本当の『親の責任』とは? 子どもの自分らしさ奪う“親中心・親主導の子育て”

斎藤裕, 斎藤暁子

子どもは、親の期待に応えようとするあまり、「本来の自分らしさ」を抑え、「いい子」を演じてしまうことがあります。「親に認めてほしい」「がっかりさせてはいけない」と責任を感じ、多くの我慢をしてしまう。

そのような環境の中で育って親になった私たちが、「自分と同じ苦しみを我が子には味わわせたくない」と願ったときにすべきこと。それは、「いい子の自分」を手放し、本当の自分を取り戻すことかもしれません。

これまで多くの親子関係の悩みに寄り添ってきた、元・精神保健指定医の斎藤裕先生と、心理カウンセラーの斎藤暁子先生。

お二人による共著『ママ、怒らないで。(新装改訂版)』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、子育ての負の連鎖を断ち切るための救いとなる一節を、抜粋、編集してご紹介します。(編集:nobico編集部 中瀬古りの)

※本稿は、斎藤裕, 斎藤暁子著『ママ、怒らないで。(新装改訂版) 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から一部抜粋・編集したものです。

子どもをつくった親の責任とは?

『抱っこして』と言えて、『はい、おいで』とニーズが満たされる。そんな普通のやり取りが許されていてほしい――私は、そういうものが『子どもをつくった親の責任』である、とお伝えし続けています。

どうして『子どもをつくった親の責任』について強調するのかというと、AC(アダルト・チルドレン)を育ててしまう機能不全家族(※親としての責任と機能が果たされていないために、子どもが子どもらしく生きることのできない、安全・安心感のない家族のこと)が多いのは、『子どもをつくった親の責任』とは何なのか、その重要な中身が吟味されないまま、親中心・親主導の子育てが受け継がれているためだと考えているからです。

そして、『子どもをつくった親の責任』が切り離されているため、子どもの問題は子ども自身に問題があるのだと考え、その背景にある機能不全家族の影響についてはなかなか認識されません。

社会においても、症状や問題というのは、たいていその人自身の問題としてしか扱われず、根本的な原因にまでつながらないことで、改善・解決が困難になっているのです。

私のもとに相談にこられた方の中で、”あなたにとって『親の責任』とは?”という質問をご自身の親御さんに問いかけたという方がいました。それに対し、親御さんは、ご自身が行った『養育』、『教育・躾』の結果、子どもを一人前の社会人にしたという意味で、責任を果たしたのだと答えられました。

次にその相談者の方は問いました。

”あなたはなぜ子どもをつくったのですか?”

それに親御さんは答えました。

『なぜって、結婚したら家族が増えるのは当たり前でしょう』、『欲しかったから』、『そんなことより、親は親なりに必死に育ててきた。産み育てた親に感謝はないの?』と。

子どもが『お父さん、お母さん、私を産んで(私をつくって)』とお願いしたのではありません。ですから、子どもが親に甘えるのは、”親によって生まれさせられた(I was born by my parents)”子どもの当然の権利ですし、”子どもをつくった”親には子どもの欲求を満たす責任があるのです。

責任を子どもに負わせる親

しかし、『親の責任』の意味を、それぞれの解釈でとらえてきた結果、多くの親たちは過酷なまでに子どもに責任を負わせてきてしまいました。

それがどのような親なのか。いくつものパターンがありますが、その一部を紹介したいと思います。

・人生の選択に自分の意志を持たない親
『私は本当はお父さんと結婚したくなかったけれど……』と自分の不幸を「望まぬ結婚のせい」にし続ける母親は、自身のネガティブ思考に執着して子どもの同情心を誘うことで、子どもに愚痴の聞き役や世話役をさせる。
そして、何か問題が起これば『この結婚が間違いだった』と言い、「結婚した」「子どもを産んだ」という事実を誰かのせい何かのせいにして、責任を回避する。

・理想や期待を子どもに押しつける親
自尊感情や自己評価が低く、挽回したい自分の人生を子どもに託しながら、理想や期待を子どもに押しつける。

・親代わりをさせる親
弟妹の世話役や面倒見役・家事など、本来子どもをつくった親が責任を持って果たすべきことを、子ども(特に長女)に負わせる。

・老後の世話を期待する親

親に責任を負わされた子どもはどうなる?

一方で、責任を負わされた子ども側の立場を見てみましょう。カウンセリングの場では、そのような子ども側の方からは、『本当は嫌だった』という気持ちや記憶が出てきます。その一部を紹介します。

・親の心配をいつもしなければならないのがつらかった
『親の愚痴や心配事を聞くと、うちは大丈夫なのかとても不安になった』
『自分が母親を守らなければと思って、相手(父・祖父・祖母など)に立ち向かったが、本当は怖かったし、やりたくなかった』
『母に機嫌よく、幸せに過ごしてほしいと思う気持ちが強く、母が喜ぶことばかりをし、自分のことは我慢してばかりだった』

・理想や期待を押しつけられた
『母の理想から外れると、否定的な母の表情が露骨で悲しくて、希望の進路をあきらめた』

・弟妹の世話が嫌だった
『自分の自由な時間がないばかりか、兄弟トラブルの責任を負うのも長女(長男)の自分。弟妹の相手をしたくないと言っても、“あんたがやらないと誰がやるの? お母さんが仕事をしないと生活できないよ”と言われ、逃げ道がなかった』

・両親の離婚が怖かった
『”本当は離婚したいけど、子どものためにしないんだ”と言われ、自分のせいで家族が壊れないよう、がんばっていい子にしていなければというプレッシャーと恐怖を抱えていた』

子どもはどうして責任を負ってしまうのか

親がどんな理由を並べても、無力な子どもにとって、負わなくていい責任を負わされ、子どもらしく生き生きと過ごさせてもらえないことで被る影響は、どれも理不尽で有害なものです。にもかかわらず、どうして子どもは責任を負ってしまうのでしょうか?

その理由をいくつか挙げてみたいと思います。

・子どもは親の愛情と承認が欲しくてたまらない。

・生まれたときから一定の時期までは、子どもは衣・食・住のすべてにおいて親に依存しなければ生きていけず、必要なものを与えてくれる親を理想化する。

・親子は力関係が歴然としていて、力の差が大きいほど、子どもにとって「親は強大」である。そのため、つねに「親は正しい」と思い込むことで、親の価値観・信念・信条だけでなく、理想や期待までも強迫的に取り入れる傾向にある。

・「親の理想や期待に沿わないとき」、「親の機嫌が悪いとき」、「子どもが自己主張するなど親にとって都合が悪いとき」、親が表す不快感や怒りの態度や言動などによって罪悪感を植えつけられる。

・親からの虐待的な仕打ちで尊厳を踏みにじられ、自尊心をはぎ取られる、といった恐怖や不安を与えられた場合、子どもは親に従わざるを得ない。

親中心・親主導の子育てをやめる

人は、『誰かのせい』『何かのせい』にして責任を負うことを回避する傾向があります。その犠牲になるのが子どもか、その家族や兄弟姉妹のなかの弱者です。

犠牲になりながら、その中で何とか生き抜くために、”自分”をなくして”親にとってのいい子”を生きていると、”自分”というものが育ちません。”自分”がなければ、大人になっても親や他人・世間の価値観や信念・信条を取り入れ、それに依存します。

人は自分の深いところから湧いてきた信念や自発的な意志による選択・決断ではないものに、責任をとろうとはしません。そのような親子関係や生き方が改善されることなく連鎖されているのです。

日本の家族の多くでは、子どもをなぜつくったのかという親の責任は切り離されて、「跡継ぎのため」、「老後の面倒を見てもらうため」、「自分の親を喜ばせたいため」、「自分の親に認めてもらうため」、といった親の都合が優先されます。

また、不平等な親子関係に気づくことなく、『親に感謝すること』や『子どもを育てる親の苦労』ばかりを意識させる子育てが受け継がれていることも、子どもが責任を負ってしまう原因のひとつです。

そのような環境の中でママやパパになった私たちは、そうして失われた本来の自分らしさを取り戻すことが必要です。

同時に、わが子の”その子らしさ”を奪ってしまわないように、親中心・親主導の子育てを見直すこと、譲るべき主役は子どもに譲ることが望まれます。

【著者紹介(五十音順)】

ママ、怒らないで。

ママ、怒らないで。(新装改訂版) (斎藤 裕, 斎藤 暁子著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

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