「東大理IIIに逆転合格」を引き寄せた賛否両論の数学攻略法

和田秀樹
2024.05.17 12:10 2024.05.14 10:20

算数の問題を解く小学生

精神科医の和田秀樹さんは、かつて名門中になんとか入学するも周囲のレベルについていけず落ちこぼれでしたが、自ら勉強法を見直すことで成績が急騰、見事に東京大学理科三類に合格した経験を持ちます。

後に自らの勉強法を著書『受験は要領』に著し大ベストセラーとなりましたが、そのなかで示された「数学は解かずに解答を暗記せよ」といういわゆる暗記数学は、当時の常識を覆し受験生や教育関係者から大いなる称賛と同時に批判をも集めました。

現在は代表を務める「緑鐵受験指導ゼミナール」では毎年無名校から東大合格者を出すなど、受験指導でも結果を出す和田さんの核となった「暗記数学」とはどんなものでしょうか? またどうやった生まれたのでしょうか? 

※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです

灘中に受かったものの、中学では劣等生に

私は幸いにして、小学校のころはずっと勉強のできる子どもで通しました。3年生のときにソロバンをやっていたのがよかったのか、計算がとても速くて正確でしたので、算数の試験ではいつも満点を取っているような子だったのです。

6年生のときに、中学校受験のための塾に入りましたが、そこでも算数の成績が非常によかったため、名門といわれる灘中を受けることにしました。不安もありましたが、受験塾の先生は、「灘中に入ったらトコロテン式に東大に入れる。だからいまはとにかく死に物狂いで勉強しろ。灘中に入ってから遊べ」と言っていましたので、私はその言葉を素直に信じて、必死に勉強をしました。いざ灘中を受けてみたら、五番で合格することができました。

ところが、灘中に入ってから、私は全然勉強をしなくなりました。受験塾の先生が言っていたことを本気で信じてしまって、「灘中に入りさえすれば、楽ができる」と思っていたのです。

成績はみるみるうちに下がりました。英語は、基礎がまったくできていませんでしたから、ビリのほう。得意だった数学ですら、中一の終わりには真ん中より下になっていました。小学校のときには算数の模擬テストで何度も西日本一番になったこともあったので、これは非常にショックでした。

もともと灘中にはできる子たちが集まっていますし、中一の段階で英語も数学も中三の教科書を終えてしまうような勢いの学校ですから、当たり前といえば当たり前です。

そんなときにハタとまわりを見渡してみると、親が東大出、京大出であるとか、親が医者であるとかいった子どもは、みな成績が上のほうでした。逆に、私のように親が必ずしも高学歴でない子どもは、みな下のほうだったのです。

それを見たときに、「小学校のときにはまぐれで勉強ができたのかもしれないけど、中学に入れば素質がモノをいうんだ」ということを私は感じました。「勉強は素質だ」と考え始めてしまうと、私の場合、両親とも学歴が高いとはいえないので、すっかり勉強をする気もなくなってしまいました。そんなことから、成績は下がる一方でした。

勉強ができる人じゃなくても英語は話せる!

しばらくはそんな状態が続きましたが、どこかに危機意識があったのか、あるとき、ふと「もしかしたら、素質とは関係のない科目もあるのではないだろうか」という考えが頭に浮かんできました。

「英語というのは、アメリカやイギリスに生まれたら、どんな人でもしゃべれるし、読み書きもできる。だから、英語は素質じゃないはずだ!」

本当は、アメリカでも英語の読み書きができない子どもがいっぱいいるということを後で知りましたが、当時はそう思ったのです。

「英語は、素質がなくても勉強をすればできるようになるはずだし、日本では英語がしゃべれるだけで何とか食べていけるから、いずれ留学でもしよう」と考えるようになり、中二からは英語だけは勉強するようになりました。

それ以降、勉強するようにはなったものの、それでも英語力が友だちに追いつくレベルになったのは、中三の半ば過ぎになってからでした。2年近くかかってようやく追いついたというわけです。その一方で、得意だったはずの数学に関しては依然として低迷を続けていて、170人中130番から140番くらいの成績でした。

勉強法を変えたら、勉強がどんどんできるようになった

高校に入ったときには、英語だけはかなりできるようになっていましたので、高一のときに留学試験を受けてみました。

この試験は、高一でも高二でも受けられるオープンな試験でしたが、高二で受けると、高三で留学をして高三に戻ってくることになり、確実に1年留年することになりますので、大学受験に間に合うようにと考えて高一のときに受けてみたのです。この留学試験は私のほかにも同級生二人が受けましたが、残念ながら三人とも落ちてしまいました。やはり、高二の人にはかなわなかったということです。

翌年、高二になったときに、私以外の二人は再びこの留学試験を受けて合格しています。私はというと、高二のときには受けませんでした。高二になってからは、英語以外の科目もできるようになってきたので、現役で大学受験をしないのはもったいないという気持ちになったからです。

高二のときにできるようになった科目というのが、それまでさんざん苦しめられた数学でした。

では、なぜ急に数学ができるようになったのかといいますと、勉強のやり方をガラリと変えたからです。私の書いた受験本を読んでいただいている方には、いまや、すっかり有名になっている「暗記数学」というのがそれです。

「数学」と「暗記」ということが、すぐに結びつかない方も多いでしょうから、どうしてこのようなやり方が生まれたのかをご紹介しましょう。

「暗記数学」はこうして生まれた

私の通っていた灘中は中高一貫教育ですから、中二の途中には中三の教科書を終えてしまい、中三では、高一や高二の教科書を勉強するようになります。高校に入ると、高一の段階ですでに大学入試問題レベルの演習が始まるというような学校です。

数学の演習の授業では、週に3回、前の黒板と後ろの黒板を使って、2日前に出された宿題10題を、当てられた子が一人一問ずつ解いていきます。難しい問題ですので、できる子だけが宿題をやってくることになり、できない子は当てられたときに、できる子のノートの答えを黒板に写すしかないというのが実状でした。

ここで教わった問題や似たような問題は中間テストや期末テストにも出題されます。ところが、このテストというのが、50分間で10題も解かなければいけないようなテストなのです。まともに解いたら1問20分くらいかかる入試レベルの問題が10題も出されるのですから、やり方と答えを覚えていくほかはありませんでした。やったことのある問題か、それに似た問題を大量にできるようにすれば、受験数学に立ち向かえるようになるというのが教師側の発想だったのでしょう。

そんなときに、同級生の一人が、優等生の数学のノートをうまく編集し、それをコピーして売り始めるようになったのです。世の中には、人のニーズをうまく読みとる賢い(?)人もいるものです。「これはありがたい」と思い、私はそのコピーを買って、せっせと解法(解答までの問題の解き方)を覚えていきました。

この方法で中間・期末テスト対策を続けていて一番驚いたのは、コピーを売っていた同級生の成績でした。もともと数学ができなかった彼が、模擬試験でも数学で非常にいい点を取ったのです。解法のコピーをつくるために、優等生の解答を書き写して、自分なりにわかりやすく編集しているうちに、数学の解法をたくさん覚え、自然に数学ができるようになっていたのだと思われます。

私のほうも、数学の解法暗記は苦手ではなかったので、そのコピーを暗記しているうちに中間や期末では満点に近い点が取れたのですが、やがて、不思議なことに模擬試験の数学でも急に点数が伸びたのです。

そんな体験をしたことから、私は「解法パターンを暗記していったら、数学はできるようになるはずだ」と考えるようになり、それからはものすごいスピードで、『チャート式』などいろいろな問題集の解法と答えを覚えていきました。

すると、高二の半ばから終わりぐらいにかけて、数学の成績が急速に上がっていき、ハイレベルの思考力を問うとされる東大入試型模試の数学でもかなりいい成績を収めるようになりました。

小学生のときに身につけた計算力が私を救ってくれた

「暗記数学」がこれほどの効果をもたらしたのには、二つのポイントがあったと私は考えています。

一つは、解法パターンや解答を暗記するときに、ただ単に暗記するのではなく、一つずつ理解しながら暗記をしていったということです。

これに関しては、コピーをつくってくれた同級生に感謝しなければなりません。彼は、優等生の解答を写して編集する段階で、自分が読んでわからない解法については、わかりやすく書き直してくれていたのです。ですから、その解答コピーは、読んでいて非常に理解しやすいもので、覚えやすかったのです。そういう点では、非常にラッキーでした。

理解しながら覚えていくと、次第にたくさんの解法パターンのストックができます。

すると、他の参考書や問題集の答えを読んでいても、簡単に理解できるようになっていきました。そしてよく理解できると、暗記もしやすくなるものです。

このようにして、「理解できるから暗記しやすくなり、暗記した豊富なストックがあるからいっそう理解しやすくなる」という好循環が生み出されていったのです。これが数学力を飛躍的に高めることにつながっていったと考えています。

要するに、「理解しながら覚える」ということが「暗記数学」の重要なポイントなのです。

ただし実際の模擬試験や入試問題では、「暗記数学」で覚えたとおりの問題が出るわけではなく、ひねったり、改変したり、組み合わせたりしたような問題が出ます。それでも、「暗記数学」で解法パターンをたくさん身につけていると、ある問題が出たときに、「たぶんこの解法でいけるだろう」ということを試してみることができるのです。

そのやり方で解ければそれでOK。もし解けなければ、すぐに別のやり方を試すのですが、受験数学のレベルであれば、何回か試しているうちにほとんどの問題で答えは出るようになっているものです。

小学校で身につける基礎的な計算力がきわめて重要

この「暗記数学」を行ううえで、私にとって非常に役に立ったのは、基礎的な計算力でした。小さいころにソロバンをやっていたおかげで、計算だけは速くて正確だったのです。ソロバンの珠が頭の中に浮かんできますから、計算することはまったくおっくうではありませんでした。

そのために、一回目の解法パターンで解けなくても、すぐに二回目の解法パターンにトライでき、人より短時間で何種類ものやり方を試すことができたのです。

計算が遅い人や、計算が不正確な人は、おそらく一回目のやり方でできないと、「もういいや」とあきらめてしまう確率が高くなっていたのではないでしょうか。

そういう意味では、「暗記数学」を支えてくれていたのは、実は「計算力」だったということになります。

一般的には、「計算力」を身につけても、「思考力」は身につかないと思われがちですが、私はそうは思いません。計算力がしっかりしている人のほうが、短時間で何度もいろいろな解法を試せますので、はるかに思考力も鍛えられるのです。

いずれにしても、「暗記数学」の効果を上げる支えとなり、数学ができなかった私を最終的に救ってくれたのは、小学校のときに身につけた「計算力」だったということは間違いありません。小学校での勉強をおろそかにしてはいけないということを、私は身にしみて感じています。

この「暗記数学」と、そこから応用して考えた「暗記物理」のおかげで、成績は飛躍的に伸び、最終的に現役で東大理Ⅲ(医学部進学課程)に合格することができたというわけです。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪市生まれ。東京大学医学部卒。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て、現在、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長、立命館大学生命科学部特任教授 。代表を務める「緑鐵受験指導ゼミナール」では毎年無名校から東大合格者を出し話題に。1987年のベストセラー『受験は要領』をはじめとして、精神医学・心理学・受験関連の著書多数。

勉強できる子が家でしていること 12歳までの家庭教育マニュアル

『勉強できる子が家でしていること 12歳までの家庭教育マニュアル』(和田秀樹 著、PHP研究所刊)

著者は学生時代、「勉強は素質だ」とあきらめていたところ、勉強法を変えることで成績が伸びて、東京大学に合格した経験があります。「子どもに合わない勉強法で劣等感を持たせるよりも、子どもに合ったやり方を見出して勉強をさせれば必ず伸びる」というのが、著者の強い信念です。それができるのは、家庭の働きかけがあってこそ。

中学受験する子も、しない子も! 子どもにとって“最後の砦”といえる、家庭で心得ておきたい「令和版・和田式勉強法」をお届けします。