「子どもを叱ること」に潜む依存性の怖さ なぜ負のループから抜け出せなくなるのか?

村中直人

子どもを「叱る」ことはたくさんあるでしょう。しかし、相手が変わらないのに「叱る」ことを繰り返していませんか?
誰にでもハマる可能性があるそうですが、この負のループから抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。

臨床心理士の村中直人氏と、立教大学経営学部教授の中原淳氏の対話を『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介します。

※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部抜粋・編集したものです。

誰でも「叱る」ループにハマる可能性はある

【村中】〈叱る依存〉という現象は、性格や気質的な問題によるものではないと私は考えています。脳神経の仕組みから考えると、誰もが当事者となり得るんです。

ドーパミンが報酬系回路から放出される、と言いました。実は報酬系回路は、報酬を得たときに働くところから、だんだん「報酬を予想したときに働くようになる」性質があります。つまり、最初は叱ったときに充足していたところから、だんだん「叱ってやったら変わるだろう」と叱ることに執着するようになっていく。その繰り返しのメカニズムは、正真正銘の依存症である薬物の効能などとよく似ているのです。

【中原】だから、「叱らずにはいられない」「わかっちゃいるけどやめられない」状態になっていくわけですね。

効果がないにもかかわらず、叱らずにはいられない

【村中】叱った瞬間、叱られた側はたいていの場合、シュンとして謝ったり、行動を変えたりしますよね。

それを見て叱った側は「自分の行為には影響力がある」「自分が叱ったことで変化した」という感覚を抱きます。ところが、叱られた側が謝ったり殊勝な態度をとったりするのは、「早くこの危機的状況を切り抜けたい」という動物的な反射によるものであって、本当の行動変容ではないんです。ですから、結局また同じことが繰り返されます。

【中原】わかります、わかります。叱責されると人は萎縮するので、叱った側は効果があったように勘違いするけれども、実際のところそれは行動補正にはならない。

【村中】はい、そこで「なんだ、全然わかっていないじゃないか」とまた叱りたくなる。効果がないにもかかわらず、叱らずにはいられなくなっていきます。

他人を変えようとせず、自分が変わる

【中原】その「叱る」ループに、僕自身、保護者としてハマりかけたことがあります。

息子が思春期のころ、息子のある行動が気になり、よく叱っていた時期がありました。叱った直後はちょっとシュンとしているものの、結局何も変わらない。だからまた叱る。「叱る→変わらない」「叱る→変わらない」「叱る→変わらない」という不毛なやりとりを繰り返していました。自分自身、いいかげんこれではダメだとわかりそうなものなんですが、そのときは感情が支配しているのでループから抜け出せず、しばらく同じことをつづけていたんです。

ただ、さすがに気がつきました。対人関係において、数回、相手に対して行動してみて、相手が受容してくれないものは、いくら、繰り返してもダメなのです。アプローチを変えなければならない、と。すぐに思ったのは「息子を変えようとしないこと」です。「これ、息子を変えるんじゃなくて、自分が変わったほうが早いんじゃないか」と思ったんですね。相手のことは変えられなくても、自分なら変えられる、と。そこで僕自身が姿勢を切り替えることにしたんです。「もうこのことで叱ることはない。ただお前が変わろうとする気があるなら相談にのる」と言って、叱るのをパタリとやめました。

すると、彼に変化が起き始めました。結局、定着するまでは1年くらいかかりましたけど、でも、その間は何も言わなかった。自分でやり方を決めて、自分で実行することになりました。あのままループにハマっていたら、僕も〈叱る依存〉になりかねなかった、気づけてよかったという体験があります。他人を変えようとせず、自分が変わる。自分が変われば、対人関係においては、相手が自ら変わることもある。そういうことなのかな、と思います。

誰でもハマる可能性があるということを自覚する

【村中】負のループって、誰でもハマる可能性があるんです。〈叱る依存〉というのは一部の人だけがなってしまうものではない、人にはそういう心性が備わっているということに、私たちは自覚的である必要があります。

「叱れば人は育つ」は幻想

「叱れば人は育つ」は幻想』(村中直人著/PHP研究所)

「叱らなければ人は育たない」という呪いから、なぜ抜け出せない? 各界の識者との議論から〈叱る依存〉社会からの脱却法を模索する。