「水が好き」から5歳で選手の道へ 小6スイマーのデフリンピックへの挑戦

玉造珠宇

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2025年11月、聴覚に障がいのあるアスリートの国際大会「デフリンピック」が、日本で初開催されます。

国内で大会への関心が高まる中、将来の出場が期待され注目を集めているのが、水泳ジュニア選手の玉造珠宇(たまつくり・しゅう)さんです。

珠宇さんはデフリンピック、そしてオリンピックの両大会でのメダル獲得を目指す小学6年生。水泳への思いや、これからの目標をうかがいました。

水が大好きな赤ちゃんだった

珠宇さんの聴覚障害が分かったのは、1歳4か月の時。
2つ年上の姉が中耳炎にかかり、聞こえが悪くなった時に、母の美穂さんが「珠宇はどうだろう」と確認したことがきっかけでした。

その後、1歳10か月の時に右耳、2歳9か月の時に左耳の人工内耳の手術を受け、現在は静かな環境であれば声での会話が可能とのこと。しかし、複数の人が同時に話す場面や、雑音が多い中だと、聞こえにくさを感じるようです。

そんな珠宇さんが水泳を始めたのが、3歳半の時でした。
美穂さんによると、「赤ちゃんの頃からすごく水が好きで、水に対する恐怖心が薄かった」のだそう。

水泳は「好き」がきっかけで、気負わず始めた習い事だったようです。

才能が開花し選手の道へ

水泳を始めた珠宇さんに、大きな転機が訪れたのは5歳の時でした。幼児選手の育成コースへの推薦を受けたことで、選手としての道を歩むことになります。

そこから生活は一変、レッスンは週2から週4へ増え、珠宇さんは数々の大会に出場するようになります。

そんな中で自分の才能を初めて実感したのは、小学3年生の頃。大会で「大ベストが出た」瞬間だったと振り返ります。

努力が形になる喜びを、この時はっきりと感じたようです。

わずか0.01秒差で…忘れられない大会

他にも印象的だった大会を訪ねてみると、珠宇さんは少々困り顔の様子。毎週のように大会に出場しているため、記憶もあいまいになってしまうほどのようです。

美穂さんは、「やっぱり全国大会のJOは印象的だったんじゃない?」と一言。珠宇さんも頷きます。「全国から集まるジュニアオリンピックの大会で、会場の雰囲気もすごく特別だった」のだそう。

小学4年生の時、珠宇さんはこの大会のリレーにチームで出場しました。決勝に進めるのは上位8チーム。その中で、珠宇さんのチームはわずか0.01秒差で9位となり、惜しくも決勝には届きませんでした。「いろんな意味で忘れられない大会」と親子は振り返ります。

やめたくなった時は?

長く水泳を続けてきた珠宇さんに、「やめたいと思ったことはありますか?」と聞くと、「タイムがなかなか変わらない時」と答えてくれました。努力を重ねても結果が出ないと、気持ちが沈み、ふと後ろ向きな思いがよぎることもあるようです。

しかし、珠宇さんの口からはこんな言葉が。

「今まで頑張ってきたんだし、ここでやめたら今までが全部水の泡になっちゃうから。それで、やめないでずっとやってきた。」

あどけなさの残る表情の中に、努力を積み重ねてきたからこそ持つ強さが垣間見れました。

デフ水泳ならではの苦労は?

オリンピックへの出場も視野に入れている珠宇さんですが、日々の練習では聞こえにくさが壁になることもあるようです。どのように乗り切っているのか聞いてみると、
「コーチの話が聞こえないときは、近くの友達に聞いています」とのこと。仲間との関係の良さがうかがえました。

また、デフ水泳ならではの難しさについて聞くと、「スタートの合図がピストルの光」である事だと教えてくれました。音が鳴る代わりに光が点くため、選手は一点をじっと見つめて合図を待たなければなりません。

珠宇さんにとっては、実は「音のピストル(健常者用)の方がやりやすい」のだそう。視覚だけに頼るスタートは、より集中力と瞬発力が試されるようです。

夢は世界新記録

最後に将来の目標を尋ねると、迷いなく「新記録を出したい」と答えてくれました。

ゲームが好きで、マインクラフトやブロスタを楽しむという、年相応の一面も持つ小学6年生。
その笑顔の奥に、大きな夢に向かって着実に進むアスリートとしての強さを感じました

(取材・文:nobico編集部)