【子育て体験談】のんちゃんの背中

読者からの体験談
2023.10.06 13:27 2023.02.01 16:38

【子育て体験談】のんちゃんの背中の画像1

大震災の津波で自宅が流されてしまった3歳の子。それから時が流れ7歳になった今は…。

※本記事は『PHPのびのび子育て』(2015年10月号)に掲載され、WEBサイト「PHPファミリー」にて一部抜粋・編集の上で公開されたものです

震災、避難生活…3歳だった子がお姉さんになって

東日本大震災の大津波で私たち家族の住んでいたアパートが流されました。私には当時3歳の娘・海音(のんちゃん)がいました。

地震の後、いそいで保育園にいるのんちゃんを迎えに車を走らせました。偶然にも途中で夫と会い、一緒に保育園の子どもたちが避難している場所へ向かいました。のんちゃんに会えてほっとしたのも束の間、今度は大きな波が襲ってきたのです。夫に抱きかかえられ、一目散に高台へかけのぼりました。

その日から避難生活が始まりました。毎日元気で明るいのんちゃんも、地震がくるたびに「ママ、ママ」と私にしがみつき、パニックになり、泣きじゃくります。そんなときは、とにかく安心させてあげようと必死で抱っこしました。ちっちゃな背中をさすり、歌も歌いました。

震災から1年ほど経ったある日、「ママ、もしも海音に妹か弟がいたら、たくさん津波のこと教えてあげるよ」「ママ、海音にきょうだいがいたら、地震怖くないってギュッてするよ」と”きょうだいがいたら”について話すようになりました。でも私も夫も、今はとにかく仕事をして、安心して暮らせる家を海音に残すんだ、という思いから、そのときは2人目のことを考える余裕などありませんでした。

私の実家に泊まりに行ったある日、母から「のんちゃん、きょうだい欲しがっていたよ。最近ののんちゃん、なんとなく寂しそうに遊んでいる気がする」と言われました。いつも家の前で遊ぶのも1人、家でテレビを見るのも1人。甘えん坊ののんちゃん、みんなで遊ぶのが好きなのんちゃん、寂しかったのかなと気がつきました。それから私の考え方が変わり始めました。

そして2013年、2人目を授かりました。しばらくのんちゃんには内緒でした。安定期に入り、家族で出かけたときに夫が「海音、ママのお腹に赤ちゃんがいるんだぞ」と言うと、のんちゃんは顔を真っ赤にして、「あー、よかった。海音、ぜったい面倒みるからね。すんごく嬉しい」と、本当に嬉しそうでした。その晩はしばらく寝つけなかったらしく、布団の中で静かに1人考えごとをしていたようです。

半年以上が経ち、予定日より早くのんちゃんに6歳離れた妹が生まれました。その日から、のんちゃんはお姉ちゃんだからと、お手伝いをしたり、妹のせいちゃんのお世話をしたり。せいちゃんにつきっきりの私に甘えたいときもあったろうに、我慢してパパと一緒に眠る毎日でした。

のんちゃん7歳、せいちゃん1歳になった頃、私たちは災害公営住宅に引っ越しました。少し広くなった部屋で、家族全員が布団を並べて眠れる日がやっときました。これまで我慢していたのんちゃんも、私の布団へ入ってきます。せいちゃんを寝かしつけた後、「ママ、背中さすって」と言うのんちゃん。約1年ぶりにさすったその背中は、はるかに大きくなっていて思わず涙があふれました。こんなに大きくなっている背中に気づかず、いっぱい我慢させていたんだなと感じました。

少しずつ言葉がわかるようになってきたせいちゃんに、のんちゃんが話しかけます。「せいちゃん、あとで津波のこと教えるね」と。

あの日、わずか3歳だったのんちゃん。どのくらい覚えているかわからないですが、あんなにも恐ろしい津波を目にしたことは常に頭の中にあって、強く印象に残っているんだなと思います。せいちゃんが大きくなってもう少し話ができるようになったら、あの日起きた地震や津波のことを聞かせてあげるのでしょう。せいちゃんの手を握り散歩するのんちゃんの背中は本当に大きくなって、せいちゃんにとって頼れる存在となったに違いありません。そして私たち夫婦に2人目を授かるきっかけを作ってくれたのんちゃんに感謝しています。

(北村宏美、岩手県)

nobico(のびこ)編集部

nobico(のびこ)編集部

PHP研究所が提供する育児・教育情報。比べない、悩まない「のびのび子育て」応援サイト。

X:@PHP_nobico

Instagram:@php_nobico