親が喜ぶのは海外大より東大? 東大・MITのW合格者が直面した「受験の現実」
海外大学への進学が増えているとはいえ、まだまだハードルが高いと思う高校生も多いだろう。しかし、マサチューセッツ工科大学と東大をダブル合格し、国際学会で最優秀論文賞を受賞した前田智大さんは、「頑張ったら報われるかもしれない人がスタートもせずに諦めていることが多いように感じます」という。
※本稿は、前田智大著『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
前田智大(株式会社Mined代表取締役)
灘中学・高校から米マサチューセッツ工科大学(MIT)に進学。2018年MIT工学部電子工学科卒業。2020年MIT Media Lab 修士課程を卒業。大学院在学中に、ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏の「孫正義育英財団」に応募し選抜された。2020年に帰国後、株式会社Minedを起業し、現在は小中学生を対象としたオンライン教育サービス「スコラボ」を開発・運営しながら、講師も務めている。
東大進学が当たり前の環境で、ひときわクールに見えた留学組
最初に海外進学を意識したのは、生物の先生から聞いた「ハーバードを蹴ってイェールに行った人」の話を聞いたときです。
私を含め、大半の灘校生は「大学は、やはり東大を目指すよね」という共通認識を持っています。そんな中で耳にした、ハーバードやイェールという響きは刺激的で、スケールが大きくて、夢があって─私の心には、強い憧れが湧き上ってきました。
しかしそのときは、「まあ、僕には無理だろう」と思いました。というのも、その方は帰国子女だったからです。
当時、中学受験で灘に入ってくる生徒は180人。そして高校に進むとき、さらに40人ほど入学してきます。灘から海外大学に進学する人は毎年1人いるかいないか。しかも、私の聞いていた海外大学進学者はほとんどが帰国子女でした。
「自分には縁のない世界だ」と思った私は、憧れの気持ちにいったん蓋をしました。その蓋が少し開きかけたのが、生物オリンピックの国際大会に出たときです。世界の精鋭から刺激を受け、やはり日本の外で学びたいと感じました。
しかしやはり現実的だとは思えず、またまた蓋を閉じました。進路希望は、「東大理Ⅱ」ということで、結論が出たかに見えました。が、高3の4月に、思わぬ出来事がありました。
その日、ハーバードに合格したばかりの1年上の先輩が、テレビ取材つきで母校を来訪したのです。所属していたディベート部の後輩と語り合う、という趣向でした。
ところが、私の友人でもあったその後輩に急用が発生。彼は生徒会長で、「保護者と急遽、文化祭の打ち合わせをしないといけない」というのです。
そしていわく、「智ちゃん、代わりに行ってきてよ」。友人を助けたい気持ちもあり、ディベート部でもない私がピンチヒッターを引き受けました。
その席で、先輩が言ってくれたのです。「前田なら海外行けるよ、半々くらいで」。思わず「僕も行きたいです! ぜひサポートしてください!」と答えていました。
そこから、一大チャレンジが始まりました。
なお、後に先輩が語るには、あのセリフは「ノリ」で言ったのだとか。「カメラの前だったから、調子に乗ってああ言ったけど、受かると思ってなかった」というメールが来たときには、いささか脱力しました。
とはいえ、先輩のあの言葉がなければ今の私はいません。軽いノリの「最後の一押し」が、私に新しい扉を開かせてくれたのです。
いつしか可能性を狭める「精神的な壁」
両親に言うと、「ええ~、海外!?」「東大じゃないの?」と、予想通りの反応。でも、2つの条件のもとに、OKを出してくれました。
1つは、「私たちが知っている名前の大学にして」。ではどこを知っているのかと聞くと、ハーバード、イェール、プリンストン、スタンフォード、MITの5校だけ。最初から選択肢がかなり絞られました。
海外の大学は多数の併願ができるので、通常は10校近くを受験するのですが、その点私はシンプル。ターゲットはこの5校として、あとは自分に合っていそうなところをじっくり考えていけばいい、と考えました。
もう1つの条件は、「東大には絶対に受かって」。英語が話せなくて勉強がついていけなかったときに戻れる場所が必要だから、とのこと。中学受験から6年経っても、似たような心配をされている私でした。
そんなこんなで、高3の4月から準備を始め、海外受験の締め切りである12月までにすべてを整えなければなりません。
「あの迷っていた時間、要らなかったな」とつくづく思いました。先輩の「最後の一押し」をもらえるまで、私はずっと「留学する人たちと自分は世界が違うんだ」と、勝手に壁を作っていました。
思えば中学のころも、「○○オリンピックに行く人たちは、世界が違う」とよく思っていた気がします。部活で短距離走をしていたときも、自分より速く走れる部員を見て、知らず知らず諦めモードになり、自分の走りを改善する工夫から手を引いていました。
そして今思うのは、多くの若い人たちが、同じように壁を作って、自分の可能性を狭めてはいないだろうか、ということです。
若い学生と話していると、しばしば「前田さんはもともとの出来が違うから…」「私には、縁のない世界…」と言われることがあります。
私も人に対してそう思ったことが何度もあるので、気持ちはわかります。頑張ったから必ず報われるわけではありませんが、頑張ったら報われるかもしれない人がスタートもせずに諦めていることが多いように感じます。
私は生物オリンピックで成果を出すことができましたが、もし同級生の中に、本気で生物オリンピックを目指した人がいたら、きっと勝てなかったでしょう。
たいていの生徒は、私よりもずっと優秀だったのですから。頭の回転の速さ、理解の速さ、学びの速さ、どの面で見ても、私より上の人がゴロゴロいました。
私が唯一有利だったのは、最終的に「それでも気にせずチャレンジしたこと」。興味と目的があったからこそ、頑張って報われなくてもよいと割り切って、全力で挑戦できたのだと思います。勝手に壁を作らない力こそが、未来を拓くのです。