偏差値38からの大逆転で「まさか受かるとは思わなかった」 親も驚いた息子の“中受“への情熱
必ずしも志望校へ入れるとは限らない中学受験。しかし、子どもの強い意志と努力が、時に両親の想像を超えた奇跡を起こすこともあります。
中学受験のリアルな体験談を、ジャーナリストの宮本さおりさんの著書よりご紹介します。
※本稿は宮本さおり著『中学受験のリアル』(集英社インターナショナル)から一部抜粋・編集したものです。
偏差値38から憧れ校を目指した少年
3人に1人。これは、首都圏の中学受験で第一志望に合格する子どもの割合としてよく使われる数字だ。受験を控える家庭を見ていると、ギリギリまで志望校選びに悩むケースも多い。本人が志望する学校が、もしも成績が到底及ばないチャレンジングな学校だったら、あなたならどうするだろうか。しかし、子どもの成績はいつ伸びるかわからない。中学受験では、時に親の想像を大きく超えてくることもある。
都内で暮らす当時中学1年生の村田翔馬君(仮名)は、中学受験で大学付属の男子難関校に合格した。憧れの学校の制服に身を包む姿は誇らしげだ。
実は翔馬君、小学6年生の5月に転塾を経験、このときの偏差値は38だった。しかし、最終的に彼が勝ち取ったのは、それをはるかに超える偏差値帯の学校だ。
「まさか受かるとは思わなかった」
と父親も驚く中学受験の道のりは、どのようなものだったのか。
中学受験を目指す家庭の増加の要因の一つに都立中高一貫校の存在がある。公立のため、私立のような高額な学費はかからず、私立中高一貫校並みの教育が受けられるというのが魅力だ。今回インタビューをさせてもらった村田家も、〝公立狙い〞で受験を目指した家庭だった。通学圏内に有名な都立中高一貫校があるため、なんとなく「受けてみようか」と中学受験塾への入塾を考え始めた。
「4年生まで水泳などの習い事をしていたのですが、そろそろ勉強系を始めさせたいよねという話が夫婦の間で出たのもきっかけでした」
そう話すのは、父親の慎吾さん(仮名)だ。千葉県出身の慎吾さんは自身も中学受験の経験があった。
第一、第二志望校は不合格、第三志望に受かったが、高校受験をすることを選び、地元公立中に進んだという慎吾さん。「中学での成績は比較的よく、あれは中学受験を経験していたからではないかと。だから、息子もチャレンジさせてみるのもいいかもしれないと思ったんです」
塾探しを担当したのは母親の温子さん(仮名)だった。村田家は夫婦共にフルタイム勤務のため、塾選びにはそのことも考慮したようだ。
初めに門を叩いたのは早稲田アカデミーだったが、お弁当がいることがひっかかり断念。次に、中堅塾として校舎を増やしている臨海セミナーを訪れたが、近くの校舎の場合、今からでは「高校受験の準備クラスにしか入れない」と言われてしまった。
候補として残ったのが都立中高一貫校受検に強いと評判のある塾、エナ(ena)だった。5年生の4月に入塾、私立入試の場合、小3の2月入塾というのを標準とする塾が多いのだが、都立中高一貫校を目指すコースでは、5年生クラス(4年生2月開始)から始まるところも多くある。
やや遅れての入塾だったが、同じ小学校の子もいたためか、塾にはすぐになじめたようだ。
都立中高一貫校の入試は私立の受験とは異なり、表記も「受検」と書く。問題形式も随分と違う。試験は国語、算数、理科、社会といった教科ごとに分かれておらず、適性検査と呼ばれるテストが行われる。
東京都の場合は長文を読んで問題に答える検査と、グラフや表などから情報を読み取り、問いに答えていくような検査の2種類がある。いずれも、いくつもの教科の知識と思考力を総動員して解くような問題が組まれている。また、ほとんどの学校で作文が課されるのも特徴だ。どの検査の勉強も、大人になってからの生きる力に繋がるものだと父親の慎吾さんは感じたという。
「作文は大学で論文を書くのに役立つでしょうし、これからの世の中、総合的な思考力も生きるうえで必要になるはずです」
だが、入塾当初の成績は、以前から塾に在籍する子には及ばず、まったく振るわなかった。同じ学校と塾に通う成績トップの同級生に、 「お前には、いつか追いつくからな!」と、威勢よく話しかけていた翔馬君だが、鼻で笑われる始末。しかし、コツコツと勉強を続けていくうちに成果が見え始める。5年生の冬になると、都立中入試を目指す子どもが受ける模試で偏差値56とまずまずの成績を残せるようになっていたのだ。
気がつけば、通っている塾の校舎での順位も10番以内に入っていた。志望校に据えていた都立中高一貫校の偏差値は58(四谷大塚)。「このまま頑張れば、受かるのでは?」。親子共に期待が膨らんだ。
5年生の冬、一つ上の先輩たちの受験シーズンがやってきた。「来年は、自分があの場所に立っている」。偏差値の上がった翔馬君は、明るい希望に包まれたまま、上級生の様子を見守っていた。そんな中、親の耳に入ってきたのは厳しい現実だった。「塾の先生から『今年は合格者が少なかった』と聞きました」(慎吾さん)。同じ校舎からは30人ほどが受検したが、合格したのはたったの3人だと聞かされた。受検すると言っていたママ友の子も、蓋を開けてみれば地元の公立中に入学していた。慎吾さんは、かつて自分も経験したこととはいえ、突然、過酷な現実が息子の目の前に現れたような気がした。
2年間、必死に勉強した結果を不合格で終わらせてしまってよいのだろうか……。上級生の結果を受け、村田夫妻の間では、志望校についての話が頻繁に出るようになった。「落ちたら地元の中学に入り、高校受験を目指せばいいじゃないか」という、都立中受検を決めた当初の気持ちが揺らぎ始めた。
「いろんな学校を受けられる私立と違って、都立は1回しかチャンスがありません。本当に都立1校に絞っていいのかと、悩み始めたんです」(慎吾さん)
月謝はもちろん、合宿や特別講習など、かけるお金もばかにならない。これだけやって、併願ができないのは悔しくないか……そんな思いもよぎるようになっていた。
「もし、インフルエンザにでもなったら、即アウトです。学区的にもそんなに中学受験をする子どもが多い地域ではないため、落ちた時には、“あの子は落ちて地元中に入った“と周りにわかってしまう。そこも本人にどう影響するか、気がかりでした。」
悩んでいたのはチャレンジできる回数の問題だけではない。翔馬君は提出物などの忘れ物が多く、それほど優等生タイプでもない。当然、学校の通知表も優等生とまではいかない。共働き家庭であっても、忘れ物がないように、目を配ってフォローできる親もいるが、夫婦共にフルタイム勤務でそれをこなすのはなかなか難しい。だが、都立中高一貫校入試には内申点が不可欠だ。都立一本勝負の中学受験が翔馬君本人にとって、本当によい道なのか、夫婦の悩みは尽きなかった。
最近は、都立中高一貫校志望者の滑り止め校としての役割を担おうとする私立もある。これらの多くの学校では、適性検査型入試を導入している。偏差値だけを見れば、中堅から下という学校が多いため、“肩慣らし“のために受けるという人が多いのが実情だ。とはいえ、都立に落ちて、こちらに入学する子もいる。ある学校の関係者は「適性検査型入試でうちに入った生徒をみると、入学後によい成績を取る子が多い」と漏らしていた。それだけ力がある生徒が多く、積極的に取りたいということだ。
村田夫妻のモヤモヤした気分はしばらくしても収まらなかった。温子さんがたまらず塾に話してみると、塾は引きとめてきたという。都立を第一志望にしたまま、近隣で併願できそうな私立中を受けることを勧めてきたのだ。
「ここなら、今の成績で間違いなく受かります」
塾の担当者はそう語りかけたが、夫妻は「そんな保証はどこにもない」と感じていた。
そこで、他の意見も聞いてみようと、当初候補から外した早稲田アカデミーを訪れた。
突きつけられたのは厳しい現実だった。1年とはいえ、中学受験の準備はしてきた。近くの大学付属校はどうだろうと、希望を伝えると、応対した講師から「今からでは厳しいです」という言葉が返ってきたのだ。
この講師の話では、都立中高一貫校と私立の受験では、取り組む勉強が違うという。すでに6年生クラスともなれば「理科と社会が追いつかない」というのが担当者の意見だった。となるとますます、都立に落ちたときのことが不安になる。その気持ちを正直に、通塾中のエナの塾長に話すと、なんとこれまでの担当者とはまったく違う答えが返ってきた。
「翔馬君の場合、正直、私立の入試のほうが向いていると思います」
適性検査型入試では答えだけでなく、答えを求めるプロセスにも重きがおかれる問題がある。だが、私立入試の場合、答えだけを書かせる学校も多くある。翔馬君は授業でも、
「どうやったら簡単にこの答えを導きだせるのかを教えて欲しい」
と聞くことが多いため、答えだけを書かせ、スピードを求められるような入試の学校のほうが向いているのではないかというのが、塾長の考えだった
だが、今の塾では私立に向けての対策をすることは難しいと判断。6年生の5月、村田家は思い切って私立にも対応できる早稲田アカデミーへの転塾を決めた。
“厳しい“と聞いていた言葉のとおり、転塾後の成績は散々なものだった。転塾後の最初の模擬試験の結果はどの教科も目を疑う数字が並んだ。偏差値は38、成績順で決まるクラス分けではいちばん下のクラスとなった。
「こんなに厳しい道なのかと、正直驚きました」(慎吾さん)
しかし、本人は前向きだった。父親から「お前は私立の入試に向いている」と言われると、「自分でもそう思う」と、志望校選びを進んでするようになっていった。
覚悟していた“塾弁“も始まった。温子さんの両親が週に1度は手伝いに来てくれた。それまでも家の掃除を頼んでいたシルバー人材センターの人には、塾弁用にご飯を炊いてもらうことも追加で依頼した。おかずは朝お弁当箱に詰めて冷蔵庫で保存、午後6時半、帰宅した温子さんはシルバーさんがセットしてくれた炊きたてのご飯を弁当箱に詰め、ダッシュで塾に届ける毎日だった。
だが、どうしても間に合わずにコンビニで買った食事を届けたこともある。
「働いていると大変ですね」
同じ塾に通わせる専業主婦の母親が、ねぎらいのつもりでかけたであろう言葉も、かえって温子さんを憂鬱にさせた。「共働きだからって、侘しい思いはさせたくない」できるかぎり、手作りのお弁当を届けるように頑張った。厳しい夏の講習を乗り切ると、塾のクラスも上がり始めた。そんな中、翔馬君が志望校として提示してきたのが、今通う中学校だった。
翔馬君の偏差値はというと、正直まったく届いていなかった。親にしてみれば、無謀な挑戦とも思えたが、2年間勉強を頑張ってきたのは翔馬君だ。本人の希望を通し、この学校を含め、出願校を決めた。
目標が定まってからの翔馬君はそれまで以上に頑張った。学校から帰宅するとすぐに塾に向かい、受講のない日も夜10時近くまで自習室で勉強した。
しかし、親としては不安だった。本人が本命に据えた学校は偏差値50台後半。6年生の5月に偏差値38だったわが子の成績、この頃少し上がってきているとはいえ手は届きそうにない。
現実的に受かりそうな別の学校も視野に入れて、1月入試の大宮開成中学校を含め、6校に願書を出して、入試本番を迎えた。初日の大宮開成は無事合格、その後、親はここが本命校と思っていた明治大学の付属校も合格する。これで十分、両親はそう思っていたが、息子からは頼もしい言葉が返ってきた。
「俺、本気で第一志望に合格しようと思ってるから、ここでつまずくわけないじゃん」
両親は“難しいだろうな“と心の中では思っていた。悔し涙を見る覚悟をしつつ「そうだね」と頷き、息子の背中を見守るしかなかった。
いよいよ第一志望校の受験当日がやってきた。会場から出てきた翔馬君の顔は、それほど明るいものではなかった。
「できたと思うけれど、今までの学校ほど、“できた“という自信がない……」
弱気な言葉を漏らすのは初めてだった。第一志望校は“憧れ校“だ。落ちても無理もない。落ちたときにどう声をかけようか、本人には悟られぬように、両親はそんなことを考えていた。そして、迎えた合格発表。そこにはなんと、翔馬君の番号が書かれていた。
「受かった!」
まだまだ小さいと思っていた息子の背中が大きく見えた瞬間だった。受験後、翔馬君の部屋から出てきたのは、冬期講習中、毎日頭に巻いていたハチマキだった。
「絶対合格するぞ!」
翔馬君の力強い文字を見た両親の頰に涙がつたった。
「こんなに強く思っていたなんて、ぜんぜん知りませんでした」
振り返って話す父親の慎吾さんの目は、涙でにじんでいた。自分の可能性を信じて勉強を続けた翔馬君と、無謀と思える挑戦にも、出すぎることなく後ろから支えた両親。第一志望校の合格は間違いなく、3人で勝ちとった合格だろう。
「こうやって親を乗り越えていくんですね」
努力が無駄にならないという経験はおそらく、翔馬君にとって、一生の宝となることだろう。
宮本さおり著『中学受験のリアル』(集英社インターナショナル)
急増する中学受験生、「全落ち」などの厳しい現実…。
「合格体験記」には書かれないドラマを追って、15組の親子を取材したノンフィクション。
首都圏の中学受験者数は2023年、過去最高を記録した。東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県では、18パーセントの子どもたちが受験を経験し、熱は地方にも波及している。中・高一貫校への人気が高まり、子どものために移住するケースもみられる。一方、第一志望校に合格する子どもの数はわずか3割。負け戦とわかっていても中学受験へと向かわずにはいられない親子。まだ幼さの残る小学生の彼らが立ち向かう受験という魔物。
「全落ち」を経験する子どもは立ち直れるのか? 親のエゴや塾の実績づくりで志望校を決めていいのか? 偏差値では測れない、子どもに合った学校とは? 中学受験に挑んだ親子を5年間追い続けたルポルタージュには、きれい事では終わらない中学受験のリアルがある。