「自由」と「自分勝手」の違いを説明できますか? 夏目漱石から学ぶ「本当の自由」
「本当の自由」とはなにか、子どもに説明することはできますか?
自分の自由を大切にするあまり、他人の自由を奪ってしまったら、それは「本当の自由」と言えるでしょうか。
もしお子さんが、「自由」と「自分勝手」の違いに迷っているようであれば、ぜひ夏目漱石の考え方を教えてあげてください。
「自由」の本当の意味に触れる名作、「私の個人主義」の一部をご紹介します。
※本稿は、夏目漱石著、新井悦子編(巻末:樋口裕一著)『10分でおもしろい夏目漱石』(世界文化社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
夏目漱石
1867(慶応3)年生まれ。帝国大学英文科卒。英語教師を経て、イギリスに留学。1905(明治38)年、「吾輩は猫である」を発表し、大評判になる。その後、「坊っちゃん」「草枕」など次々と話題作を発表。1907(明治40)年、新聞社に入社して創作に専念。「三四郎」「こころ」など、近代日本を代表する数々の名作を著した。最後の大作「明暗」執筆中に胃潰瘍が悪化。1915(大正4)年、永眠。
新井悦子
長崎県佐世保市生まれ。筑波大学日本語日本文化学類卒。児童文学作家。絵本、紙芝居、月刊誌、昔話の再話などを執筆。絵本の作品に『にぎやかもりのツリーハウス』(フレーベル館)、『きらきらさがし』(岩崎書店)、伝記に『かしこい脳が育つ! 1話5分 おんどく伝記5年生』(世界文化社)等。日本児童文芸家協会理事、絵本学会会員、長崎短期大学保育学科非常勤講師。
社会にはばたく、若者たちへのメッセージ
「私の個人主義 」は、1914 (大正3) 年、「こころ」が書かれたのと同じ年に、学習院で、 学生たちに向けて行われた講演をまとめたものです。前半は「個性をのばす」ことについて、後半は「自分も他人も大切にする」ことについて述べられています。
この記事では、後半部分の要約から、「自由」と「自分勝手」の違いを考えるヒントをご紹介します。
要約版「私の個人主義」(一部抜粋)
あなた方は名のある大学を卒業して人よりも権力や金の力を手にする立場になるでしょう。次にお話ししたいのは、その権力や金の力の危険性についてです。
権力はともすると自分の個性を他人の頭にむりやり押し付ける道具になりえます。また金の力も自分の個性を広げるために、人をそそのかす道具にもなってしまいます。その力で他の人を自分の気に入るように変化させてしまう、非常に危険なものです。
私はいつもこう考えています。あなた方は自分の個性が発展(※勢いや力がのびていくこと)できるような場所に落ち着けるよう、自分とぴたりと合った仕事を発見するまでつき進まなけれな一生の不幸であると。
しかし自分がそれだけの個性を尊重しうるように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの個性を尊重するのが理の当然(※物事の筋道、道理に合った当然のこと)になって来るでしょう。それが必要でかつ正しいこととしか私には見えません。自分がもともと右を向いているから、あいつが左を向いているのは許せない、というのは理屈に合わないと思うのです。自分が人から自由を受け取っている限り、他人にも自由をあたえて、同等にとりあつかわなければならないと。
近ごろ、自我とか自覚という言葉を自分の勝手なまねをしても構わないという意味で使うようですが、その中にははなはだ(※非常に)あやしいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するようなことを言いながら、他人の自我についてはちっとも認めていないのです。
公平の眼をもって正義の観念を持つ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展していくと同時に、その自由を他の人にもあたえなければならないと私は信じて疑わないのです。我々は人が自己の幸福のために、おのれの個性を勝手に発展するのを、相当(※その物事にふさわしい程度)の理由なくして妨害(※じゃまをすること)してはならないのであります。
私はなぜここに妨害という強い言葉を使うかというと、あなた方は、名のある大学を出て妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。つまり、権力や金力を使える立場になる人がたくさんいると思えるからなのです。
話が少し横へそれますが、ご存じの通りイギリスという国は大変自由を尊ぶ国です。それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序のととのった国はありません。じつを言うと私はイギリスを好きではありませんが、事実だから申し上げます。あれほど自由で秩序の行き届いた国はおそらく世界中にないでしょう。
しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他人の自由を尊敬するように、子どものころから社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念がともなっています。
イギリスを手本にするという意味ではないのですが、要するに義務心をもっていない自由は本当の自由ではないと考えます。なぜなら、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在することができないからです。私はあなた方が自由であることを願っています。それと同時にあなた方が義務というものを十分理解することも願っているのです。こういう意味において、私は個人主義だと自信をもって言いたいのです。
個人主義という意味を誤解してはいけません。特にあなた方のようなお若い人に対して誤解を吹きこんではよくないのでよく注意して下さい。個人の自由はさっきお話しした個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなた方の幸福に非常な関係をおよぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、ぼくは左を向く、君は右を向いても構わないくらいの自由は、自分でももち、他人にもあたえなければなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私の言う個人主義なのです。
もっとおもしろい! 私の個人主義
たくさんの人にしたわれた漱石先生
教職についていたこともあった漱石。「吾輩は猫である」で作家デビューした後も、たくさんの人にしたわれ、弟子も大勢いました。家には人がひっきりなしに訪れたので、漱石は仕事がはかどりません。見かねた人が、面会日を毎週木曜日に設定します。「木曜会」とよばれ、たくさんの人がやって来ました。
会では、鏡子夫人の手料理がふるまわれたり、文学などが自由に語り合われたりしたようです。訪れた人の顔ぶれは多彩で、弟子の中には「羅生門」「蜘蛛の糸」などを書いた芥川龍之介もいました。木曜会は、漱石が亡くなる直前まで続けられました。
未完の絶筆「明暗」まで
「私の個人主義」の元になる講演が行われたのは、漱石が亡くなる2年前です。講演の後、「硝子戸の中」というエッセイ、自伝ともいえる「道草」を書き上げ、「明暗」を書いている最中に亡くなります。
1916(大正5) 年、夏目漱石が49歳の時のことでした。38歳で作家デビューしてからおよそ10年の間、数多くの作品を世に送り出しました。
関連書籍
近代日本を代表する作家・夏目漱石の名作を7品収録。
子ども向けの定番「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」、「こころ」「夢十夜」など、1話10分で読めるよう、マンガと文章で再編しました。
▲マンガ「坊ちゃん」より
大人になってからもくり返し読みたい、名作との出会いをとびきりおもしろく!
各作品のコラムでは、もっと深く読みたくなるその魅力を伝えます。
巻末には、自分の気持ちや考えを表現できる「読書感想文の書き方アドバイス」付き。