子どものための発達トレーニングに取り組む養育者のかたへ
発達障害と診断されたお子さん、少し気がかりなお子さんといっしょにトレーニングに取り組む養育者のかたへ向けた書籍『子どものための発達トレーニング』(岡田尊司著)。ここでは、同書より、日本を代表する精神科医である岡田尊司先生からのメッセージを抜粋して紹介します。
※本記事は、岡田尊司著『子どものための発達トレーニング』(PHP新書)より一部を抜粋編集し、WEB際と「PHPオンライン衆知」にのたものです。
発達のトレーニングは、楽器やスポーツの練習と同じです
自転車にはじめて乗れるようになったときのことを覚えていますか。それまでは、何の支えもなく2つの車輪だけで立っているということが、あり得ないことのように思えて、ああ倒れてしまうと思った瞬間に、倒れるということを何度も繰り返したに違いありません。
発達の課題を抱えている状態は、自転車に乗れないときの状態に似ていると言っていいかもしれません。例えば、人とやりとりするのが苦手な人が、難なくやりとりできる人を見ると、自転車に乗れない人が、自転車を軽々と乗りこなしている人を見たときのように、うらやましさや挫折感を抱いてしまいます。みんなができることを自分ができないと思うと、情けなく思えることもあるでしょうし、自分には到底あんなことはできないと思ってしまうかもしれません。
しかし、何かの拍子に感覚を体得して乗れるようになると、何だこんなことかと、克服できてしまいます。どうしてできるようになるかというと、脳に新しい回路ができるからです。その回路を何度も使ううちに、自動的に働くようになります。そうなると、自転車をこいでいることなど忘れていても、自転車を乗りこなせるようになってしまうわけです。
発達の課題を理解するために、もう一つ例を挙げましょう。課題を克服する前と、克服した後の違いは、ピアノを片手でしか弾けない子どもが、両手で弾けるようになったのに似ています。片手でしかピアノを弾いたことがない人にとって、両手で別々の音やリズムを弾くというのは、マジックのように思えます。実際、やろうとしても、最初は指がつられてしまい、同じように動こうとしてしまいます。
しかし、根気よく練習すると、初めはゆっくりですが、別々の動きができるようになり、そのうち難なく左右が別々に動かせるようになっていきます。小さいうちほど、こうした習得は容易ですが、大人になって始めても、ある程度のレベルまでなら到達可能です。
発達に課題のある状態というのは、片手でしか弾けない状態と言えるでしょうが、それは決して固定的なものではなく、トレーニング次第で両手でも弾けるようになるわけです。これも、脳に回路が育ってくるためです。回路がないときには絶対不可能と思えるようなことも、回路ができてしまうと自動的にできるようになるのです。
つまり、発達の課題の克服のためには、うまく必要な回路を作ってやればいいのです。ただ、ピアノのお稽古と一緒で、方法やもっていき方が悪いと、嫌がって、なかなか続かないということにもなりかねません。
取り組めば上達するのですが、苦手なことはやりたくないという心理的な拒否感があるため、どうしても避けてしまうのです。さらに苦手意識が強まってしまうと、やってもどうせ失敗して恥ずかしい思いをするだけだとか、自分にはできっこないと考えてしまい、練習の機会を避けてしまうため、もっと苦手になってしまいます。発達のトレーニングでは、こうした心の抵抗を取り除くことも大切になるわけです。
どのようにすれば、もっと楽しみながら、お子さんの課題に有効なトレーニングを行うことができるのか。また、一般のご家庭や学校といった身近な場で、そうしたトレーニングを行うことはできないか。そんなニーズに応えるべく、専門の心理士が実際に行って、目覚ましい効果を上げているトレーニングの方法について、理論的背景からノウハウまで伝授し、お子さんの課題に応じて役立てていただくことを目指したのが本書です。
本論で紹介する多数の事例にもあるように、子どもたちは、一旦トレーニングの楽しさに目覚めると、自分から進んで取り組むようになります。絶対できないと思っていたことも、やっているうちに、だんだんできるようになると実感でき、その喜びを味わうようになります。さらに上達を周囲から褒められたりして、自分の成長が自覚できるようになると、自信を取り戻し、いっそうよい循環を生みます。
脳の可塑性が非常に高い、小さいころから始めるほど有効ですが、脳がほぼ完成する18歳頃までなら、まだまだ大きな可塑性があり、発達の余地は大きいと言えます。その年齢を過ぎ、成人した後でも、脳はある程度の可塑性をもっています。脳出血や脳梗塞で脳の細胞自体が死んでしまったケースでも、リハビリによって機能を回復させることができるのは、この可塑性ゆえです。
小さな子どものころから始めた人に比べれば、楽器やスポーツの上達もゆっくりですが、練習すれば、ピアノやギターも弾けるようになる人はたくさんいますし、スポーツでも同じことが言えます。発達の課題に多い社会性や実行機能の問題についても同様です。トレーニングにより鍛えられていくのです。
さらにありがたいことに、トレーニングの方法も日進月歩で進歩してきています。その子の課題に適した方法を取り入れることで、比較的短期間に効果を生むことが可能になっているのです。
方法の大切さは、例えば、自転車に乗れるようになるという課題を考えてみると明らかでしょう。かつては、自転車を後ろで支えてもらって、あとは闇雲にこぐという方法でしか体得できなかったのですが、近年では、ペダルのない自転車にまたがって、両足で地面を蹴って進みながらバランスをとる訓練が導入され、簡単に自転車に乗れるようになりました。実際、この方法だと、一日の練習で自転車に乗れるようになる子も大勢います。
この方法の優れた点は、倒れるに違いないという恐怖心を取り除いてくれるということと、自転車に乗るうえで本質的な技術であるバランスをとるという技術を学ぶことが、両方ともうまくクリアできることです。倒れるという怖い思いをせずに、バランスをとることに集中して、その技術を身につけられるのです。
発達のトレーニングにも同じことが言えます。また失敗する、恥をかく、ミスをする、頭が真っ白になるというネガティブな思考と情動の連鎖で、がんじがらめになり、よけいにうまくいかなくなっているところから、恐れずに、楽しみながらトレーニングすることを可能にすることで、機能的な改善と自信の回復の両方がもたらされるのです。
現実の遊びや学校での活動では、こうはいきません。失敗すると何か言われてしまうかもしれませんし、笑われてしまうかもしれません。そちらの不安や恐怖の方ばかりに気を取られ、肝心なことを練習するどころか、それを避けることにばかり気を遣ってしまいがちです。
トレーニングのいい点は、そうした失敗の不安を取り除けることです。ところが、せっかくトレーニングに取り組んでいるのに、できる、できないで評価したり、できない点を注意したりしてしまう場合もあります。それでは、本当の意味で、トレーニングの利点を生かせていないのです。やがては、トレーニングがつらくなって、続かなくなってしまいます。
その意味で、トレーニングがうまくいくかどうかは、親や先生のかかわり方にもかかっているのです。本人を失敗の恐怖でがんじがらめにしてしまっているのが、親や先生の強すぎる期待や熱心すぎる指導という場合もあります。発達の課題を抱えた子が、それを乗り越えて高い適応力を手に入れられるためには、トレーニング自体と同じかそれ以上に、周囲の支え方が大事なのです。
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