ついにこの日が…高校生長男が「今年は友達と過ごす」とクリスマスをドタキャンした話
子どもたちにとって、クリスマスは特別な日。ケーキを囲んでのパーティーは、親にとってもかけがえのない幸せな時間です。けれど、子どもたちはいつまでも親とクリスマスを過ごしてくれるわけではありません。
ついに「一番上の子が姿を消した」クリスマスの日の出来事を、黒田さんのエッセイからご紹介します。
※本書は黒田季菜子著『今は子育て三時間目』(KADOKAWA)より一部抜粋、編集したものです。
去年のクリスマス
去年のクリスマス、会食の予定をドタキャンされました。
なんて書くと、温かなレストランの2人席で、プレゼントの小箱を抱えて入り口を見つめる淋しい人の姿を思い浮かべます。窓の外はちらちらと雪。
でも、この件については、ドタキャンしたのがうちの高校生の子で、理由は学期末のクラス打ち上げで、そしてキャンセルしたのは自宅でのクリスマス会なので、高校生くらいの子どものある家には、大変によくある話だったりします。
大体の高校生の男の子は(女の子も?)、こちらが聞かなければ自分の予定なんていちいち親に話してくれないものです。
この日、真ん中の中学生は折悪しくインフルエンザに罹患して発熱中、真ん中の子は発熱すると、いつも旺盛な食欲が途端に消え去ります。その上この子はお粥が嫌いなので、こういう時の食事はおうどん一択です。ケーキはお熱が下がってから。
夫はいつも通り仕事で遅く、食卓についていたのはわたしと、7歳の末っ子だけでした。この聖夜の閑古鳥ぶりは流石にちょっと淋しく、もの悲しい。けれどクリスマスはやらない訳にはいかないのです。7歳はこの日を楽しみにしていたし、ケーキもこの日に予約してしまっていたし。
それでわたしは意地でチキンを焼き、ガーリックマヨネーズで和えたポテトサラダをお星様の形のニンジンで飾り、いちごとトマトを飾り切りして、サンタクロースの載ったケーキを自転車で取りに行きました。
クリスマスのパティスリーは戦場でした。サンタの載ったホールケーキを求める人々が居並ぶ先にいたレジのお姉さんに「今日が一番忙しい日ですね」と言うと「やばいです」と返ってきました。がんばれ。
さて、母親と7歳児だけのクリスマス会。
2人で「淋しいねえ」「淋しいよねー」なんて話しながら、チキンをつつきましたが、世間では夫婦や恋人と2人きりでクリスマスだとか記念日を過ごす事は普通のことだったりするので、2人だと淋しいというのは変な話なのかも。
いや、普段が賑やかすぎるのですよ。だって普段の食卓はといえば、3人の子どもたちが「今、微分が最高に面白い」とか「土曜日は部活と塾があってだるい」とか「木がみっつあったら何になると思う?」とか、とにかく一斉に話しかけてくるのですから、とりあえず、ひとりずつ話してもらっていいかな。
しかし、とうとうクリスマスに一番上の子の姿が消えた今年。
いつか3人の子ども達が学校とかバイトとか仕事とか、そういうものでクリスマスの日に家にひとりも居なくて、「ケーキなんて買っても仕様がないわ、昔はみんな喜んだものだけど」なんて思う日がくる。それまで漠然としか考えてこなかった遠い未来が、確実な直近の未来の予定として、わたしに到来したのです。
わたしは、小さいホールケーキを子ども達に切り分けて、マジパンで出来ているサンタと、チョコレートの家と、『Merry Christmas』と書いてあるチョコレートのプレートを、「さあ誰がどれを取る?」なんて7歳に聞きながら、あと10年もしない内にやってくるかもしれない、ソロ・クリスマスに思いを馳せたのでした。
子どもを育てて、それぞれが大きくなってゆくと、聖夜はいつしか淋しい夜になるのだなあ。ホールケーキなんて、夫婦だけでは食べ切れなくて「もう買わなくていいや」という日がくるのだろうなあと。
その日、高校生が帰宅したのは21時を少し回ってからでした。
聞けば、その日はクラスの庶務(クラス委員のようなものらしい)の子が、レンタルスペースを借りて、そこに皆で手分けしてお菓子やジュース、それからピザやチキンを買って持ち込んで飲み食いしていたのだそう。
なるほど、それなら40人近い高校生を収容できる飲食店を探して予約するより簡単そうだし、なにより安い。
さすがは安さこそがステイタスという価値観の中で育って来た大阪の子ども達よ。ただこの場合、使用後に出たゴミなどは自分達で持ち帰らなくてはいけない決まりがあるらしく、会場で出たゴミは、手持ちのゴミ袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれ、それが3袋ほどだったとか。さてそれをどうする。
高校生たちは議論と逡巡の後、会場から一番近くに自宅のある同級生の子が「うちのおかんが、うちのマンションのゴミ置き場に捨てていいって」と言ってくれたとかで、そこまで持って歩くことになったのだそう。
「え、その子、どこに住んでるん?」
「T駅のすぐそば」
それは、打ち上げ会場から電車で行けばなんてことはない、電車で大体10分くらいの距離の、駅のすぐそばにあるマンションでした。
しかしこの時、「この巨大なゴミ袋を持って電車に乗るのは、公共の福祉とやらに反するのでは」と考えた割とかしこい彼らは、ゴミ袋を持って地上を歩いたそうな。会場の最寄り駅からT駅へは徒歩で大体30分、商店街と飲み屋街と「ちょっと高校生は近寄ったらあかんで」という風情のお店が混ざり合った、大阪でもかなり雑駁というか猥雑というか、そういうにぎにぎしい繁華街の中に、ゴミ袋を担いだ男の子ばかりがぞろぞろ5人。
クリスマスのひかり眩しい夜の繁華街で、やたらと貼ってある『酔っ払い注意』の貼り紙を「なんやあれ」とカウントしつつ、前期期末の物理のテストがいかにやばかったか(平均点が欠点だったそうな)、コム(英語コミュニケーション)がいかにダルいかを話して歩く紺色のブレザーの男の子たちと、巨大なゴミ袋。
「おっ、君らはアレか? サンタか?」と呼び止めるよっぱらいのおっちゃん。
とても楽しかったそうですよ。
この聖夜のゴミ袋少年たちを、わたしは心底、羨ましいと思いました。わたしには、二度と巡ってこないクリスマスの、自由でものすごくしょうもなくて、でも彼らがわたしと同じくらいの年になったらきっと震えるほど懐かしい思い出の日。
サンタが載ったクリスマスケーキを食べる高校生の子を眺めながら、わたしは末っ子が高校生くらいになった時、しんとしたリビングでひとり、切り干し大根の煮物(好物)などを食べるわたしを想像してみました。3秒で止めました。
子どもが大きくなれば自由になる時間は増えるのだろうけれど、ちょっと「淋しそうだな」と思います。
きっと子どもの成長に合わせて、クリスマスもひな祭りも七夕も、季節のイベントごとは徐々に自分の生活の中から姿を消して行ってしまうのです。子どもって、暦のことですから。
でも、今回初めて気が付いたのですけれど、子どもの暦が消えて行く代わりに、自身とは全く違う世代を生きる人の見ている景色を、ちらりと見ることができるようになるらしいのです。
黒田季菜子著『今は子育て三時間目』(KADOKAWA)
子育てで忙しいときに感じる切なさとなつかしさとふくふくとしたうれしさ
2025年小川未明文学賞大賞受賞!
いま注目の作家による、3人の子どもたちとその周りで起こる楽しくて、切なくて、なつかしくて、うれしいあれこれ…。
ちょっと大変な疾患の子もいるけれど、ふつうの日常をみずみずしい筆致でつづります。