「車椅子はずるい!」と言われて 上智卒・ラランド後輩、先天性ミオパチーを武器にする芸人・布ちゃん【後編】

吉澤恵理

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先天性ミオパチーを抱えながら上智大学へ推薦合格した布ちゃん。前編では、「うちは幸せだね」という親の言葉に支えられた幼少期から高校時代までを伺いました。後編では、ラランドを輩出したお笑いサークルとの出会い、「車椅子はずるい」と言われた衝撃の瞬間、そして障害者就職ではなく芸人の道を選んだ理由について語っていただきます。(取材・文/吉澤恵理)

兄の言葉で東京の大学へ

――上智大学を選んだ理由は?

英語が好きだったんですよね。で、推薦もあったし、学力的にも届くし…条件が全部そろった感じでした。

それから、兄がいるんですけど、その兄が「絶対東京に行った方がいい」っていうタイプで。僕、長崎出身なんですけど、九州の人って基本、地元の国立に行くのが偉いっていう空気があるんですよ。長崎大学とか、その上だと九州大学とか。それが神様みたいな扱いで。

でも兄は「そんなのはおかしい」ってずっと言ってて、早稲田とか慶應とか行った方がいいって言ってました。正直、当時は理由とかよくわからなかったんですけど、まあそうなのか…って思って。それで東京の大学に行くつもりになって、上智を目指しました。

――お笑いサークルとの出会いは?

僕が大学で所属したお笑いサークルは、上智大学の中でも有名な団体でした。例えば、お笑いコンビのラランドさんもこのサークル出身で、大学のアマチュア時代にM-1グランプリで準決勝まで進出したという快挙を成し遂げています。そうした実績もあり、このサークルは学内外で知られていました。

もともと僕は子どものころからお笑い番組が好きで、爆笑問題さんやナインティナインさんn、そしてとんねるずさんなど、テレビで活躍する芸人さんをよく見ていました。特に「めちゃイケ」や「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「男気じゃんけん」などの企画、「はねるのトびら」といったバラエティ番組は夢中で観ていて、お笑いに強い憧れを抱いていました。

「障害者就職」では実現できない夢

――芸人の道に進んだのは?

そうですね。お笑いをやっているうちに、人を笑わせることが本当に楽しいと感じるようになったのは確かです。半分はその「楽しい」という気持ちが理由です。

でも、一番大きな理由は、就職を考えたときに「障害者就職」では自分のやりたいことを実現するのが難しいと感じたことです。僕がやりたいことは、障害のある人の”ロールモデル”になること。障害がある人もない人も、人生の選択肢が広がるような存在になりたいと思っていました。

しかし、多くの企業では障害者採用の新卒枠は非常に少なく、新しい人を雇うことを企業が不安に感じるケースが多いんです。「どう対応したらいいかわからない」「何か問題が起きるかもしれない」という理由で、障害者採用は中途枠がほとんど。結果的に、経験者ばかりが求められ、新卒での門戸は狭いのが現実です。

障害がない人であれば「新卒で働いた方がいい」という考えが普通かもしれません。でも僕の場合、そういった新卒特権はほとんどありませんでした。かといって、一般枠で障害のない人たちと同じ条件で競争するのも、僕の障害の重さでは現実的に難しい。支援を受けながら働く必要があります。

そう考えたとき、自由に活動できて、自分のやりたい表現や発信ができる道——それが「芸人」だったんです。

「車椅子はずるい!」と言われた瞬間

――芸人になって、「これが自分の武器だ」と感じた瞬間は?

以前の僕は、自分自身が一番、自分の障害を差別していたと思います。社会の中で「いてはいけない存在」のような気持ちを、誰よりも自分が強く抱いていました。

でも、お笑いを続ける中で、車椅子であることを活かしたネタもやるようになったんです。そうやってネタを披露し、お客さんにウケたとき、共演していた芸人仲間から「車椅子はずるいよ!」と言われたことがありました。

もちろん、本気で「ずるい」と思って言ったわけではないでしょう。でも、その言葉が僕には衝撃でした。「車椅子がずるい」なんて、普通の社会ではまず聞かない言葉です。それを笑いの文脈で言える空気がある——それは、僕にとってとても大きな出来事でしたし、これが僕の強みだと思えました。

障害は個性ではない、でも強みはある

――「普通」や「健常」という言葉に違和感を覚えることはありますか? また、自分の個性を活かして生きていくために、どんな工夫をされていますか?

多少の違和感はありますね。結局、普通や健常の基準は社会がつくるもので、時代や環境によって変わるものだと思うんです。例えば、福祉サービスの受給資格を決めるためには、何らかの区別をつける言葉が必要になる。でも、その言葉が正しいのかどうかは、また別の議論だと思います。

障害という言葉も、個人モデルと社会モデルという2つの見方があります。例えば、足の骨折で考えると、「個人モデルでは骨折した足を治すという発想」ですが、「社会モデルではスロープをつくる車椅子でも移動できる環境にする」といった考え方になります。言葉そのものよりも、それをどう捉えるか、どんな角度から見るかが大事だと思います。

前提として、僕は障害は個性ではないと思っています。障害を個性だと言ってしまうと、もし障害がなくなったらその人は何なのか、という話になってしまうからです。そのうえで、僕の個性は物おじせずに行動できるところ。人とは違う強みを自覚して、それを活かしてきました。

冠番組を持ちたい理由

――芸人としての目標は?

「自分の名前が入った冠番組を持つこと」が一番の夢。

その理由は、単なる自己実現ではなく、自分を障害者のロールモデルとして提示し、見る人の「人生の選択肢」を増やしたいから。

SNSやYouTubeは「見ようと思って探してくる人」に届く一方、テレビは何気なく流れていて、視聴者が自分で選ばなくても出会える媒体。だからこそ、より多くの人に偶然でも見てもらえるチャンスがあり、障害の有無を問わず「これもできるんだ」と感じさせられる存在になれると考えている。

そのために、テレビという公共性の高い場所で活躍し、人々が行動を起こすきっかけになることを目指している。

「ルールって、変えられるんだ」

――子どもたちへのメッセージを

「ルールって、変えられるんだ」という視点を、頭のどこかに持っていてほしいと思います。

大学時代、僕は100人規模のパラリンピックスポーツのサークルでリーダーをしていました。車椅子バスケなどは、一見すると”障害のある人のためのスポーツ”という印象を持たれがちです。でも、その原点は違います。パラリンピックスポーツは「すべての人が楽しめるように、ルールを変える」発想から生まれたんです。

マイノリティの人が楽しめるように特別に作ったのではなく、誰もが一緒にできるようにルールを工夫した。そんな考え方が、教育現場や社会全体にもっと広がれば、障害の有無に関係なく、人生の選択肢はもっと増えるはずです。

だからこそ、今のルールが合わないと感じたら、変えてみてもいい。あなたの一歩が、誰かの選択肢を広げるきっかけになるかもしれません。

昔のルールにこだわりがちですが、多様な人が力を発揮できる社会では、「ルールを変える」という柔軟な発想こそが、時に大きな成果を生みます。ルールを守ることは大切ですが、そのルールが誰かの可能性を奪っているなら、変える勇気もまた価値のある一歩です。