中学受験に失敗、弟への劣等感、父からの叱責⋯「落ちこぼれ」だった少年が国立医学部に合格するまで
大阪府北摂で皮膚科・美容皮膚科「千里中央花ふさ皮ふ科」「江坂駅前花ふさ皮ふ科」「みのお花ふさ皮ふ科」の3院を経営する花房崇明(はなふさ・たかあき)先生。大阪大学医学部を卒業後、国内外の大学病院や総合病院で豊富な経験を積み、2017年に大阪府豊中市の千里中央で1院目のクリニック「千里中央花ふさ皮ふ科」を開業しました。
明るく快活な語り口と、患者・スタッフ・社会に「四方よし」の医療を掲げる姿勢に共感が集まり、地域のリーダー的な存在です。
しかし、その輝かしく見える現在とは裏腹に、かつては両親に”落ちこぼれ”と呼ばれて育てられた過去があったといいます。中学受験の挫折、家庭での劣等感、そしてそこからの大阪大学医学部現役合格。
今回は、そんな花房先生の原点に迫りながら、医学部合格までのリアルな道のりと、その先に続く努力と信念について、お話を伺いました。(取材・文/吉澤恵理)
落ちこぼれと両親に言われても
――大学病院や海外での経験を積まれ、地域医療にも貢献されていますが、幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか?
花房崇明先生:父親は会社員で、母親は薬剤師でした。私は両親の家系で初の医師です。
僕は小学校6年まではソフトボール一筋で、毎日のように練習や試合に明け暮れていました。当時は高槻代表に選ばれるほどでしたが、精神面は幼く、「自分はアニメのドラえもんののび太や、サザエさんのカツオのようにずっと小学生のまま」と思って、勉強らしい勉強はしていませんでした。
そんな状態のまま、中学受験当日を迎えましたが、夢の中にいるような感覚でした。当たり前ですが、灘中学と洛南中学の受験では全く歯が立たず、合格点に遙か及ばない点数でした。