思春期のいじめ問題にどう立ち向かうか
いじめに勝てる強さを身につけさせよう
幼少期の子どものけんかに親は干渉しすぎてはいけませんが、思春期以降のいじめも同じです。
最近のいじめはあまりにもひどいものが多いので、どこまで黙って見守っていていいかは判断に苦しむところです。しかし親が出て行くことでより複雑化することもあるので、安易に干渉しないほうがいい場合が多いのです。
いじめには理由なきものが多く、犠牲者が順番にまわっているようなところがありますから、時間が過ぎれば自然に収束していくこともよくあります。また、いじめを乗り越えることで強くなる子どもが大勢いるのも、私が見てきた確かな事実です。
親にできることは、わが子がいじめに遭ったときの準備として、強く跳ね返せる知恵と力をつけてあげることです。その知恵と力には、二つあります。一つが「笑いのセンス」。もう一つは、「強力なオーラ」です。
笑いのセンスが身についていれば、つらいことも笑いに変えられ、どんな状況にも明るさを見出せます。笑いが絶えない家で育った人には、ちょっとやそっとのことでは折れない強さがあるのです。
笑いのセンスというのは学校では教わりませんが、人生においては必修科目と言っていいくらい大事なものだと私は考えています。
私も小学5年のときにいじめに遭いました。頭が大きいことから、クラスのみんなに「でこっぱち」と呼ばれてからかわれていたのです。好きな女の子までが一緒に「でこっぱち」の大合唱をしている姿を見て、どこまでも落ち込んでいた私でした。
つらい日々が一か月も続いた頃、私は児童会の副会長に立候補しました。選挙演説の台に立つ直前、私は突然あるギャグを思いつき、実行しました。「私があの、頭のでっかい高濱です!」と、横向きで自己紹介し、礼をした瞬間に頭をゴチンとマイクにぶつけたのです。
その反響音はボワワワンと会場に広がり、全校児童は大爆笑。それきりいじめはピタリと収まりました。
今ふり返ると、それまでの私には、どこかモジモジ、オズオズしているようなところがありました。人間もほかの生物と同様、生命力の乏しい、ひ弱な感じがする人をいじめたくなるもの。私もきっとそう見えていたから、クラスの子たちはついからかいたくなったのだと思います。
しかし全校児童を笑わせたことで自信を得た私は、もはやひ弱さを感じさせなくなり、クラスのみんなはいじめ甲斐をなくしたのでしょう。選挙演説以降の私は、むしろみんなを笑わせる人気者になりました。
二つめの「強力なオーラ」も、ぜひ身につけさせてあげてください。自分に自信があり、毅然とした雰囲気をまとった子に、いじめは寄ってきません。
以前の教え子に、ピアノコンテストでいつも一位をとっている女の子がいました。ちょっとすました雰囲気が、生意気に見えたのでしょう、男の子たちによくからかわれていました。
しかし彼女は、まるで撥水加工のコーティングをしているかのように、まったく相手にしていませんでした。いじめのビームは、彼女の自信のオーラにあっけなく跳ね返されていたのです。
親はわが子に何か一つでいいから、自信を持てるものを身につけさせておきましょう。それは、いじめを跳ね返す力にもなるのです。
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