宅浪、予備校、医学部専門校…すべてを経験した医学部志望4浪生の「涙の結末」

吉澤恵理
2026.03.03 12:51 2026.03.03 12:00

合格発表をみる学生※写真はイメージです

近年、医学部人気はますます高まっており、受験生の数は年々増加傾向にあります。医療の需要が拡大する社会情勢や、医師という職業に対する高い評価も相まって、受験生の注目度は以前にも増して高まっています。

しかし、入試の難易度は上昇の一途をたどっており、合格を勝ち取るためには非常に厳しい競争を勝ち抜かなければなりません。医学部を目指し、浪人をする人も増えています。今回は、苦闘の4浪を経てついに医学部に合格したあきこさん(仮名)に受験体験を聞きました。(取材・文/吉澤恵理)

先生から「絶対に合格できる」と言われていた高校受験でまさかの結果に

教室で勉強する高校生

――4度目の挑戦で合格されたとお伺いしましたが、合格したお気持ちは時のお気持ちはどうでしたか?

あきこさん:「やっとここまで来られたんだ」という安堵感と嬉しさでいっぱいでした。長い浪人生活だったので、家族への感謝の気持ちも大きかったです。

――医学部を目指したきっかけは?

あきこさん:幼稚園の頃ですね。父が医師なので、その影響はもちろんあったと思うんですけど、直接「医者になりなさい」と言われたことはなかったんです。私が本当に目指すきっかけになったのは、『Dr.コト―診療所』を見ていた影響です。

「お医者さんが足りない島で人を助ける姿が、とてもかっこいい!」と憧れを抱いたんです。当時、両親にそのことを話すと「頑張ってね」と笑っていました。

――小学校や中学の受験もしましたか?

あきこさん:両親は、あまり勉強についてはきにすることなくのびのび育てられて、小中とも受験はせず、近所の学校でした。塾も行かず、ダンスを習ったり、活発でした。

中学の頃は、テスト勉強は試験直前にちょっとやれば大丈夫、みたいなところがありました。周囲からは「優秀だね」と言われることが多かったです。でも、それが後々の受験では仇になってしまった感じはあります。

――高校はどういった学校に進みましたか?

あきこさん:高校受験で都立の医歯薬の実績がある高校を受験しました。先生たちからも「絶対合格できる」と言われていましたし、模試でも合格圏内でした。

しかし受験当日は緊張しすぎたからか、失敗し不合格でした。

念のためと受けていたすべり止めの私立高校は家からすぐという理由だけで決めていたので、医学部実績はゼロで進学校ではありませんでした。 すべり止めの高校に行くことになりしたが、のんびりとした校風が自分に合っていたこともあり、本当にたのしい高校生活を送りました。

目指していた都立高校よりも偏差値は15くらい下の高校だったこともあり、入学後の成績は常にトップでした。通っていた高校では 医学部受験は私が初めてだったこともあり、高校3年生のときに医学部生が講師を務める塾にいきましたが、今振り返ってみるとそれほど勉強していなかったと反省します。

2浪目で宅浪を選んだ理由

テストに挑む子ども

――現役のときの受験はどうでしたか?

あきこさん:1浪目は、高校時代に通っていた塾を個別授業に切り替えて継続しました。ちょうどコロナが広がり始めた時期でもあったので、対面で受けるのは苦手科目だけに絞ったんです。

医学生の講師の方とマンツーマンでの授業は、医学部のことも聞けて良かったのですが、他の受験生との競争を感じられない環境だったので、勉強量が十分だと勘違いしてしまって…やはり不合格でした。

――2浪目はどうされましたか?

あきこさん:当時、父はコロナの患者さんが多く、休みなく働いていました。医療崩壊といわれていた時だったこともあり、「コロナ禍で予備校に行くよりも自宅で勉強したほうが安全だろう」という判断で、宅浪を選びました。

両親は「3浪しても構わないから、焦らず今年は自宅でがんばりなさい」と言ってくれました。ただ、やはり模試や受験生同士の交流が少なくて、自分の実力を客観的に把握するのが難しかったですね。結局、2浪目も合格はできませんでした。

3回目の医学部受験にも失敗…両親にかけられた言葉とは?

思春期のイメージ

――そして、3浪目を決めるときは違う学部など他の選択肢は考えなかったのですか?

あきこさん:そうですね、私も医学部以外は考えていませんでしたし、両親も同じです。コロナが落ち着いてきたこともあり、両親から予備校に行くことを勧められ、大手予備校の医学部コースに通いました。

医学部コースの中でも難関コースだったこともあり、医学部合格に特化した指導で、とてもためになりました。大学ごとの過去問の傾向を綿密に分析して、「同じ基礎知識でも、出題形式がこうなると解き方が変わる」みたいなこともあって、多くの問題を解きましたね。そのおかげで自分の弱点が、思った以上に多いことに気づかされました。

――勉強は上手くいっていたようなお話ですが、なぜ3浪目の受験シーズンはうまくいかなかったんでしょうか?

あきこさん:はい。まず、都内の医学部に的を絞ったことで、選択肢は狭まりました。予備校の先生からは「地方の私立医学部も含めて広く受けたら」と言われたんですが、6年間の生活を考えたらなかなか決断できなくて…。

加えて、最初の試験の前日にインフルエンザにかかってしまって、受けられない大学も出てきました。精神的にもかなり不安定になり、結局3浪目も不合格でした。

――3浪して合格を勝ち取れなかったときは、どんな気持ちでしたか? ご家族の反応はどうでした?

あきこさん:落ち込むと同時に「もうこれ以上親に迷惑をかけられない」という申し訳なさが大きかったですね。

でも両親は、「長い人生の中で3年や5年、あるいは10年かかったとしてもほんの一瞬。あなたが医師になる運命なら、その時は必ず来るから、納得できるまで頑張りなさい。私たちはずっと応援しているからね」と言ってくれました。

あの言葉にどれほど救われたか分かりません。次こそは必ず合格するという気持ちで4浪目は医学部専門予備校に入りました。

医学部専門の予備校と他の予備校の違い

勉強に苦戦する男の子

――医学部専門予備校では、それまでの予備校とはどういった違いを感じましたか?

あきこさん:医学部専門予備校は、大学ごとに過去問を細かく分析していて「ここの大学の出題パターンは最後の大問から解かないと時間が足りない」とか具体的な戦略を教えてくれるんです。

さらに夏以降は「過去問や予想問題を2/3の時間で解く」というような時短特訓もあり、試験本番の時間配分の感覚が一気に磨かれました。そして、それまでと違ったのは、試験前日も学校別の特別講座があったことです。

前日は体を休めてというよりは、前日も当日もぎりぎりまで粘って対策しました。粘ったおかげで本命の受験日、試験が終わったときに「絶対、受かった!」という手ごたえがありました。

――そして4度目の挑戦で、ついに医学部合格を手にされたと。合格発表の瞬間はどんな気持ちになりましたか?

あきこさん:嬉しさと「家族に報告できる!」という思いが一気に込み上げて、涙が止まりませんでした。両親からは、「受かると信じてた」と言われ、その言葉にまた泣きました。

それまでの浪人生活は本当に長くて、途中で「私は医師を目指しているのにゴールにも立てない」とくじけそうになったこともありましたが、ようやくスタートに立てたという思いでした。

――最後に、これからの目標を改めて教えてください。

あきこさん:幼稚園の頃から「Dr.コト―みたいに、医療が届きにくい地域で人を助けたい」という夢はずっと変わっていません。大学でしっかり基礎を学んで、将来は医師として無医地域や離島を支えるような仕事ができたらいいと考えています。

吉澤恵理

吉澤恵理

1969年生まれ、1992年東北薬科大学卒業。薬剤師として長年医療に携わった経験から医療領域、また教育領域を得意とするジャーナリスト。メディアでの執筆、連載やTV出演など多数。プライベートでは、結婚、妊娠、出産、離婚、介護と様々な経験を経て、現在4人の子を育てるシングルマザー。