「週7日の塾通い・習い事は異常?」全国テスト1位の小学生が抱いた本音
登録者30万人超を誇る人気YouTubeチャンネル『僕らの別荘』。同チャンネル内で「付属から進学失敗」「大学中退」をことあるごとに話題にされ、自身の過去の経験を笑顔で楽しく語るシドニー石井さん。
中学受験を突破し明治大学の付属中学へ入学するが、内部進学に失敗し浪人生活。別大学へ入学しながら明治大学のお笑いサークルに入部し、他大生ながら実質的な部長まで務めてしまったという異色の経歴の持ち主だ。
そんなシドニー石井さんは、幼児時代から小学生時代に親から厳しい教育を施された経験をしばしば語り、「僕らの別荘」メンバーの松井ケムリさん(令和ロマン)らを驚かせている。
シドニー石井さんに改めて勉強漬けだった小学生時代の思い出、そして教育熱心だった親への本音に迫ってみた。(取材/吉澤恵理)
全国テスト1位の神童は、週7日の塾と習い事に追われる日々
シドニー石井さん(以下、石井)「幼稚園の頃から朝は6時に起きて、まず勉強してから1日が始まるという感じでした。幼稚園の頃から塾というか、幼児教室みたいなところにいっていて、出された課題のようなものをやっていたと思います。幼稚園からそんな感じで、それが当たり前だと思ってました」
幼稚園児にとって社会といえば家族であり、勉強で始まる1日は特別なことではないと思っていた。
石井「だから、それを努力とも思ってなかったし、もう当たり前でしたね。小学校は区立の小学校でしたが、さらに習い事や塾が増えて、1週間、毎日何かがありました。公文と水泳は週に2回、他は、剣道、水泳、ピアノ、野球でしたね」
夏休みなどには、さらに特化した塾に短期で行くことも。
石井「夏休みには『感想文の書き方』を習いに行ってました。おかげで作文の課題もうまく書けてました。笑」
小学校の時に受けた全国テストでは1位になったこともあり、周りから見ても『神童』といった存在だった。
石井「多分、当時はそんな大規模なテストではなかった気がするんですけど、それで1位をとって。授業は先生の話を聞くまでもなく分かるし、当時は『僕って天才なんだ』って思ってました 笑」
受験を見据えた親が「水泳とピアノ」を選んだ理由
両親は教育に並々ならぬ熱意を注いでいたと、子どもながらに感じていた。
石井「野球は父が好きだったので『男の子には野球をやらせたい』という夢があったんだと思います。水泳は全身を使うから体力もつくし、ピアノは指先を使うから脳の発達にいいとか両親が僕のことを考えて習わせてくれていたみたいです」
厳しい中学受験を勝ち抜くには、成績だけではなく体力も必要であり、そこまで考えてお稽古も選んでいたとすれば、まさに中学受験は親の舵取りが重要と言えるだろう。
石井「勉強以外の習い事では、僕がやりたいと行って習わせてくれたのが剣道です。 小学校一年生ぐらいときに、あるCMで剣道で人を吹き飛ばしているような光景のを見て。実際にはそんなことないんでしょうが、子どもだったので純粋にかっこいいと思えて。剣道をやりたいと父に頼んだら、築地警察署で剣道を習うことになって、毎週出頭してましたね。笑」
剣道では、区の大会で3位になったこともあるほど打ち込んでいたが、小学5年生の時、中学受験の勉強に集中するために習い事はすべて止めることになった。
将来の夢を聞かれると「親が喜ぶこと」を想定して答えていた
親に敷かれたレールを歩むうちに『親が喜ぶ』ということを考えて発言することもあった。
石井「将来の夢は獣医さんって言ったんですよ。獣医になりたいって、勉強したいっていう意欲を親に見せられるし、同時に優しいっていう印象もあるんじゃないかなって。それで獣医って答えなら親が喜ぶんじゃないかなと思って言ってました」
しかし、将来の夢は別にあった。
石井「小学校の5、6年頃には、小説家になりたいと思ってました。本が好きでたくさん本を読んでました。机に向かって勉強したふりしてるときも、何かストーリー考えて書いたりしてました」
「机に向かって勉強しているフリをする」小学5年で訪れた反抗期
石井「親の方針に従って勉強していたんですけど、小4らいで『あれっ? 多分、普通じゃないなこの環境』と思い始めました。放課後に 友達から遊びに誘われても行けない。
これまで自分が当たり前だと思っていたことは、当たり前じゃない。親が言うことが必ずしも正解じゃない。そう思うようになって、ちょうどそのころ反抗期が来ました」
受験についても猛反発したこともある。
石井「小学校5年生から反抗期が始まって、受験とかも『もう知らねよ』みたいな。『俺やりたいって言ってねーし』みたいな思いは、ずっとどこかにありました。でも、子どもながらに親が期待しててそれをなんか裏切りたくはないという気持ちもあって、最終的にはどこかに受かってよかったって感覚が強かったです」
反抗する気持ちもありながら、親を安心させるため、中学受験の前は、学校から帰宅すると4、5時間は机に向かっていた。しかし、机に向かう背中は親へのポーズだった。
石井「一応、机には向かってるんですよ。だけど勉強してないで、いろんな妄想したりしましたね。そう、親から見たら勉強して見えるけど勉強してないっていう時間がめっちゃ長かったと思います。笑」
父の経営する会社が倒産しても、変わらず塾に通わせてもらえた
ところが、教育に力を注ぐ石井さん一家に危機が訪れる。
「生まれた時は裕福な家だったんですが…。僕が年長のときに倒産して大変な時期があたと言う話をだいぶ後になって聞きました。振り返ってみると、小学校1、2年生のとき、父親がずっと家にいたんですよ。
当時は、家でなんか仕事しているんだろうなと思ってたんですけど、実は何もしなかったらしくて…。母親が、会社が倒産して父が落ち込んでるだろうし、次の準備もあるだろうしって黙ってたらしいです」
田園調布に住み、裕福だった幼少期の生活は、父の倒産を機に一変したが、両親の教育への情熱は変わらなかった。
石井「倒産からしばらくして、父はサラリーマンとして働いて家庭を守ってくれていましたが、多分そこまで裕福でもないと思うんですよね。でも、その頃から、母親も働きだして。2人の収入があったから、塾には倒産前と変わらず行かせてもらいました。教育には惜しまずにやってくれました」
そして石井さんは親への思いを語り始める。
石井「ずっと後のことでしたが、母に教育熱心だった理由を聞かされたことがあります。母自身は、勉強しなさいと言われることや成績を重要視することなく大人になり、短大を卒業して大手商社に入ったんですね。
父は明治大学を卒業して、会社をやってました。父が三代目とかの会社だったので、多分、僕に継がせたいみたいな思いもあったんだと思いますが、途中からは母と同じように、僕が将来を考えて勉強できる環境を作ってくれたと思います。親ガチャが大当たりしたって感じです」
「親ガチャが大当たり…」この言葉には石井さんの親への感謝の気持ちが込められてる。「父さんが倒産って一世一代のギャクを見せてくれたわけです 笑」と笑い飛ばす石井さん。その明るさが芸人・YouTuberとしての活躍の原動力かもしれない。