世界中で知られる詩「子は親の鏡」はなぜ生まれた? 最後の一文に作者が込めた知られざる願い
「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」
「誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ」…
長年、多くの親たちの子育ての指針として愛されてきた詩「子は親の鏡」。
この詩は世界中に広まるにつれて、時に作者不明とされ、意図せぬ改変が加えられたこともありますが、作者はアメリカのドロシー・ロー・ノルト博士です。
ドロシー博士は世界各国で愛読された大ベストセラー『子どもが育つ魔法の言葉』の著者として知られ、2005年にこの世を去るまで40年以上にわたり子育てを説き、悩める親たちを励まし続けました。
「子は親の鏡」はいつ、どんなきっかけで生まれたのでしょうか? そしてドロシーさんがこの詩に込めた本当の願いとは? 著書『子どもが育つ魔法の言葉』より、詩の全文とともにご紹介します。
※本稿は、ドロシー・ロー・ノルト著、レイチャル・ハリス著、石井千春訳『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP研究所)から一部抜粋・編集したものです。
子は親の鏡
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
詩「子は親の鏡」の生い立ち
――ドロシー・ロー・ノルト
詩「子は親の鏡」を書いたのは、1954年のことです。当時わたしは南カリフォルニアの新聞に、豊かな家庭生活についてのコラムを連載していました。わたしには、12歳の娘と9歳の息子がいました。地域の公開講座で家庭生活に関する講義を行ない、保育園で子育て教室の主任を務めていました。後に、この詩が、世界中の人々に読まれることになるとは、まったく予想だにしていませんでした。
わたしは、詩「子は親の鏡」で、当時の親御さんたちの悩みに答えたいと思っていました。どんな親になったらいいのか、その答えをこの詩に託したのです。50年代のアメリカでは、子どもを厳しく叱ることが親の役目だと思われていました。子育てで大切なのは、子どもを導くことなのだと考える人はあまりいなかったのです。
子どもは親を手本として育ちます。毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響力を持つのです。わたしは、詩「子は親の鏡」で、それを表現したかったのです。
この詩は、長い間、様々な形で人々に親しまれてきました。アボットラボラトリー支社ロスプロダクツによって、詩の短縮版が病院で配布されました。そして、新しく親になる何百万人というお母さん、お父さんに読まれてきました。この詩はまた、十カ国語に翻訳されて世界中で出版されました。そして、子育て教室や教員セミナーのカリキュラムの一部として、教会や教室で使われてきました。この詩が、親御さんたちのよき道案内となり、励ましとなってくれればとわたしは願ってきました。わたしたち親は、子育てという、人生で一番大切な仕事に取り組んでいるのです。
一方で、詩「子は親の鏡」は、初めて出版されて以来、わたしの意志とは無関係に、独り歩きしてしまいました。意味を取り違えた書き替えや引用はもちろんのこと、商業的に利用されたこともありました。あるとき、本屋で、こんな文句を目にしたこともあります。
「本にかこまれて育てば、子どもは知恵を学ぶ」
詩のタイトルも、いろいろとつけられました。たとえば、「子どもの信条」「親の信条」「子どもが学ぶこと」。日本では、「アメリカインディアンの教え」とされました(この詩はアメリカインディアンの子育ての知恵を説いたものだと誤解されてしまったのです)。それでも、詩「子は親の鏡」は、生きのびてきました。
こんなふうに自分の詩が独り歩きしてしまっているのを、わたしはしかたのないことだと思ってはいました。でも、どうしても譲れないと思ったこともありました。たとえば、詩の最後の行をこう書き替えてあったのです。
「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世に愛を見いだせるようになる」
この世には愛がある、その愛を探し求めよ、というのはおかしいのではないかとわたしは思います。愛とは、わたしたち自身の心のなかにあるものです。心に愛のある人が愛を生み出すことができるのです。そして、その愛が、人から人へと伝わっていくのです。愛とは、財宝や富のように探し求めるものではありません。わたしのオリジナルでは、詩の最後は、
「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」と記してあります。
わたしは、子どもたちが人生の荒波にもまれても挫けず、希望を持って生きてほしいという願いをこめて、この最後の一行を書いたのです。
詩「子は親の鏡」を、皆さんがこの先何かの雑誌で目にしたり、どこかの壁や誰かの家の冷蔵庫に貼りつけてあるのを見かけたりしたら、こんな詩の背景を思い出してください。たとえ「この詩は作者不詳」と書いてあったとしても。
『子どもが育つ魔法の言葉』(ドロシー・ロー・ノルト著,レイチャル・ハリス著,石井千春訳,PHP研究所刊)
認めてあげれば、子どもは自分が好きになる。――世界37カ国の親たちを励ました、個性豊かで挫けない子どもを育てるための知恵と言葉。