生後3ヶ月の息子の「目が見えない」と分かって人生が激変した
だれもが持つマイノリティ性=「苦手」や「できないこと」や「障害」や「コンプレックス」は、克服しなければならないものではなく、生かせるもの――各界が注目する「福祉の世界で活躍するコピーライター」澤田智洋氏は語ります。
ひとりが抱える弱さを起点に、みんなが生きやすい社会をつくる。これが、澤田氏の提唱する「マイノリティデザイン」という方法論。「弱さ」を起点にさまざまな社会課題を解決する仕掛け人が、仕事の全貌を明かしてくれた。
※本稿は、澤田智洋著「マイノリティデザイン」(ライツ社)から一部抜粋・編集したものです。
1981年生まれ。言葉とスポーツと福祉が専門。2004年、広告代理店入社。アミューズメントメディア総合学院、映画「ダークナイト・ライジング」、高知県などのコピーを手掛ける。 2015年にだれもが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立。これまで80以上の新しいスポーツを開発し、10万人以上が体験。また、一般社団法人障害攻略課理事として、ひとりを起点に服を開発する「041 FASHION」、ボディシェアリングロボット「NIN_NIN」など、福祉領域におけるビジネスを推進。
花形だったCMプランナーの裏側
CMプランナーは、広告業界の花形。いまやネット広告費がテレビ広告費を上回る時代となりましたが、2000年代はまだテレビCMが圧倒的に力を持つ時代でした。
気づいたら僕も、同時に何本ものCMを担当するようになっていました。だれもが知っている企業のCMに、だれもが知っているタレントを起用する。とてもメジャー感あふれる仕事です。
自分が考えたCMが全国で放映されていく。「このあいだ澤田がつくったCM観たよ!」「なんか賞獲ったんでしょ? すごいね!」……友人たちから、次々とメールが届きました。はじめのうちはなんだか誇らしい気持ちでいっぱいになっていましたが、いつしか僕はその日常に慣れていきました。
テレビCMがどれだけの人の目に触れたのか。それは「GRP」という視聴率の合算によって計算されます。「ゴールデンタイムのこの番組と、プライムタイムのこの番組で放映されたので、計2000GRPでした」という数字でクライアントには報告されます。
でも、僕ら広告会社のクリエイターは、その2000GRPという数字の向こう側にいる、一人ひとりに会うことはありません。自分がつくったCMに対する反応を直接は見ることができません。ましてや、今ほどSNSが発達していない時代です。
大きなプロジェクトに関われば関わるほど、チームの人数も増えていきます。そのたびに、「自分ってなんのためにここにいるんだろう?」という疑問も浮かんできました。
広告なんて、はじけて消える「シャボン玉」
僕は「広告作業」に疲れを覚えていたのでしょう。CMの場合、オンエアされるまでの制作期間は数か月。でも、放映されるのは1〜2週間だったりします。キャンペーン期間が終われば、もう流れません。
どんなに苦労して考えて、徹夜続きでなんとか完成させたとしても、オンエアが終わればすべてリセットされて、また次のCMの制作が始まります。
たとえるなら、まるでシャボン玉を無限につくり続けているようなもの。パチン!」と弾けては消える、はかないものです。もちろん、この考えは極論です。
CMが短い期間で、一気に商品の認知度を上げたり売上を伸ばしたり、ブランドイメージを上げることができるのは間違いありません。今2021年時点でもその効果は高い。これは揺るぎない事実です。
でも、ひとりの働き手としては、膨大な時間を広告制作に割いていることに対して、なにか手触り感がなかったんです。同じようなはかなさを、あるいはむなしさを抱えながら働いている人が、今、日本のいろんな職場にいたりするのかな、なんて。
父親がキレイなCMをつくったところで、視覚障害のある息子は見られない
時は流れて、僕ら夫婦に1人の息子が生まれました。よくミルクを飲んで、よく泣いて、よく笑う。寝不足の日々が始まりましたが、かわいくてしかたがありませんでした。でも、3か月ほど経った頃、息子の目が見えないことがわかりました。
終わった、と思った。
見えない子って、どうやって育てたらいいんだろう。恋愛ってするのかな。幸せなんだろうか。その日から、仕事が手につかなくなりました。
僕の主な仕事は、映像やグラフィックを駆使して、広告をつくることです。それってつまり、僕がいくら美しいCMをつくったとしても、視覚障害のある息子には見ることができないということ。
「パパどんなしごとしてるの?」と聞かれたときに、説明できない仕事をやるのはどうなのか。僕がやっている仕事なんて、まったく意味がないんじゃないか。
なにをすればいいんだろう? どう働けばいいんだろう? 32歳にして僕は、今まで拠り所にしていたやりがいをすべて失い、「からっぽ」になってしまったんです。