息子の“悪いくせ”ごまかし作戦と最強の切り札発動に挑むパパの葛藤【うちのアサトくん第16話】
パパに見られた“まずい瞬間”。アサトくんは証拠隠滅のためにトイレにダッシュします。叱られる空気を察したアサトくんとパパの攻防戦。軍配はどちらに──!?
小説家・黒史郎さんが、自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いたショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。
※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年9月号から一部抜粋・編集したものです。
※画像はイメージです。
叱るモード
「こらっ、何してんだ!」
僕の声を聞くなり、アサトは走ってトイレへ駆け込んだ。
まずい!
すぐに追いかけるが、もう遅い。水を流す音が聞こえてきた。
トイレへ行くと、入れ替わりでアサトが出ていこうとする。
「おっと、逃がさん」
肩をつかみ、しゃがんで、アサトと視線を合わせる。
アサトはすぐ視線をそらせた。
やっぱり、やったな。僕は確信する。
「いま、何をトイレに流した?」
アサトは、そしらぬ顔をしている。
ほほお、ごまかす気か。
そこで僕は表情を《叱るモード》にチェンジする。
――まず、何が起こったかを説明しよう。
先ほど、ふとアサトを見ると、ノートパソコンで動画を見ながら、何かを口に入れてガジガジとかじっていた。
白くて、指の先ほどの小さいものだ。ポップコーンに見えるが、オヤツの時間ではない。
あれは……丸めたティッシュでは?
アサトの悪いくせのひとつ。
無意識に、身近にあるものをガジガジとかじる。
ボールペンのふた、エンピツ、ペットボトルのふた。どれも誤って飲み込んでは大変だ。
この瞬間を目撃したら、僕らはしっかりと息子を叱ることにしていた。
僕が声をかけるとアサトは自分の行為に気づいて、慌ててトイレへ走った。なんのためかって? もちろん、証拠隠滅のためだ。自分がかじっていた証拠のブツをトイレに流し、なかったことにしようとしているのだ。
すぐに追いかけたが、もう流されてしまっていた。
これでは、何をかじっていたかもわからない。
でも、ダメなものをかじっていたことは確かだ。
よし。叱ろう。
――という流れからの《叱るモード》である。
しかし、アサトはいっこうに僕と視線を合わせようとしない。逃げきる気だな。そうはさせるか。
ここで終わらせてしまえば、アサトはまた、都合の悪いものをトイレに流してごまかそうとする。過去にも何度か同じことをしている。
僕は逃げ回る視線を追うことをやめ、無言でアサトの顔を見つめた。
じっと。じいっと。じいぃっと。
顔は《叱るモード》のままで。
アサトの視線が、おそるおそる僕に戻ってくる。
まだまだ見つめる。目でしっかりと気持ちを伝えるのだ。
すると、この空気に耐えられなくなったのだろう。
ニコッ。アサトが微笑みかけてきた。
聞こえる。聞こえるぞ! アサトの心の声が――
パパ、どうしたの? なんで、そんなこわいかおしてるの?
ぼく、なんにもわるいことしてないよ。ぼく、いいこだよ?
ほら、わらって。ね? こうしてわらって。
――正直に言おう。このとき、僕の「叱るぞ」という意志はグッラグラだ。息子の笑みに陥落寸前。
だが、ここで《叱るモード》を解除しては、ニコッとすれば許されると思われる。
なんとか意志を保って、僕はじっと見つめ続ける。
さあ、アサト。パパは君の言葉を待っているよ。悪いことをしたのだから、ごまかそうとせず、ちゃんとパパにごめんなさいをしなさい。そして、もうやらないと約束しなさい。
そのときだ。アサトは次の攻撃に打って出たのだ。
両腕を大きく広げたかと思うと。
ぎゅっ。
僕を抱きしめた。
そして、僕を見上げ、
ニコッ。
「……ジュースでも飲むか?」
ああ。僕はだめなパパだ。