母の恋人は新卒の若者だった…「平凡な幸せ」を願う一人息子の葛藤

イ・ヒヨン(著)

韓国の作家であるイ・ヒヨンさん。親とは? 子とは? 家族とは?を物語を通じて読者に問いかけ、大きな共感を集めている注目のクリエイターです。

2013年にキム・スンオク文学賞新人賞大賞を受賞して作家デビューすると、2018年に第12回チャンビ青少年文学賞、ブリットGロマンススリラー公募展大賞を続けて受賞。翻訳書が日本でもベストセラーとなるなど、その作品は国境を超えて支持されています。

本記事では、若くして自身を出産した母の幸せを願う少年ノウルを描いた小説『普通のノウル』から、シングルマザーの母の若い恋人についてノウルが思いを巡らせる一節を紹介する。

※本稿は、イ・ヒヨン著『普通のノウル』(評論社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

友人・ドンウと語り合った「愛」とは何か?

普通のノウル(イ・ヒヨン著)

「お前は”平凡”ってなんだと思う?」

なんの気なしに持ち出した話に、ドンウがブハッとコーラをふき出した。やけに急いで食べてるなあ、と思っていたら案の定これだ。むせるドンウに紙ナプキンを渡した。ひとしきりせき込んでいるところを見ると、ばっちりのどに詰まらせたようだ。

「大丈夫か? なんでそんなにがつがつ食べるんだよ、いつものお前らしくない」

ドンウが頭と手を左右に振った。あわてて食べた報いはしっかり受けたから、その話はもうやめようってことだ。平凡さについての話だったのに、やつはまったくありきたりでない方法でコーラを飲んだ。

激しいせきを繰り返して両目が充血していた。コーラを飲むのに失敗して冥途の使者と手をつなぐつもりか。三途の川へゆらゆらと船遊びにでも出かける勢いだ。

「そういう君は、平凡ってなんだと思う?」

同じ質問が飛んできた。母とソンビンさんの姿が頭の中にむくむくと浮かんできた。6歳の年の差。そうだな、今の時代、いくらでもあり得る。

実際、男がそれくらい年上のケースはすごく多いじゃないか。ひと回り違いなんか基本だし、それ以上の年齢差だってざらにある。母がソンビンさんより6歳も年上であることは、さして問題視しない。

だが、動かしがたい事実として、母にはぼくがいて、ソンビンさんにはソンハがいる。周囲のだれひとりとして、ふたりの交際に賛成するわけがない。いくらのんきなおじさんでも、長男が娘と同い年の息子をもつシングルマザーを愛していると知ったら、命がけで反対するだろう。

ぼくが心配しているのは、このすべての過程において母が受けることになる傷と、心ない言葉の数々だ。

「質問の範囲が広すぎた。じゃあ、平凡な愛ってなんだと思う?」

まだのどが痛いのか、ドンウは唇をかんだ。あらためて考えてみると、この質問もまた語弊がある。平凡な愛ってなんだろう。はたして愛に平凡さが存在するのだろうか。

「愛って、どっちかって言うと特別感じゃないか?」

ドンウがコーラを見下ろしながらつぶやいた。

「特別感?」

「どんな愛であれ、その愛を育んでるふたりは、特別だって思ってるだろ? 仮にそれが…」

「それが、なに?」とたずねるようなまなざしでドンウと視線を合わせた。

「ほかの人から支持されない愛だとしてもね。いや、むしろ、だからこそなおさら強く求めるんじゃないかな。『ロミオとジュリエット』みたいに」

心の内を見抜かれた気がして、心臓の奥からドキンッという音が聞こえてきた。母とソンビンさんもそうなのだろうか。簡単にかなわぬ愛だから切なくて、強く求め合うのだろうか。

確かにそれはあるかもしれない。人間の心理というのは、禁じられると余計やりたくなって、どうぞと言われるとやりたくなくなるものだから。なんだよ、だから母とソンビンさんを応援でもして盛り上げろっていうのか。