「発達障害の可能性があります」と言われた日…泣き続けた母が3年後に笑えるようになった理由

熱海康太

「発達障害の可能性があります」と告げられた日、涙が止まらなかった親がいます。しかし診断から数年後、「あの日があってよかった」と言える親も多いのです。元公立学校教員で、現在は一般社団法人日本未来教育研究機構代表理事として活動する熱海康太さんが、診断名がもたらす「地図」の意味と、子どもと親が変わっていくプロセスを解説します。

診察室の帰り道で泣いた日

「発達障害の可能性があります」と医師に言われた日のことを、S子さんの母親は今でも鮮明に覚えています。小学2年生のS子さんを連れて受診したのは、担任から「集団の活動に入れないことが多く、一度専門家に相談されてはどうでしょう」と勧められたからでした。

診察室の外でS子さんを待たせたまま、医師から説明を受けた30分間。帰りの電車の中で、母親はずっと下を向いていました。家のドアを閉めた瞬間に涙が出ました。

「何かがはっきりしたから泣いたのか、これからどうなるのかわからなくて泣いたのか、自分でもわかりませんでした。でもあのとき一番怖かったのは、この子がこれから先、ずっとつらい思いをするんじゃないかということでした」と、母親は後になってこう言っています。

診断名は「終わり」ではなく「地図の入手」だった

診断名がつくことへの恐怖は、多くの親が持っています。レッテルを貼られる、普通の子として扱われなくなる、本人が傷つく。その心配は自然な感情です。しかし診断を受けた後に歩んできた親たちの多くが、数年後に似たようなことを言います。「あの日があって、よかった」と。

何が変わるのでしょうか。まず変わるのは、親自身の見方です。S子さんの母親は診断を受ける前、S子さんが集団活動に入れないたびに「どうして入れないの」「もっと頑張ればできるはず」と思っていました。しかし診断を受けた後、専門家から「S子さんには、感覚の処理に独特の特性があります。集団の騒がしさが、大人の何倍もの刺激として届いている可能性があります」と教えてもらいました。

母親の中で、何かがひっくり返りました。「できないんじゃなくて、つらかったんだ。それを私はずっと叱っていた」。

見えなかったものに、名前がつく

診断名というのは、「その子の全体」を表すラベルではありません。「その子が経験している困難の構造」に名前をつけたものです。名前がつくことで、「なぜそうなるのか」が理解できるようになります。

S子さんが給食の時間に食べられないのは、好き嫌いや意地悪ではなく、食感への感覚過敏という特性と関係しているかもしれない。S子さんが着替えに時間がかかるのは、遅いのではなく、体の感覚の統合に時間が必要なためかもしれない。ひとつひとつの「困った行動」の裏に、理由が見えてきました。

その理由が見えると、親の声のトーンが変わります。「なんでできないの」から「こういうとき、どうしたらやりやすい?」に変わる。それだけで、子どもの表情が変わることがあります。

次に変わるのは、使える資源です。診断名があることで、学校での配慮が具体的に動き始めることがあります。「こういう特性があるので、こういう場面では席を端にする、指示は短く一つずつ伝える」という具体的な対応を先生と共有できる。親が一人で抱えてきた「どうしたらいいかわからない」という状態が、少しずつ「一緒に考えられる人が増える」状態に変わっていくのです。

3年後、何が変わっていたか

S子さんは現在、小学5年生です。診断から3年が経ちました。集団活動が得意になったわけではありません。給食は苦手な食感があります。運動会の練習は今でも少し別の場所で過ごすことがあります。「治った」わけではないのです。

では何が変わったか。S子さんが自分をどう見ているかが、変わりました。診断を受ける前のS子さんは、自分が「うまくできない子」だという感覚をどこかで抱えていました。しかし今のS子さんは、「給食のこの食感が苦手なのは、私の感覚の特徴だから」と自分で言葉にできます。

自分の困難に理由があるとわかることは、「自分はダメだ」という自己否定から子どもを救います。母親も変わりました。「あの子が社会で生きていけるか」という漠然とした不安が、「この特性があるなら、こういう環境が合いそう」という具体的な見通しに変わっていきました。

不安が消えたわけではありません。でも不安の形が変わった。輪郭のない恐怖より、形のある課題のほうが、人は向き合えます。

診断名は、その子の「弱さの証明書」ではありません。「この子を理解するための地図」です。地図があれば、どこへ向かえばいいかが少しずつ見えてくる。3年前の診察室の帰り道に泣いた母親が今、「あの日があってよかった」と言うのは、その地図が少しずつ、S子さんと家族の道を照らし始めているからです。

診断を受けることを怖れている親へ伝えたいのは、ただひとつのことです。知ることは、失うことではない。知ることで、見えてくるものがある、ということです。