ゲームやお菓子で機嫌をとってもいい? 「無理ゲー」の日本の育児を楽にする考え方
共働きで二人の小学生を育てるお母さん。子どもが癇癪を起こしたり兄弟げんかを始めたりすると、予定通りに家事も進みません。
「夕飯前にお菓子を食べさせてもいい?」「ゲームを与えるのは?」……そんな迷いに、医師で臨床心理士の田中茂樹先生が「罪悪感を抱く必要はない」と答える理由は?田中先生の著書より抜粋してご紹介します。
※本稿は田中茂樹著『子どもを見守ること』(大和書房)より一部抜粋、編集したものです。
子どもを寝かせるまでの時間は「いわば戦場」
ある知人の女性からの相談でした。共働きで、大都会で二人の小学生を育てている人です。平日、夫の帰りは遅いので、彼女一人で子どもを寝かせるところまでがんばっています。そのなかで、家事をスムーズに進めるために、いろいろと子どもの「ご機嫌とり」をしているが、このままでいいのだろうか、ということでした。
彼女が仕事を終えて帰宅すると、子どもたちも学童から帰って来る。そこから夕飯を作り、子どもを寝かせるまでの時間は「いわば戦場」と彼女は言います。なるべくスムーズにあらゆるタスクを進めて、子どもを寝かしつけ、なんとか自分の時間を確保する。しかし、たいていの場合、途中で子どもたちがけんかを始めたり、癇癪を起こしたりする。そうなると、親もどっと疲れるだけでなく、子どもが寝る時間も大きくずれ込んでしまう。「タスク」という言葉に、その大変さや、彼女の向き合い方が表れていると思って聞いていました。
たとえば、子どもが帰ってすぐに「おなかすいた、おかし食べたい」と言えば、「小さいのならいいよ」と小さなグミやラムネなどを渡す。子どもが「まだ外で遊びたい」と言ったら、「ゲームしていいよ」とゲーム機を差し出す。このように彼女は、できるだけ子どもの機嫌が悪くならないように(彼女としては譲歩して)、子どもの「ご機嫌とり」をして、彼らを思うように動かしているといいます。そうしないと、すぐに時間が押してしまって、結局寝る時間が遅くなってしまうそうです。
今の日本での育児は、かなり「無理ゲー」
こういう話を聞いて、いつも思うのは、そもそも今の日本での育児が、どの親にとってもかなり「無理ゲー」であることです。日本における家事や育児の時間は、先進国のなかで最も短く、しかもその負担が女性に偏っている度合いが最も高いので、当然母親は苦しい。その苦しさの理由は、社会の構造や政治の問題からきているのに、しわ寄せの大きな部分が子どもにいってしまっています。親にとって、そこがいちばん「なんとかなりそうな」ところだからでしょう。
しかし、だからこそ「子どもをどう動かそうか」というところに親がとらわれすぎないことが大切です。自分は、今こうやって、子どもに社会の問題のしわ寄せをしているのかも、そういう意識を持つべきです。
このようなことを答えられたって「それはそうかもしれないけれど、そんな『大きな話』を聞きたいんじゃないんだよ! 今、今夜に、明日に、困っているんですよ。だから『専門家』とか名乗っているアンタに相談してるんでしょうが!」と、言いたくなるのも分かります。相談してきた彼女も、私が話している途中で、明らかに体が後ろに引けていきました。講演のあとでも同じことがよく起こります。でかい話を聞きたいんじゃないんですよ、小さい話をしてください。今どうやったら、子どもとの暮らしが少しでも楽になりますか? どうやったら子どもや夫を、怒鳴ったり、憎んだりしなくてすみますか? それが聞きたいのです、と。
子どもの機嫌をとって思い通りに動かすことへの罪悪感
このとき、私は彼女に聞いてみました。おなかがすいた子に少しのおやつをあげたり、退屈した子が、すきま時間にゲームをすることに、どこか問題があるの? と。自分が子育てしていたときには、そんなことを気にしたことが、なかったからです。そんなことを気にする余裕がなかったというのが正直なところかもしれません。買ってあるおやつを食べるのも、自分の好きな時間にゲームをするのも、子どもたちに任せていました。好きにしていいよ、ゲームをしていいよ、などと言ってさえいません。許可を親が出すのではなく、彼らが自分で決めていました。なので、彼女がなにを気にしているのかが、ピンときませんでした。
彼女が言うには、夕食までおやつを食べずに辛抱してほしいし、家に帰ったらまず宿題を終わらせてからゲームをしてほしい。子どもたちに求めるのは、そういうことだといいます。でも実際に、そう彼らに求めると、子どもたちは機嫌が悪くなり、兄弟げんかをしたり、癇癪を起こしたりして、こちらの家事が進まなくなる。なので仕方なく、本意ではないけれど、おやつやゲームで子どもの機嫌をとって、そういうことを子どもにさせている。そこに罪悪感を感じる。彼女の答えはこんな感じでした。
子どもたちへの期待(それは、子どもに「甘えている」のと同じことです)や、こうであってほしいという要求が、とても高いと感じました。子どもだって、家に帰ったら、好きなゲームをしたり、動画を見たりして、外の生活で疲れた心や体を(学校は疲れますよね)、彼らなりの方法で回復させたいと思っているでしょう。それはむしろ健全なことだと私は思います。大人も子どもも同じだと思うのです。
彼女が子どもたちに、自分の望む通りの子であってほしいと思うのを聞いていたら、『一年一組 せんせいあのね』に出ていた、次の詩が思い浮かびました。
すきなこども うえがきたかとし
おかあさんは
かしこいこと げんきなこと
はなしをよくきくこと うそつきじゃないこと
ふざけないこと やくそくをまもるこが
だいすきなんだって
ぼくはむりです
『一年一組 せんせいあのね こどものつぶやきセレクション』
鹿島和夫著、ヨシタケシンスケ絵、理論社 10ページ
うえがきたかとしくんの詩は痛快です。でも、立派なアピールであり、SOSです。僕にはそんなことできないよ、とはっきり言ってくれています。現実をしっかり見てよ、僕をしっかり見てよ、と親に言っています。あなたは、幻想の子どもを求めているけれど、僕は、現実の人間ですよ、と。お父さん、お母さんが、かつてそうであったのと同じように健全な欲求を持った普通の子どもです。それをちゃんと見てください。この詩はそういうメッセージを送ってくれています。
生活の時間をどんどん奪われている世界の中で、子どもたちは、自分たちの気持ちを落ち着けるために、彼らなりに与えられた環境の中から、快適なもの、自分を楽にしてくれるものを、がんばって見つけ出しながら、生きています。それは心が健康であるということ、社会に適応していくということです。親が望ましいと思うあり方や、親の時代の価値観を当てはめるのではなく、今、子どもたちが見つけ出していることを、もう少し信頼すること。そうすることで、親も気持ちが楽になるでしょう。家の中で、親が楽な気持ちでいてくれること、家庭で笑顔が多いこと(不機嫌が少ないこと)は、宿題をきちんとすることより、ずっと大事なことです。
田中茂樹著『子どもを見守ること』(大和書房)
本書は、医師・臨床心理士として20年以上にわたり多くの親子の相談を受けてきた著者が、「子どもを変えようとするのではなく、信じて見守ること」こそが、子どもの心を育て、親自身をも楽にするというメッセージを、豊富な実例と共に伝える一冊です。
