男の子が可愛いのは今だけ? タクシー運転手の“無邪気な言葉”に夫婦が凍った理由【うちのアサトくん第20話】

黒史郎
2025.12.18 10:07 2026.01.07 20:00

赤ちゃん

アサトくんが生まれ、病院から家族3人で家に帰るときに乗ったタクシーの運転手さんから突然告げられた「中高生くらいになったら……」。先輩パパの発言に困惑する親が数年後の今も頑張らずにはいられないこととは?

小説家・黒史郎さんが、自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いたショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。
※本稿は『PHPのびのび子育て』2021年1月号から一部抜粋・編集したものです。
※画像はイメージです。

モッジャモジャのクッサクサ

忘れもしない、あの日。

これから輝かしい新生活が始まろうという、記念すべき日に――。

僕らはあろうことか、呪いをかけられた。

今もその呪縛に、夫婦で苦しめられている。

これは、呪いに抗う僕らの決意表明だ。

あの日、産婦人科の前でタクシーに乗った。

出産を終えて退院した妻は、すっかり母親の顔になっていた。僕はというと、情けないことに緊張で震えていた。生まれて間もないアサトを抱いていたからだ。

ふよふよとやわらかく、肌はしわしわ、顔は猿のように赤く、温かい。僕の腕の中で泣いて、あくびして、指や唇をぴくぴく動かし、キラキラに生きて呼吸している。僕が父親としてできることは、この命を傷ひとつつけず、無事にわが家まで連れ帰ることだった。

「いいですねぇ。男の子ですか?」

60歳前後の男性運転手が、ミラー越しにわが子を見て微笑んだ。

よかった。優しそうな人だ。きっと安全運転で、僕らを家まで送り届けてくれる。

「かわいいですねぇ。お父さんとお母さんに似て、美男子になりますなあ」

うんうんと僕はうなずいた。タクシー代、おつり、いらないかな。

「いやね、うちも息子がいるんですけど、本当にあっという間ですよ、大きくなるの」

《父親》の大先輩が言うのだから、ほんとうにあっという間なんだろう。

よし! 写真も動画もたくさん撮って、しっかり成長記録を残していくぞ。

「びっくりするくらい早いんですよ」

「へぇ、そんなにですか」

「ええ。今はかわいくて、天使でしょう?」

「かわいいですねぇ、天使ですねぇ」

うんうんと、うなずく僕。

「でも、その子も中高生くらいになったら」

うんうん。

「モッジャモジャになって」

うんう……え?

「そりゃもう、くっさくなりますよ」

「……くっさく、なり……ますか……」

「はいー、もう、クッサクサですよ」

妻を見ると、表情がこわばっている。

僕も言葉を失っていた。

ハハ、ハ、なに言ってんのかな、この人。ありえないよ。毛むくじゃらになって? くさくなる? うちのアサトが? ほんと、なに言ってんだろ、まいっちゃうな。 

よく見て? こんなに、ふわっふわのキラッキラなんだよ? そんな子がモッジャモジャのクッサクサになんて……いや、そりゃ、いずれはなりますよ。男の子だからね。腕にも足にもたくさん毛は生えますでしょう。それなりに、くさくもなりますよ。僕だってそうなり果てましたよ。成長ってそういうもんですからね。いつまでも天使のままではないってわかってるんですよ。でも、今ですか? 今それを僕らに言いますか?
 
あれから数年。

最近、アサトの足がくさい気がする。

鼻の下の産毛も、少し濃くなった気もする。

――なるものか。まだまだモッジャモジャのクッサクサになんて、させてなるものか。

アサトはまだまだ、ふわっふわのキラッキラがいい。すっべすべのもっちもちがいい。

あの日のタクシー運転手の呪いの言葉になど、屈してなるものか! 

妻と僕は今日も、アサトの足を必死に洗う。

黒史郎

横浜市在住。重度の自閉症(A2)と診断された息子さん、奥様とともに暮らす。著書に、『幽霊詐欺師ミチヲ』(KADOKAWA)など多数。