東大卒の作家が考える「大切なことは学業から学べない、は本当?」
芥川賞作家・又吉直樹氏もその作品を称賛し、ショートショートの旗手として注目される作家の田丸雅智氏。実は東京大学工学部、同大学院を経て作家となったキャリアを持つ。なぜ東大、それも理系卒で作家を志したのか? その理由、そして学ぶことの意義、作家としてのスタンスについて聞いた。
田丸雅智(ショートショート作家)1987年、愛媛県松山市生まれ。東京大学工学部卒、同大学院工学系研究科修了。2011年、作家デビュー。2012年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。
書き方講座の内容は、2020年度から小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。2021年度からは中学1年生の国語教科書(教育出版)に小説作品が掲載。中学2年生の国語教科書(教育出版)の単元「連作ショートショートを書く」も監修。
「東京大学出身」「理系」だから小説を書くのは変わっている?
「理系で東大卒、それも院卒なのになぜ小説家?」
これまでに何度となくされてきた質問です。
いま、理系作家は珍しくないですし、東大卒の作家もたくさんいるにもかかわらず、やはり聞かれることが多いです。
現在作家であるぼくは、大学では環境・エネルギー問題を学ぶ学科に在籍し、大学院ではその延長線上で材料力学を専攻していました。
修士論文は、簡単に言うと軽い材料でクルマをつくって燃費を改善しましょう、という研究が主なテーマだったのですが、これだけ聞くと小説とは何の関係もなさそうに思えるかもしれません。
誤解を恐れず言うならば、ぼくは昔からどの教科も大好きで、国語も数学も、理科も社会も、体育も美術も、越えられない壁で区切られたものではなく、本質的にはひとつのものだと感じていました。
全部の科目が得意だった、という自慢話をしたいわけではありません。
そもそも理系と文系、もっと言えばそれらとスポーツや芸術などとの間にも、根本的には境なんて存在しない。少なくとも、ぼくはそう感じていました。
もちろん便宜上の区別は場合によっては必要だと思います。ですが、無意味な境界線は、その物事を「やらない理由」として使われてしまいがちではないでしょうか。
「理系だから」「東大卒だから」ということも同じです。これらもあくまで世間が引いた境界線であって、少なくとも自分自身が小説を書かない理由には決してなりませんでした。
ですので、学生時代の研究も、いまやっている創作も、一見すると関係なさそうに思えますが、個人的にはあまり違うことをやっているという感覚はありません。
ちなみに、初めて小説を書いたのは高校二年生のとき。
もともと本はほとんど読まず、小説を書きたいと思ったことも一度もありませんでした。ただ、ショートショートというジャンルの小説だけは好きで、読んでいました。そんなぼくが暇を持て余して何となく書いたものがショートショートだったのは、単なる偶然ではなかっただろうと思います。そのときは、後に自分が作家になろうとは夢にも思っていませんでしたが。
ぼくの二人の祖父は、それぞれ造船業と大工を営んでいました。だからぼくは、機械や鉄屑、木材に囲まれて幼少時代を過ごしてきました。
それゆえに小さいころから工作が好きで、気がつけば、簡単なおもちゃなら自分でつくって遊ぶようになっていました。もちろん既製品で遊ぶことも最高に楽しかったのですが、この世にないものを自分で生みだす快感は何にも代えがたいものがあったのです。
そんな背景もあり、選択肢としての「理系」の道を選んだことは、ぼくにとってはじつに自然なことでした。
自分も将来、祖父のようなものづくりに携わる人間になるのだろうなぁ。漠然と、そう考えていました。
ところが。
大学に入って、ぼくは科学の凄さに圧倒されることになるのです。
境界線のない空想世界に夢中になった工学部学生・田丸雅智
科学の世界にはまだまだ謎が残っている。
よく、そんなことが言われます。ところが、いざ理系の道に足を踏み入れて中を覗くと、まったく想像していたことと違う世界が待っていました。
たしかに謎は、まだまだたくさん残っていて、解決されるべき問題も山のようにありました。
が、その謎や問題のレベルの高さ、あまりの異次元さに呆然としたのです。日常のあまたのことはすでに科学の法則で記述でき、科学者の挑む真の「謎」や「問題」というのは、自分がちょっと学んで解明や解決に貢献できるようなところにはなく、遥か先、複雑に入り組んだ彼方のほうにあるのだということに初めて気がついたのです。
その途方もなさに、驚くと同時に感嘆しました。人間は、あまねく科学の法則の下に生かされているのだと、心の底から感じもしました。
科学の世界は凄すぎる。
ただ、そう思う一方で、この道を行くのは自分には無理だと、あきらめにも似た感情が湧き起こったことをいまでも覚えています。
こんな思いも湧いてきました。何をしたって、どうあがこうとも、人は宇宙を支配する法則から逃れることなどできやしないのだ、と。
そんなことを思ううちに、ぼくは科学と向き合うことに次第に息苦しさを感じるようになっていきました。大学時代、物語をつくること、空想をすることに夢中になった背景には、そういったことも深く関係していたのだと思います。
空想の世界には、絶対的な法則などは存在しません。
すべてを決めるのは、どこまで行っても自分です。やってダメなこともなければ、これをやれば正解という答えもない。それこそ、既存の境界線も存在しません。
ぼくは物語にとりつかれ、空想することに夢中になっていきました。
そしてショートショートの世界に改めて惹かれるようになっていき、どんどんのめりこんでいきました。