親に塾代が払えないと言われた…子どもを苦しめる「かくれ貧困」

佐藤優

日本でいま社会問題となっている「子どもの貧困」。不景気の影響で親の所得が減少し、子どもたちの間でも徐々に格差が広がっています。友達はみんな塾に通っていても、自分は月謝が高くて通えない…という子も珍しくはありません。そんな格差を自己責任として切り捨ててしまって良いのでしょうか?

本稿では作家の佐藤優さんが、中学生のナギサとミナト、ロダン先生の対話形式をとって「教育格差とかくれ貧困」の問題について易しく解説します。

※本稿は佐藤優著『正しさってなんだろう 14歳からの正義と格差の授業』(Gakken)から一部抜粋・編集したものです

外見からは判別できない「かくれた貧困」

【ロダン】「格差」という言葉が入っていることでわかるように、これは単なる「差異」ではなく、持てる者と持たざるものの「格差」そのものです。

【ナギサ】でも、子どもにはどうしようもないですよね。それこそ親は選べないわけで。

【ミナト】だけど、自分の親がお金持ちかどうかで、子どもの運命は大きく変わるよね?

【ロダン】2つの面があると思います。1つは、親は選べないわけだから、あたえられた環境のなかで自分なりに努力するしかないということ。もう1つは、経済的な格差はたしかにあるけれども、それをうらやましがったり、お金持ちの子の足を引っ張ったりしても、自分の状況が改善されるわけではない、ということです。

【ミナト】ねたんだからといって、自分のうちがお金持ちになるわけじゃない。

【ロダン】本当に家が貧しくて、親がちゃんと面倒を見てくれない、ごはんも満足に食べさせてもらえないという場合、それはネグレクトの問題だから、近くの大人に助けを求めてください。ここで取り上げたいのは、もっと相対的な貧困、かくれた貧困の問題です。

【ナギサ】かくれた貧困って?

【ロダン】学用品が買えないほど収入が少ないわけではないし、いまどきはみんなユニクロやジーユーの服を着てたりするから、外見からはほとんどそれがわからない。では、どこがちがうのかというと、放課後に塾に通っているとか、家にパソコンがあるとか、家に電子ピアノがあってピアノを習っているとか、そういうところに差が出てくるわけです。

【ミナト】コロナでオンライン授業をしなくちゃいけないというときに、家にWi-Fiがあるかどうかが問題になった。

【ロダン】自宅にWi-Fi がない、スマホでつなごうにも契約によってはギガが足りず、通信速度がおそくなって使い物にならない、という家庭が出てきた。親の年収はすぐには変えられないから、必要な人には、Wi-Fi接続機器を貸し出したりする必要がありました。自宅にWi-Fiを引けないからって、授業が受けられないのは、それこそ不公平だからです。

【ナギサ】勉強する機会は平等でなければいけないってことですよね!



【ロダン】そのとおり。ただ、公立学校の授業については「機会の平等」を実現できたとしても、家庭学習ではそうはいきません。経済的に余裕のある家庭は、小学1年生から個人指導塾に入れたりします。1人ひとりの学習進度に応じて、教材もきめ細かく分かれているし、ここができていないというときは、そのまま放置せずに、できるようになるまで面倒を見てくれます。

【ナギサ】わたしも塾に通ってました。

【ロダン】そういったものまでおりこんで教育が成り立っている現状があります。私立の小学校はもっとはっきりしていて、学校は生活面のケアはするけれども、勉強は家庭でお願いします、というケースもある。

子どもの成績が落ちると、すぐに保護者が呼び出されて、「ご家庭できちんとお子さんの勉強を見ていますか?」と言われてしまう。親はビックリして、あわてて塾に入れるというわけです。その意味で、小学校の段階、もっというと、保育園や幼稚園の段階から、学力と親の経済力は連動しています。

【ミナト】小学校に入る前から???

保育園・幼稚園時代から始まる教育格差

【ロダン】たとえば、ひと口に保育園といっても、その実態は3つに分かれます。中心になるのは認可保育園と認証保育園で、入園できる子どもの数が決まっているから、大都市を中心に、順番待ちの列が続いていて、限られた入園枠をめぐって、毎年お母さん、お父さんが奔走しています。

【ナギサ】保育園に入れるだけでもたいへんだって聞いたことがあります。

【ロダン】残念ながら認可・認証保育園に入れなかった人は、無認可の保育サービスを受けることになります。ただ、この無認可保育も大きく2つに分かれていて、1つは、文字どおり認可・認証保育園の枠にもれてしまった人たちの「かけこみ寺」として、ふつうの子をあずかるんだけど、もう1つ、あえて認可・認証保育園に子どもを入れないお金持ち向けの保育サービスというのがあります。

【ミナト】へえ〜!

【ロダン】通常の保育園ではやりきれないハイスペックな保育を提供するから無認可なんですね。そういうところでは、食事は栄養士がつくっているし、外国人の保育士がいたり、モンテッソーリ教育を実践したりしている。天才棋士の藤井聡太がモンテッソーリ教育で育ったと一時期、話題になってたね。

【ナギサ】聞いたことあります! いろんな道具を使って遊ぶのが主体なんですよね。

【ロダン】そうやって子どもの自主性を育て、集中力を養うことをねらっているんだよね。で、そういうところは、たとえば園が休みの日曜日に、両親がいそがしくて子どもの面倒を見られないというときは、園の先生を派遣してくれるサービスがあったりする。ベビーシッターさんではなく、先生が来てくれるということで、親にとっても子どもにとっても安心です。

【ミナト】すごく手厚いサービス。



【ロダン】それだけ手厚いから、当然お金もそれなりにかかります。とくに手のかかる0〜2才児くらいだと、月20万円以上することもある。年間でおよそ250万円。子どもが大きくなると少し下がるけど、それでも年間200万円。保育園にこれだけ払える親は、やっぱり高給取りに限られます。

【ナギサ】なんか、ずるい……。

【ロダン】小学校に上がる前から、教育格差がはじまっているとすると、「機会の平等」はすでに崩れていることになります。この状態を変えたかったら、親の年収格差を縮めていくしかない。そのためには、お金持ちからたくさん税金や社会保険料を徴収して、お金のない人に回す「再分配」の機能を強化する必要があります。

【ミナト】 それって「結果の平等」的な発想ですよね?

【ロダン】そのとおりです。結局、どういう世の中が望ましいか、という価値観の問題に帰着するんです。「機会の平等」と「結果の平等」のどちらを優先したほうがいいかは、その時その時の社会情勢によって変わってくる。どちらか一方だけが正解なわけではないのです。

だから、片方にかたむきすぎたときは、ゆりもどしが起きて、もう一方のほうがいいという人がふえてくる。そうやって、そのつど最適なバランスを探っていくのが「唯一の正解」なのかもしれません。