こせと僕の「いくら軍艦」を指でさした。

好きなものが増えるのはいいことだ。最後に食べようと残していたいくら軍艦のいくらのみ、アサトに献上。残った軍艦(海苔とシャリ)を食べた。

このときのことを、僕は少し後悔している。

たまに贅沢をして寿司の出前を頼むことがあるのだが、そのたびに僕のいくら軍艦を欲するようになったのだ。

いや、待ってくれ、息子。いくらはパパも好物なのだよ。なんなら、いくらのために寿司を頼むといっても過言ではない。え? なら、いくらばかり頼めばいいって? 息子よ、いくらはね、なかなかいいお値段なんだ。大人の食べ物なんだ。ホラ、この中に1個しかないだろう? 君にはから揚げを頼んでおいたから、それを思うさま頬張るといい。

――さあ、いくらさん、おひさしぶり。3カ月ぶりくらいですか? ずっとお会いしたかったです。では、いただきま……うっ……見ている。アサトが見ている。僕の赤い宝石をじぃっと見つめ、僕が口を開けると、それに合わせてアサトもアーン……。こ、こんな状況で食えるか! 

こうして、いくら軍艦はすべて、アサトの口へ献上せねばならぬという決まりができてしまった。

さて、アサトを魅了した赤い食べ物、最後にご紹介するのは、なんとキムチだ。

鮮やかな赤色に食指を動かされたのか、ある日、キムチのそばでアーンと口を開け、例の無言の催促をしてきたのだ。

――この食いしん坊め。これもパパの好物だぞ。ふっ、いいさ、食いたまえ。そして大人の食べ物に手を出したことを後悔しながら、辛さにむせび泣くがいい。いくら軍艦の無念、ここで晴らさせてもらうぞ。

アーンと開かれた口に僕は嬉々(きき)としてひと切れ入れる。これぞ悪魔の所業。アサトは何度か咀嚼し、眉間にしわを刻む。

さあ、慌ててペッと吐き出すか、舌を洗ってくれと泣き出すか。

ごくんと飲み込んだアサトはキムチを指さし、「キャベツ」と言った。

なんてことだ……。白菜をキャベツだと思っているようだが、どうやらお気に召してしまったみたいだ。

こうして僕はまた1つ、自分の好物をアサト様へ献上しなくてはならなくなった。

黒史郎

横浜市在住。重度の自閉症(A2)と診断された息子さん、奥様とともに暮らす。著書に、『幽霊詐欺師ミチヲ』(KADOKAWA)など多数。