「叱る」をやめるだけで、子育てがラクになる理由
否定、制止、禁止、指示…子どもを支配しようとする「叱る子育て」
ではもう一方の、子どもにはしっかりと叱って関わっていくべきだという「叱る子育て」についてです。実はここにこそ、多くの人がおちいってしまう子育ての大きな落とし穴があります。
子育てする大人が最初から「子どもにはしっかりと叱って関わっていくべきだ」と考えていると、大人から子どもへの関わりの多くが、ダメ出しなどの「否定」、「あぶないあぶない」と子どもの行動を牽制するような「制止」「禁止」、ああしなさいこうしなさいといった「指示」や「しーっ」「静かにっ」「早く」などの「支配」の関わりのオンパレードになってしまいます。
多くの人が既成概念として無意識のうちに、「子どもはダメ出しをすることでその行動をしなくなるものだ」と考えてしまっています。しかし、このダメ出しや支配的な関わりというのは、そうそう大人の思ったようにその子を変えていくわけではありません。
そして子どもが望むような姿にならないと、この考えで子育てをしている人は「否定」「規制」「制止」「禁止」「指示」「支配」の関わりを強化していってしまいます。それで子どもが思ったようにならなければ、「叱る」というさらに強い関わりに深刻化してしまいます。
「叱ることありき」が子育てを難しくしている
「叱ることありき」で子育てを考えてしまうと、「否定」「規制」「制止」「禁止」「指示」「支配」などを使って、子どもの姿を無理やりにでも大人の望むものにしていく、というレールに乗ってしまうことになりかねません。
子どもへの関わりを漠然と「叱ることありき」で考える人は、知らず知らず子どもを「型にはめる」ような子育てを選択してしまっています。
それはとても窮屈で、「子どもの理想像」を大人が勝手に決めてしまい、子育ての目指すところをいつのまにかたったひとつにしてしまいます。
それが先ほどあげたような「否定」や「指示」など、子どもに対してネガティブな関わり方を大人にたくさん要求していきます。
その結果それは「過保護や過干渉」、「子どもの自己肯定感の低下」などを招いてしまうのです。
子どもの個性はいろいろですから、それでもさして問題なく、まっすぐ育っていける子もいるでしょう。
しかし、中にはその支配的に関わる大人の前では「良い子」になるけれども、それ以外の場面では、少しも望ましい行動をとれないというような子に育ってしまうこともあります。
そこまでいかずとも、子どもがだんだん大人の目に余る行動をするようになってくると、小言や叱ることで子どもを押さえつけたり、ごまかしたり、おどしたり、おしゃぶりなどを使って子どもの困った行動を一時的に出させないようにしたりなどということを、子育ての長い期間にわたって繰り返す大人がとても多いのです。
大人が子どもを支配してはいけない
このような「叱ることありき=子どもを大人の思うように支配すること」の子育ての考え方は、本質的には子どもそのものの力を伸ばしているわけではありません。大人から見たときの適応的な姿に当てはめよう当てはめようということを繰り返しているに過ぎないのです。
この方法では、子育ては大変なばかりです。大人は子どもの望ましい姿を求めているのに、それ自体が望ましい姿から遠ざけてしまうような関わり方なので、長い期間にわたって大変さばかりがつのります。
また大人にとっても、これら「理想的な子ども像」に近づけようとする子育ては、その理想と目の前にいる我が子とのギャップから、子どもだけでなく自分自身を否定する方向に気持ちが向いてしまいます。この大人の自己否定も、子育てを苦しいものにしてしまう大きな原因となります。
ですから、僕は「叱ることありき」の子育て方法というものにあやうさを感じています。
僕が現代の子育てをする人に知っておいてほしいのは、子育てをするのに「叱って育てるのか」、「叱らないで育てるのか」というどちらかに偏ったお話ではなくて、「子育て=叱る」ではない、ということなのです。
子どもを育てる上で「叱る」ことは出てくるかもしれない、でも「叱る」前にやれることはたくさんあるということを知っておいてほしいのです。
保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」 (PHP文庫)
お母さんたちに大人気のブログ『保育士おとーちゃんの育児日記』の著者が、子育てを単純に、楽しく変えるための具体的な方法を紹介。