【子育て体験談】家族が教えてくれた当たり前の幸せ

読者からの体験談

2人目の子を出産してすぐに自分が難病だと診断されたママ。育児もじゅうぶんにできず不安と申し訳ない気持ちでいっぱいに…。

※本記事は『PHPのびのび子育て』(2012年9月号)に掲載され、WEBサイト「PHPファミリー」にて一部抜粋・編集の上で公開されたものです

負けそうな私を立ち直らせてくれたできごと

私には、5歳と3歳の男の子がいます。人生を変えるような出来事が起きたのは、下の子を出産して間もなくの頃でした。自分の体調がいつもと違う。おかしいと、異変に気がつきました。

次男を産んでまだ1カ月だし、幼い長男と赤ちゃんを一緒に育てなければいけないという生活の変化もある。そのせいで、調子が戻らないだけかな……なんて楽観的に考えていたのもつかの間、体調は見る間に悪化していきました。2人の子どものお世話をできる状態ではなくなってしまったのです。

家族の協力を得て、忙しい時間の合間に病院に行きました。そこで、下された診断結果は、国指定の難病である、潰瘍性大腸炎でした。

聞いたこともない病名に、いったい私はどうなってしまうのだろうと、不安は増すばかりです。しかも難病だなんて。私は治るのか、という絶望感が頭をもたげます。何より、まだ小さい2人の子どもたちは、私が難病に侵されてしまったら、どうなってしまうのか。あまりにも突然のことに動揺し、心が押しつぶされそうになってしまいました。

騒ぐ気持ちを抑えながら医師にたずねたところ、難病といえども治療はできるし、体調が戻れば子育てをすることだって大丈夫。同じ病気にかかっていても仕事をしている人はいる、との話でした。

良かった……。こんな病にかかっていても、仕事だってしている人もいるくらいだから、私も頑張って治そう……。不安で、目の前が真っ暗になっていた中で、その医師の言葉から希望が見えてきました。

しかし先の診察で、私はすぐに入院することになりました。2人の子どもはどうすればいいのだろう、と困っていたところ、すぐに私の入院を聞きつけて、主人と義父母たち、私の実家の皆が交代で、仕事などを休んで、子どもたちの面倒を見てくれました。

忙しい仕事や、自分の時間を犠牲にしてまで協力してくれた家族に、感謝してもしきれません。

お見舞いにも、ほぼ毎日子どもを連れてきてくれて、日々成長するわが子の姿に励まされていました。治療のために首から管を入れている私の姿を見て、まだ幼い長男が泣いたり怖がったりしないかなと心配もしましたが、そこは好奇心旺盛な男の子。そんな私の姿よりも、見たことのない、珍しい病室の機械が気になって仕方ないようです。「これなあに」なんて、無邪気に辺りを駆け回りながら、大人が困るくらい質問攻めにしています。

本当はママがいなくて寂しいと思うけれど、周りの大人から、“いい子にしているのよ”と教えられているのでしょう。私の前ではぐずったり泣いたりせず、明るい笑顔を見せてくれます。当時、まだまだ甘えん坊な年頃の長男のことを思うと、早く退院したくて仕方ありませんでした。

また、生まれて間もない次男は不憫でしかたありませんでした。薬で治療していたので、母乳も与えられません。目の前にいる赤ちゃんに何もできない。そんなもどかしさに、胸が苦しくなります。皆が帰った後、夜、病室でひとりになると、何でこんな病気になってしまったんだろうと、つらさに耐え切れず、人知れず泣くこともありました。

でも、本当は寂しくてつらい思いをしているだろう子どもたちが私の前で明るくしてくれている。ここで、ママがくじけている場合じゃない。早く元気になって子どもを抱きしめたい。皆に支えられ、私には素晴らしい家族がいると思うと頑張れました。おかげで、約2カ月後には退院することができました。

あの時、私を支えてくれた家族の協力がなかったら、安心して子どもを預けられず、いつも心配していたでしょう。目の前にある当たり前の幸せに気づくこともできなかったように思います。

あれから3年たった今は、通院をしながらですが、体調は落ち着いていて、やんちゃな息子たちに手を焼く日々。

薬の時間になると、子どもたちが近くに来て、
「ママにお薬をあげるのは僕の役!」
と、小さな手にのせた薬の粒を、私にひとつひとつ、2人で交代に飲ませてくれます。これじゃあ、お薬が嫌なんて、ママは言えないね! 2人の小さな先生がしっかり見てくれるから。

完治するのが難しい病気でも、子どもの成長をしっかり見届けたいから、どんなにつらい治療でも精一杯やれることはやっていきます。泣いたり笑ったり、日常のささやかな、かけがえのない幸せをかみしめながら、ありのままの自分で頑張っていこうと思います。

(直井美穂、千葉県)