「お会計されますか?」レジでダダをこねる5歳の子に、年配の店主がかけた品位ある言葉

キム・ソヨン

純真無垢でまだなにも知らないように見える幼い子どもでも、子どもなりに品格を守りたいと感じている――。韓国で読書教室を営むキム・ソヨンさんは、そう言います。それは、どの国でも共通することかもしれません。

韓国でベストセラーとなったキム・ソヨンさんの短編エッセイ集『子どもという世界』より一篇をご紹介します。

※本稿はキム・ソヨン著『子どもという世界』(かんき出版)から一部抜粋・編集したものです。

キム・ソヨン
児童書の編集者として長年働き、現在は読書教室で子どもたちと本を読んでいる。著書に『児童書の読み方』『話す読書法』(すべて未翻訳)がある。
Blog.naver.com/sohosays

子どもの品格

自分で言うのもなんだが、読書教室のサービスで気に入っているものが1つある。子どもの上着を受け取ってあげることだ。

子どもが読書教室に入ってくると、まずカバンを受け取る。その次に子どもの後ろから上着を脱ぐのを手伝う。この時、あまり近づきすぎてもいけない。上着のすそ以外の部分にはなるべく手が触れないように注意する。速すぎてもゆっくりすぎてもいけない。

一番大事なのは、子どもが腕を抜いたときに、それほど動かなくてもいいようにすること。子どもは肩をちょっと動かすだけで、スっと、上着から抜け出せるような感じになるように。子どもから受け取った服はハンガーに形を整えてかけておく。この部分はスムーズに。待っている間、お客様が気まずい思いをしないように。

授業が終わって家に帰るときも同じようにする。これがもっと難しい。上着を脱ぐときのように着るときも両腕を同時に袖に通さなければならないが、慣れていない子どもたちは一人で着るときのように片腕を先に最後まで入れてしまうからだ。

そうすると、もう一方の腕を通すときに袖をつかんでまごついてしまうことが多いため、上着を着せてあげるほうがかえって邪魔になってしまう。そういうときは、子どもの前に行って顔を見て話す。

「先生がこうするのは、君がいつか素敵なところに行ったときに自然とこういう対応を受けられるようにと思ってのことなの。もしかしたら、君がほかの人に先生みたいにしてあげることだってあるかもしれない。だからちょっと練習してみよう」

子どもは肩の力を抜いて自然に、両腕を少しだけ後ろにして立っていればいい。そうすれば私が上着を着せてあげる。スっ、タっ。

優しく上着をはおると今度は姿勢を整えるつもりなのか、気分がよくてなのか、子どもたちは肩をすくめる。初めてのときはどうにも気恥ずかしそうにしていた子どもも、何度か繰り返すうちに、教室に入ってくると自然と私に背中を向けるようになる。そのとき一瞬、笑顔になるのを私は何度か目撃している。そういう瞬間があるから、このサービスが好きなのだ。

ちょっとおばあさんの格言みたいに聞こえるかもしれないが、私は子どもたちが丁重に対応してもらった経験があれば、その先もずっと丁重に対応してもらえると信じている。やりたい放題にやれというのではもちろんない。

私の経験からいって、丁重に扱ってもらっている子どもは落ち着いて行動する。そして、そういう子どもはもっと丁重に扱ってもらえる。子どもがこういうことに慣れれば、落ち着きと丁重さを基本的な態度として身につけられる。落ち着いて行動し、他人に丁重に扱われること。そして、不当な扱いを受けたときは「おかしい」と感じられるといいと思う。実際に私が心から願っているのはそういうところだ。

もちろん1週間に1回、それも上着を着る季節にしかしてあげられないサービスの1つで、欲張ったことを言っているのかもしれない。もしかしたら、子どもたちはちょっとユニークな瞬間としか思っていないかもしれない。それでも、子どもに対する私の気持ちを表すのに非常に重要な儀式なのだ。

また、子どもに見てほしいと思ってやっている面もある。子どもは、よさげに見えるものは真似をするものだから、よいものを見せてあげたいのだ。この過程が、私を少しだけいい人にしてくれるような気がする。

マリア・モンテッソーリの『幼児の秘密』[※マリア・モンテッソーリ著、鼓常良訳、『幼児の秘密』、国土社(日本語版)]には「鼻をかむ授業」についての経験が書かれている。

モンテッソーリは「おもしろい授業」だと思ってハンカチの使い方などを教えたのが、子どもたちはまったく笑わずに耳を傾けて授業を聴いていただけではなく、授業が終わるとびっくりするほどの熱狂的な拍手で感謝したというのだ。

モンテッソーリは、もしかしたら自分が「子どもの社会生活における敏感な部分」に触れたのかもしれないと言った。子どもたちは鼻をたらして叱られるたびに自尊心が傷ついていたのに、そもそも鼻のかみ方を知らなくて苦労していたのだろう。子どもだからといって、鼻をすすり、鼻をたらしたままでいたいはずがないのだから、こうしたことを学べる機会がとても貴重だったのだろうという話だった。

このかわいくて切ないエピソードには大切なことが語られている。子どもも社会生活をしていて、品格を守りたいということ。100年余りが過ぎた今もそれは変わらない。一人の人として子どもにもメンツがあり、それを傷つけないよう努力する。子どもも他人に見える姿には気を遣い、時と場所に合わせて行動様式を悩み、失敗しないようにがんばっている。

ハユンのお母さんにお礼をすることがあって、ハユンに箱入りのイチゴを持たせたときのことだ。その時ハユンは私に「今イチゴ、高い時季じゃないですか?」と遠慮するように言いながらも、しっかり受け取っていった。あとでお母さんから聞いたところでは、ちょうど前日にハユンがイチゴを食べたがったのに、お母さんが高いからダメだと言ったのだと言う。9歳なりに私と社会的な会話をしたのだ。

1歳上のヒョンソンは、読書教室に来ると必ず手を洗って授業を受け始めるが、そのたびに「あの、お手洗いお借りします」と言う。いったいどこで聞いてきた表現だろう? 気になったが聞かないことにした。私にも礼儀というものがあるから。

9歳のギュミンはお菓子を食べるときに必ず片手を顎にそえる。お菓子のくずが落ちないようにというわけだ。気にしなくてもいいと言ってもやめない。それでもテーブルにくずが落ちると手にあったくずもテーブルに捨てる。それからさっさっとまた手に集める。

そのあとどうするか。床に捨てるのだ。止める暇もなく、迅速かつ確信に満ちた動きである。口元にお菓子のくずをつけたまま礼儀正しい表情で私を見るギュミン。私はギュミンが私のためにそうしたことがわかっているから床に捨ててしまっては意味がないとはどうしても言えなかった。椅子から立ち上がるときにふまないように気をつけてと言うだけだ。

子どもたちのこうした努力を見ていて改めて気づいたことがある。社会生活というのは決して自然なものではないということ。心のおもむくままにしていてはダメで、見て、学び、わざわざそうしなければならない。

そんな中でお菓子のクズを集めて床に捨てるような失敗をすることもある。そういうときは床を片づけてあげてから、あまりクズの出ないお菓子を用意してあげることが私の社会生活における役割だ。

以前、地方の小都市に旅行したときに古い書店に立ち寄った。さほど期待していなかったのに、思いのほか広くて快適なうえに本の広告や案内も感じがよくて、一回りしていると心地よい気分になった。

でも、入り口にある児童書コーナーは問題集とおもちゃなどが混ざっていてちょっとごちゃついた感じもあった。書店に家族連れが入ってきて、バラバラになったり集まったりしながら本を選んでいた。

5、6歳ぐらいの子どもがお父さんと相談して塗り絵と思われる本を手にして会計レジに立った。ところがお父さんが「支払いしなくちゃならないからパパにちょうだい」と言っても子どもは首を横に振るばかりだ。お父さんがまた「買ってあげるから。パパによこさないと払えないからね」と言うのを見ていて、もしやパパの気が変わって買ってもらえなくなったらどうしようと心配になった。

そのとき、私はその後もしばらく忘れられない場面を目にすることになる。エプロンをつけた会計レジにいた年配の店主が、子どもの目をのぞき込みながらこう言ったのだ。

「別にお会計されますか?」

子どもがこくりとうなずいた。店主は子どもから本を受け取り、父親の支払いを終えると、再び子どもに「別にお包みしましょうか?」と尋ねた。小さなお客様はそうしてほしいと言った。

「おっと、かわいいねぇ。何歳? 早くパパに渡してね」店主はそんなふうに言うことだってできただろう。お金を払うのは父親なのだから、父親の側についたほうがよかったかもしれない。もしかしたら、子どももなだめられればその通りにしたかもしれないし、おそらくそういう場合のほうが多いだろう。

だからこそ、書店で一人の客として丁重に扱われたことが、子どもの記憶にきっと鮮明に残るだろう。一度でも経験することが大切なのだ。そしてまた、そんなふうに対応する店主の姿にも品格があった。私に関して言えば、その書店への好印象はもっと確かなものになったし、入り口の児童書コーナーにも親近感を感じるようになっていた。

私は子どもの品格を守ってあげられる品位ある大人になりたい。子どもの前だけでそうしていると演技だとばれてしまうものだから、日頃からそういう人でありたい。

感謝をそのつど表現して、思慮深い言葉を使って、社会のマナーを守る人。世界が混乱して騒がしいときほど、無理をしてでも努力をするべきだ。心の中だけではできないから、私も見て学びたい。よき友人たちはこういうとき、どういうふうにしているか、キョロキョロ見回している今日この頃だ。

関連書籍

子どもという世界(かんき出版)
韓国で20万部突破! 多彩な色を放つ子どもたちとのエピソード集。柔軟で、奇抜な発想で見慣れぬ世界と向き合っていく子どもたち。ちょっとした危険ならば勇敢にたち向かって冒険を楽しむ子ども、どこまでも愛情深くやさしい子ども、大人の間違いをはっきり指摘する子ども…。特別個性的な子どもたちのエピソードを集めたわけではない。大部分の大人が、なんとなく素通りしてしまいがちな瞬間を、つぶさに見つめて心を込めて記録した一冊。