「学童代わりの塾」が戦場に…気づけば中学受験に挑むことになったシンママの体験談【前編】
「学童の代わり」として塾を利用していたシングルマザーの順子さん。しかし、塾の勧めで思いがけず中学受験に挑戦する流れに。母と子が体験した受験戦争の厳しい世界とは?
ジャーナリストの宮本さおりさんが取材したリアルな体験談を、前編後編に分けてご紹介します。(本記事は前編です)
※本稿は宮本さおり著『中学受験のリアル』(集英社インターナショナル)から一部抜粋・編集したものです。
学童保育の代わり程度で始まった中学受験
都内にある私立男子校に通う中村伸也君(仮名・当時14歳)。学ランに身を包み、日々学校に通う彼の表情は明るい。休日に自宅マンションに遊びに来る親しい友人もでき、学校生活を謳歌している。母親の順子さん(仮名)は、自宅に来た息子の友人たちと一緒に語り合う日もあるという。
絵に描いたような幸せな母子の風景だが、小学校の頃はまさかそんな日々が来るとは想像もできなかったと順子さんは言う。
小学校3年以降、中村家が体験したのは「中学受験戦争」。それも真っ暗闇に近い─。
中学受験スタートの号砲は、ある日突然に鳴った。
年末、小学3年生の伸也君の母親が取ったのは、塾からかかってきた電話だった。
「息子さん、中学受験を希望されています」
順子さんには寝耳に水だった。息子からは中学受験をしたいなどとは一言も言われたことがなかったからだ。
「え?」
と言葉を詰まらせた順子さんに、電話の主はこう続けた。
「息子さんの意思ですし、一度、お話に来ませんか?」
塾に押し切られるように、愛息の中学受験勉強がスタートした。
当時、順子さんと伸也君は、埼玉県で二人暮らし。順子さんは少し前に離婚し、シングルマザーになっていた。生活のため、会社員としてフルタイムで働いており、帰宅はいつも午後6時過ぎ。息子が3年生になる頃には出張も多くなり、帰宅が夜10時近くになる日も出てきた。順子さんの母親はすでに他界しており、父親はまだ現役。そのため、近くに伸也君の世話を頼める身内もいなかった。
「息子が3年生になる頃から責任の重い仕事が増え、帰りが遅くなることや出張も出てきたので、学童の代わりにと思って入れたのが、自宅近くの臨海セミナーでした。塾代は2教科で5000円と良心的。塾の説明を聞くと、授業のない曜日も自習室が使え、しかも学校の宿題も見てくれる。いいことずくめに思えました」
夜遅くまで働く順子さんにとって、夜9時までいられる自習室は、まだ幼いわが子を家にたった一人で置いておくよりも安全に感じられた。ふれ込みのとおり、授業のない日も自習室が使えた。そのうえ、夏休みには作文の宿題までも見てくれるという手厚さ。伸也君は毎日のようにそこで過ごすようになり、塾はもはや、伸也君にとっての「第二の家」のような場所となっていた。
そんな折、子どもに配られたのが塾からのアンケートだったのだ。
「塾は楽しいですか?」
「勉強でわからないところはないですか?」
など、塾への満足度や勉強についての質問に続き、最後に出てきたのが、
「中学受験をしたいと思いますか?」
という質問だった。
伸也君の回答は「はい」に○がついていた。母親が本人に確認すると、
「先生が受験してみたら? と言うから、じゃあ、やってみようかなと思って」
と教えてくれた。面談では、
「息子さんの成績ならば上位校も狙えます。頑張りましょう」
といった言葉をかけられた。その後、
「今受験を決断したら、優先的に受験コースに入れますよ」
とダメ押しの一言。
受験コースには枠があり、みんなが入れるわけではないことを匂わせながら、うまく保護者を誘導する。営業の常套句にも聞こえるが、中学受験をする子が多いエリアではあながちウソでもない。小学3年生2月開始の新年度コースに入らなければ、満席で入塾できないところもある。大手中学受験塾のサピックス(SAPIX)など、校舎によっては小学1年生から入らなければ席が取れないことすらあるのだ。
受験して入る中学など近くになかった筆者も、初めはまさかと思っていたが、取材を続けるうちに、これが大げさでないこともわかってきた。とはいえ、伸也君が暮らしていた地域の当時の状況を考えると、都内の受験率が高い地域と同等とは考えにくかった。だが、この塾からの説明に母親の心は動いた。