暴力で荒れ放題、不登校だった娘の「復学を後押しした」親の態度

ラン

暴言・暴力の荒れた娘が笑顔になった!

・Tさん 現在、小6女子の母。
不登校開始時期は小5。不登校歴は約1年

小学6年生の娘は、小学3年生の頃に月に1回ほど休むようになり、小学5年生秋から学校に行かなくなりました。担任の先生との相性が悪かったせいか、「学校がつまらない」と言って、無理に行かせようとしても、娘はテコでも動きませんでした。

不登校初期は、暴言・暴力で荒れ放題。そのたびに、私は振り回され、子どもにどう接すれば良いのか分かりませんでした。

講座を受けてランさんの話を聞き、私の過干渉が減りました。

今まで私は、自分のことは「何かあった時にも何とかなる」と思いながら生きてきましたが、子どものことになると、先回りして心配ばかりしていました。講座を受ける前は、「誰かが私に、不登校を解決する方法と、実践方法を教えてくれる」ものだとばかり思っていました。

ところが、講座でランさんの質問に答えたり考えたりしているうちに、自分のやっていることにハッと気づくことができました。

たとえば、私の親が心配性で、アレコレ言われることが私はイヤだったのに、「自分も子どもに同じことをしている! どうして気づかなかったんだろう!」というように、1人では気づかなかったことにも気づくことができました。

また、自分で気づかない限り、抱えている問題の解決方法は見つからないということにも気づきました。

こうした経験を通して自分の考えが変わり、子どもへの接し方も変われたことが、子どもと私の元気につながったのかなと思います。

そして、私の気持ちがラクになった頃から、娘の笑顔が一気に増えました。自分から色々やり始めたり、やりたいことを口にしたり、行ってみたい高校を探してみたり…。

修学旅行も、ひと言も背中を押していないのに、娘は自分で葛藤しながら決心し、覚悟を決めて参加しました。講座を受けて良かったことは、自分と向き合い、知らなかった自分を知ることができて、自分も変わることができたことです。

今は、自分で行動して変化していけるようになった気もします。こんなに自分も子どもも変われるんだと驚いています。

知らなかった自分の中のもう1人の自分

娘が不登校になった時、私は「どうすれば娘は良くなるのか?」「どうすれば以前のように元気になって、学校に行ってくれるのだろうか?」と必死になって答えを求めました。

最終的に、私が行き着いた答えは、「不登校の原因は娘ではなく私にあった」ということでした。娘を必死に変えようとしましたが、取り組んでいるうちに見えてきた答えは、結局「私」だったのです。

娘が不登校になって初めて、私は自分の中に、自己肯定感が低く、誰かに認めてもらわないと不安な自分がいることに気がつきました。

私は今まで、人からの評価や世間の常識を気にして、それらに応えるように、外れないように一生懸命やってきたので、何かイレギュラーな問題が起きた時、「自分で考えて解決する」という自分軸がありませんでした。

ですから、娘が私の思い通りにならなくなった時、どうして良いのか分からなくなり、娘を必死に変えようとしたのです。

私は、娘が不登校になったおかげで、そんな自分に気づくことができ、人生の軌道修正をすることができました。

今こうして、娘と何気ない日常を幸せに過ごすことができているのは、娘の不登校があったからだと思っています。

今の苦しみは決してマイナスではありません

娘の不登校当時、つらくてたまらない時に自分に言い聞かせていた言葉があります。

それは、「人生は、最後に笑ったもん勝ち!」です。

ゲスな言い方かもしれませんが、今あなたがうらやましいと思っている、順調そうに育っている、他所のご家庭の子どもも、大人になってから心が折れるような挫折を味わうかもしれません。

大きくなってから人生につまずき苦悩するよりも、親がそばにいてやれる今のうちに挫折するほうが良いかもしれないのです。

多感な時期に自分の心を見つめ、苦しみもがくことは、子どもの人生において決してマイナスにはなりません。ですから、今を嘆かず、失望しないでください!

それよりも、あなたとあなたのお子さんの可能性を信じてください! 人生は、最後に笑ったもん勝ちなのです!

子どもが不登校になっちゃった!(すばる舎)
元・不登校の娘を持つシングルママが赤裸々に綴った、不登校生活から娘を脱出させるために苦悩した約5年間(中学1年の3学期から高校まで)の軌跡。約220名の受講生と、日々のブログ読者からの相談事例も、一部紹介。共感ポイント&すぐに使える実践方法が、満載の1冊。