加害者は「正論を振りかざす優等生」 同調圧力で加速する現代のいじめの構図

石井光太

現代のいじめは、かつてのように単純ではありません。
教室で子どもを追い詰めているのは、乱暴な子ではなく、むしろ“協調性の高い子”だとノンフィクション作家の石井さんは指摘します。

ではなぜ「良い子」が加害者になってしまうのでしょうか。
今を生きる子どもたちの世界について、石井さんの著書より抜粋してご紹介します

※本稿は、石井光太著『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)より一部抜粋、編集したものです。

「同調圧力」の正体とは

人間は、太古から“群れ“を作って生活をしてきた生き物です。個としての力は熊やライオンといった他の動物よりずっと弱いですが、家族以外の他者とまとまることによって住居を作り、道具を開発し、狩猟や農耕などができるようになり、その結果として町や国といった支配地域を広げてきました。個として脆弱な人間にとっては、集団形成こそが自然でサバイバルするための術だったのです。

そのため、人間には生まれつき集団を作り、それを強固なものにするために団結しようとする習性があります。チームスポーツの「フォア・ザ・チーム」の考え方がその典型ですが、複数の人たちが一つにまとまることによって、集団の絆と力を強いものにしていく。この意識やそこから生まれる行動が、向社会性と呼ばれるものです。

昔から学校には、子どもたちの向社会性を成長させる役割があります。学校では、同じ地域に住んでいるというだけで、異なる家庭の子どもたちが無作為に集められ、集団生活を送っています。そこで求められるのは、学年、クラス、班などのグループで規律を守って行動することです。

誰もが先生から「グループの輪を乱すな」「協調性を持て」と言われた経験があるのではないでしょうか。それはまさに、学校やクラスというコミュニティの中で向社会性を身につけよという指示と同義です。

学校で数カ月ごとに行われる行事にも向社会性をつけるという目的が含まれています。運動会、文化祭、合唱コンクール、部活動……。子どもたちみんなで団結してこれらに取り組むことによって、学力の成長をメインにした授業では得にくい高度な向社会性を習得することを目指しているのです。

一般論を言えば、国も地域も企業もコミュニティですから、大きくなってそこに順応できるようにするために、学校が子どもに向社会性を植えつけることは間違いではありません。

それがなければ、社会の中で生きていくのは非常に難しくなります。

ところが、学校の子どもたちの間では向社会性が強くなりすぎることがあります。それが「同調圧力」と呼ばれるものです。

同調圧力の中では、それに従っている子たちが正義であり、そうでない子たちが悪となります。そして後者の子どもたちは、「輪を乱す」とされ、排除されるリスクが高まります。

クラスで一人だけ行事を休んだ子が「ずるい」と批判される、みんなの話についていけない子が「陰キャ」と陰口を叩かれる、音楽コンクールで演奏を間違えてばかりいる子が「邪魔」と切り捨てられる……。

このように集団の中で起こるそうした特定の子への攻撃が、いじめと呼ばれる行為になるのです。実際に数ある部活の中でも、特に向社会性が求められる吹奏楽部などでいじめが多発する傾向が高いのが、それを示していると言えるでしょう。

とはいえ、学校が子どもたちに向社会性を求めるのは今にはじまったことではありません。

昔から脈々とつづいてきたことです。にもかかわらず、どうして近年いじめの認知件数が増加しているのでしょうか。

クラスの過剰な同調圧力

昔の学校で行われていた指導は、相対評価で成績を決めていたことからわかるように、子どもたちを横一列に並べて競争を煽ることでした。学力でもスポーツでも、100人の子どもがいれば、1位から100位まで順位をつけ、他者を追い抜いて順位を上げることを目指すように仕向けていたのです。競争に負けた子は、「落ちこぼれ」と呼ばれて見下されました。

こうした学校の風潮が一変するのが、2000年代の初めです。少子化が顕著になり、詰込み型教育や競争の弊害も見えてきた。そこで学校は狭義のゆとり教育をスタートさせて、絶対評価を導入することによって、子どもたちを競争から解放させ、代わりに主体的な学びを重要視しました。

それなら子どもたちは昔に比べて自由になったのではないかという意見もあるかもしれませんが、実態はそうではありませんでした。学校が子どもたちに求めたのは、みんなで連帯感を持って団結し、一つのことに集中して取り組むことだったのです。

グローバル化の中で多文化共生が叫ばれる時代では、たしかに大勢の人と手を取り合って、目標を達成する経験をつむことは大切でしょう。しかし、それを求められれば求められるほど、子どもたちの間で同調圧力が強まるのは必然です。

2010年代に入ってゆとり教育は終焉を迎えますが、その後も学校は一貫して子どもたちに集団で団結することの重要性を説きつづけます。これに追い打ちをかけるように起きたのが、2020年からはじまった新型コロナウイルスの感染拡大でした。

この時期、学校は感染拡大防止を理由に、子どもたちに無数の厳しいルールを設けました。マスクの着用義務、食事中の私語厳禁、休み時間の過ごし方の取り決め、課外活動の制限……。

子どもたちは自由な行動が制限され、決められた枠組みからはみ出すことを厳重に禁じられたのです。その中で子どもたちの同調圧力は一気に高まり、ルールを破った子を批判する“自粛警察“と呼ばれる現象も起きました。

約3年に及ぶこの経験が、子どもたちに人と違うことをすることへの恐怖心を植えつけました。彼らは自分の意見を言ったり、人より目立ったりしてはいけないという自制心を強くし、集団の中に埋没して目立たないように生きることが正しいという共通意識ができ上がったのです。

学校の方も、なかなかコロナ禍の体制から脱することができない現状があります。コロナ禍の子どもたちに押しつけたことが、今なお一部で残っていて、それが子どもたちへの同調圧力となっているのです。

ある中学校の先生は次のように話していました。

「今の子は、リレーの選手に選ばれるとか、成績が優秀で全校集会で表彰されるといったことすら嫌がります。悪いことだけでなく、良いことであっても、みんなとちょっと違うだけで“浮く“と言って怖がるのです。それだけみんなと同じであることが正しいという意識が強まっているのです」

優れたことまで批判の対象になるというのは、同調圧力が看過できないほどのレベルまで高まっていることの証でしょう。

教室内の同調圧力が高まれば高まるほど、いじめは誘発されやすくなります。そして、このような状況でいじめをするのは、集団の輪から外れた不良というより、逆にクラスの調和を大切にする向社会性の高い子になりがちです。

一般的に、協調性の高い子は、先生からも保護者からも「良い子」と見なされがちです。しかし、歪んだ同調圧力の中では、こういう子ほど正義を振りかざしてクラスメイトを傷つける言動をしてしまうのです。

たとえば、給食の準備の際に配膳係はマスクをするというルールがあったとします。ある子がマスクをつけるのが面倒で、そのまま係の役割を果たしていた。すると、調和を大切にする子は顔をこわばらせ、指を差して言います。

「なんでマスクをつけないんだ! 汚ねえな! おまえはみんなにばい菌をまき散らすことになるんだぞ!」

注意した子どもにしてみれば、クラスのルールを守る同級生の行為が許せなかったのでしょう。倫理的には決して間違っているわけではありません。

昔もこのように正論を振りかざす優等生タイプの子はいましたが、逆に「生真面目」「堅物」とあしらわれる傾向にありました。しかし、同調圧力の高まった教室では、多くの子たちがそれに追随しがちです。周りの子たちも一緒になって「うわ、汚ねえ、ばい菌野郎」「病気をうつすんじゃねえよ、帰れ」と批判をはじめるのです。

さて、大人はこれをどのように解釈すればいいのでしょう。

クラスのみんなから批判された子にしてみれば、悪口を言われているので自分はいじめを受けたという認識になります。教室に飛び交った言葉の一つ一つは辛辣で、心を傷つけるのに十分です。

しかし、注意した子どもたちにとっては、クラスのために正論を述べただけであって、間違ったことは何一つしていない。相手の子は批判されてしかるべきなのです。

こうなると、先生が間に立って事態を解決するのも難しくなります。

注意された子がショックを受けて不登校になったとしましょう。先生は批判した子どもたちに「君たちが言いすぎたせいで、彼は学校に来られなくなったんだぞ」と注意する。でも、彼らはなぜ正しいことをした自分が注意されるのか理解できません。なぜならば、悪いのはマスクをつけなかった子であって、自分たちはそれを注意した正義の側なのだと思い込んでいるからです。

子どもたちがいったんこういう思考に陥ると、いくら注意されてもまた同じようなことをくり返します。正論を振りかざし、輪からはみ出した人を傷つける。今の教室に横行しているのは、そういういじめなのです。

傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害

石井光太著『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)

「よりによって、どうして、うちの子が——」
それは、いまや誰にでも起こり得る現実です。

いじめ、性の問題行動、SNSでの誹謗中傷、暴力、自傷。今や子どもは、加害者にも被害者にもなり得る時代。
しかも、その「きっかけ」や「背景」は、大人が思う以上に複雑かつ見えにくくなっています。

本書は、『誰が国語力を殺すのか』『教育虐待』などで知られるノンフィクション作家・石井光太が、現代の学校・家庭に潜む“見えない地雷”を多角的に描いた渾身の書き下ろし。

子どもを取り巻くトラブルのメカニズムを、いじめ・性・暴力・自傷・スマホ・家庭環境といった切り口から徹底解説し、「なぜ加害が起きるのか」「どう被害が拡大するのか」を親目線で丁寧に紐解きます。

我が子がトラブルに巻き込まれた時、そして我が子がトラブルの発端となってしまった時、親や周りの大人はどうするべきなのか。
そうしたトラブルに無縁の子どもをいかにして育てるのか、といった実践的な問いにも答え、子どもに関わるすべての大人に必要な心構えを探ります。