イルカやクジラも“海水は飲まない”って本当? 海の動物の知られざる水分補給法

ニュー・サイエンティスト,西川由紀子,千葉和義

科学者たちは、どうしてクジラのうんちを集めているの?

「今日はうんちを取りたいわね」。当時、ニューイングランド水族館の自然保護活動家だったロザリンド・ローランドは、朝の紅茶を入れながら言った。「1つだけでもね」。

「ひょっとしたら、2つ取れるかも」と仲間のスコット・クラウスが言った。「長いかたちをしたものを追いかけて。それが、うんちだから」。

クジラのうんちさがしに半生以上をささげてきたイヌのファーゴは、さらにやる気まんまんだ。2006年、クジラのうんち探知犬に選ばれ、訓練を受けてきたファーゴは、研究チームでもっとも重要なメンバーだ。

クジラはおそらく地球上で一番大きい動物だが、泳ぐのが速く、深くもぐるため、研究がむずかしいことで知られている。

しかし幸い、うんちを調べると、いろんなことがわかる。クジラのうんちを調べれば、クジラがどのあたりにいるのか、そこには何頭くらいいるのか、どうやって繁殖しているのかがみえてくる。

さらには、ストレスレベル、健康度、生命力など、たくさんの手がかりがえられる。うんちがあると、いろんなことができるんだ。

クジラのうんちは、ばらばらに分解されるまでは、海面の少し下をただよっている。しかし、これらを発見するのは、クジラそのものを見つけるよりも、ずっとむずかしい。

そこで、ファーゴのような探知犬がかつやくするのだ。長年の訓練と、鼻に2億以上のにおいを感知する嗅覚受容体(人間は500万しかない)があるイヌは、うんち集めの名手なのだ。

数頭のクジラの風上で、ファーゴが鼻を下げた。「かぎつけたんだわ!」とローランドが言った。しかし、船首のそばを行ったり来たりしていたファーゴが、動きを止めた。においを見失ったのだ。「ただの大きなオナラだったのかもね」とローランド。

うんちのサンプルを手に入れられれば、1990年代後半に北大西洋のセミクジラの繁殖が止まった理由もつきとめられるかも、とローランドは考えた。霊長類やほかの動物でしてきたように、うんちサンプルで生殖ホルモンが検査できると考えたのだ。

当初は、人間がクジラのうんちさがしをしていたが、イヌを使うようになると、取れるサンプル数が4倍になった。平均すると、イヌは1時間にうんちを1つ集められる。ローランドはこれを、「単位努力量あたりのうんち収穫量」とよぶ。

クジラのうんちだから巨大なんだろう、って思ってない?

それが、びっくりするほど小さいんだ。小ぶりのレンガくらいの大きさで、赤茶色をしている。

研究チームがようやく1つさがしあてると、助手のシンディ・ブローニングがあみですくい取った。船上に引き上げると、たえがたいほどのにおいがした。「気をつけないと、服にこぼしたら、その服をすててしまいたくなるわね」とローランドが言う。

しかし、このうんちサンプルがとっても役に立つとわかったので、においをがまんするだけのことはあった。ローランドと仲間たちは、何世紀もつづけられてきたクジラ漁によってクジラの個体数が回復していないさまざまな原因を明らかにした。

クジラが汚染された甲殻類を食べていることもその1つだが、さらに気がかりな発見があった。地上の哺乳動物に病気をもたらす寄生虫がわざわいしているというのだ。

海でくらすクジラに、地上の寄生虫がどうやって入りこむのか? 人間のせいかもしれない。クジラは一生のほとんどを大都市の近くですごしているので、海にすてられる人間や家畜の排せつ物から、寄生虫をもらっているおそれがある。

しかし、悪い知らせばかりではなかった。ホルモン研究により、セミクジラのメスの状態がよいとわかったので、今後、クジラの赤ちゃんがふえることが期待できるのだ。

その後、うんちの研究はシャチでも行われるようになっている。シャチのうんちは、人間の鼻水のような緑がかった茶色で、セミクジラのうんちよりも水に浮かびにくいので、ボートから発見するのはさらにむずかしいんだけどね。

クジラの鼻水も集めているって本当?

でも、どうやって? リモコンで動かすおもちゃのヘリコプターで、どんなヘンテコなことができるだろう? シャーレ(実験に使うガラス皿)を取りつけて、クジラの鼻水のあいだをとばすなんて、かなりいいんじゃない!?

でもこれは、獣医で、かつてはロンドン動物学協会の保全生物学者だったカリナ・アセベド=ホワイトハウスが、多大な時間をついやしてきた活動なんだよ。

2008年、アセベド=ホワイトハウスは、クジラの肺に入りこむウイルス、菌類、細菌の研究を、はじめて可能にした。

海の哺乳動物でも、アザラシやアシカなどの血液はとてもかんたんに取れるんだけど、クジラはいかんせん巨体なので、獣医の命に危険がある。

そこでアセベド= ホワイトハウスは、クジラの鼻水をねらうことにした。

はじめは、自分がボートに乗りこみ、海にからだをかたむけて、クジラの鼻水をほんの少しシャーレに取った。この方法は「うまくいきましたが、あまり安全ではありませんでした」と語っている。

そこで、もっといい方法を思いついた。長いさおにシャーレを取りつけ、ボートが近づいても平気なコククジラやマッコウクジラなどの潮吹きの上にさしだした。

でも用心深いシロナガスクジラには、小さいヘリコプターを使わなければならなかった。1メートル大のヘリコプターにシャーレを取りつけ、リモコンでクジラの鼻水のあいだをとばした。

「クジラたちは、明らかにヘリコプターに気づいていました。向きを変えて、ヘリコプターを見ようとしましたから」とアセベド=ホワイトハウス。「でも、とくに気にする様子はなかった。人間にさわられませんしね」。

今では、アセベド=ホワイトハウスやほかの研究者たちは、特注のドローンを使って、クジラの鼻水を集めている。

『どうしてオナラはくさいのかな? 人に聞けない!? ヘンテコ疑問に科学でこたえる! 』(評論社)
人間が月に降り立ったことを証明する方法は?」「どうして魚はオナラをするの?」――。不思議にあふれたこの世界で、ふと抱いた疑問。「友だちや先生には聞きづらいな」とそのままにしてませんか? そんな「ヘンテコ疑問」こそ科学のトビラを開くカギなのです。

【西川由紀子】
大阪府生まれ。神戸女学院大学文学部英文学科卒業、立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科修了。訳書に『理系アタマがぐんぐん育つ 科学の実験大図鑑』『理系アタマがぐんぐん育つ 科学のトビラを開く! 実験・観察大図鑑(』いずれも新星出版社)がある。

【千葉和義】
お茶の水女子大学理学部生物学科教授、サイエンス&エデュケーションセンターセンター長。生物学科の学生や大学院生たちと、ヒトデ卵の減数分裂と受精機構(発生生物学)を研究すると同時に、理科教育と科学コミュニケーションの振興活動に従事している。