なぜ中学受験の勝者が大学進学で失敗? エスカレーターで転んだ人の「驚きの末路」
中学受験の加熱化が伝えられています。中学受験は小学校3、4年生から子どもが勉強漬けの日々を送るだけでなく、それを支える親にも大きな負担がのしかかります。親子の二人三脚とも言われます。
そんな厳しい日々を乗り越えれば、明るい将来が約束される…かと思いきや、現実には中学受験の先には十人十色の人生があるようです。
登録者30万人超を誇る人気YouTubeチャンネル「僕らの別荘」のメンバーで、お笑いコンビ「天秤」として活躍中のシドニー石井さん。小学生時代から英才教育を施され、中学受験では難関の中高一貫校に合格した経験の持ち主です。
しかし同チャンネル内で「付属校から大学に行けなかった」「大学を中退した」と笑顔でメンバーの松井ケムリさん(令和ロマン)らに語るように、多難な学生生活を送ったそうです。そんな経験を明るく笑顔で語る動画内の姿が、不思議な共感を呼んでいます。
シドニー石井さんに今だから話せる当時のこと、その気持ちを聞いてみました。(取材/吉澤恵理)
「日能研の入塾テストで1位」からの成績急降下
シドニー石井さん(以下、石井)「小学5年のとき、中学受験の勉強に打ち込むために習い事はすべてやめて中学受験の塾オンリーになりました」
中学受験の始まりは、『入塾テスト』だった。
石井「まず最初に受けたのが日能研です。入塾テストで1位になってしまって…母が、『1位になれるところじゃダメ。他の塾に入れなきゃ』って、受けたのがSAPIXで、最初のクラスはα3だったと思います。当時、中学受験の塾のなかでSAPIXが一番レベルが高いと言われていたこともあって、SAPIXに行くことになりました」
両親としては、我が子がSAPIXで猛勉強すると思っていたに違いないが…。
石井「当時は僕、自分を天才だと思っちゃっていたので、全く努力しないんですよ。努力せずにできちゃうと思ったんですが、それは勘違いだったので成績はすごい勢いで下がってきました」
「これで明治大学ってことにいけるんだ」と安堵
石井「テストのたびに成績が落ちて、最後はもう、真ん中ぐらいのクラスになりましたね。成績が落ちていくギリギリのところで中学受験になって、明大附属中野になんとか合格しました。当時の実感としては、フワッと受かったという感じでした」
フワッとした感覚の一方で合格し安堵の気持ちもあった。
石井「これで、明治大学ってとこに行けるんだって思ったんですよね。世間一般的には高学歴の部類に入る学校に、何もせず俺は行けるんだって」
中学入学後の「キャラ変」で人気者になる一方で忍び寄る危機
小学校時代は塾と習い事に明け暮れていた石井さん。明大中野中学に入学し、すぐに挑戦したことがある。
石井「入学したら『キャラ変』をするって決めてました。小学校6年間の周りから見た僕は、運動も勉強もそこそこできて人気者みたいな存在になっていて。優等生でいることは少し押さえつけられてるような感覚がありました。
例えば、休み時間に何をするかっていうのもみんなが僕に聞く。そして僕が決めたことをみんながする。そんな立ち位置だったので、周りからいじられることもあまりなくて、いじられたいなっていう思いがあったんですよね」
石井「キャラ変するには、メンバーが変わる今(中学入学)がチャンスだと思って、めっちゃ馬鹿なことを自分からして、ちょっと馬鹿にされるように振舞ったりしましたね。
例えば、僕がポケットティッシュをわざと折りたたんだまま、使いづらそうにする。『いやそれ開いて使うだろ!』『え!? 開けんの!?』『マジかよこいつ!』みたいな。そんなことばかりやってました。笑」
中高の6年間、いわゆる「いじられ人気キャラ」として楽しい学校生活を送ったが、その裏で大学進学への危険信号が点灯していた。
「内部進学に必要な評定は10.1」教師が示した異次元の数字
中学受験の時、成績が落ちていくなかギリギリで明大中野に合格したと公言する石井さんだが、中学入学後も6年間は一切勉強をしなかったと話す。
石井「テストの前になると『今から勉強頑張ろう』グループLINEみたいなのができるんです。クラスのみんながそれぞれに勉強して、休憩がてらに『今何勉強した?』みたいなこと書き込むんですけど、僕だけはそのトークルームに一度も現れない。そんな感じで僕は一切、勉強してなかったです。笑」
特に高校の3年間は、連続クラス最下位。高校2年時には、明治大学に進学できないことが宣告された。
石井「高2の時の三者面談。先生から僕の成績を見せられて、『明治大学に進学するための評定最低ラインになるには、次のテストで評定で10.1を取る必要があります』って言われました。
それって、つまり『もう無理』ってことで、たとえ全部100点とっても評定は10.0なので、内部進学では明治大学には行けないってことだったんです」
当然ながら両親は頭を抱えた。
石井「内部進学できないとなると一般試験で受験という道を選ぶことになります。親からは受験勉強をするように言われましたが、気にせず部活の野球の練習に打ち込んでました」
当時、すでに将来は芸人になると決めていたこともあり、明治大学に進学できないという状況にショックを受けることはなかった。
石井「中学校ではいじられキャラで、何かやってみんなが笑ってくれたら嬉しかったんですね。だから中学校3年生の時点でで『芸人になろう』って決めて。そっからはもう、自分に起きる全てのことは『エピソードになるかどうか』っていうことだけを考えるようになってました。笑」
その言葉の通り、石井さんが所属するYouTubeチャンネル「僕らの別荘」では、小学生時代からの受験などに関するエピソードトークで人気を集めている。しかし、当時は両親に芸人という夢をすぐには受け入れてもらえなかった。
石井「将来芸人になるって親に告げたら、『逃げるな』ってことを言われたんですよ。『今やらなきゃいけない勉強から逃げてるだけ』と言われたときに、確かに一理あるなって僕も思ったんですよ」
学習ゼロなのに世界史を予備校で選択した「前向きな理由」
両親の『逃げるな』という言葉を受け止め、今やるべきことに向き合うことを決めた。
石井「受験勉強をして大学に入って、その上で芸人になるって言おうと思って、1年間浪人をしました」
浪人中は河合塾に毎日通い、勉強に励んだ。ここでも”石井さんならでは”の選択をし、両親を心配させることになる。
石井「当時、浪人生は社会科目の暗記が先に進んでいて有利だと言われてたんですけど、僕は、高校で選択していなかった世界史を選択したんです。理由は、絶対この先、勉強する機会がないと思ったから。世界史を学びたいと思ったんですよ。ゼロからのスタートだったのでずっと勉強してました」
周囲の心配をよそにセンター試験で専修大学に合格し、結果を出すことができた。
石井「センター試験の結果で『受験して大学行けるんだ!』って感動しました。というのも明大中野で内部進学した友達も一般の入試は受けてないわけで、『俺は入試で大学行ける!』って思ったら嬉しくなってしまい、センター後は勉強しなくなりました。あとで少し後悔しましたが、ここで頑張れなかった僕はやっぱり勉強は向いてないなって気づくこともできました」
早慶を含めいくつかの私大を受験したが、最終的には東洋大学に入学した。
石井「大学には、学生お笑いという世界があって、各大学が連携して大学生で一番面白い人を決めたりするってことを知っていたので、大学生になったら『お笑いサークル』に入ろうと決めていました」
そう決めていた石井さん。東洋大学生ではあったが明治大学のお笑いサークルに入部することになる。
ラランド・サーヤともコンビを組んだ大学生時代、そして中退
石井「お笑いサークルでは、かなりの回数のライブをやりましたが、それでプロですって感じじゃなく、あくまで遊びで。Aさんとも組むしBさんとも組む。ピンでやりたければ一人でやりますし。いろいろとできる楽しさがありました。大学同士の繋がりも強かったので、僕は東洋大学だけど明治のお笑いサークル入ったんですよね。笑」
かつて明治大学への内部進学に失敗した石井さん。しかしなんと他大学生でありながら、最終的に明治大学のお笑いサークルの部長に就くという驚きの伏線回収を見せる。
石井「正式にはインカレじゃないんで、僕が部長なっちゃいけないんですよ(笑)。なんで、名義だけの明治の学生の部長を立てて、実権は僕でという感じ。決めごとをしたり、箱(会場)を毎月押さえて、ライブをしたり。そういう例は僕が初めてでした」
東洋大学にはほぼ行くことはなく、大学生活の大半を明治大学の和泉キャンパスにあるお笑いサークルの部室で過ごしていた。当然ながら、東洋大学での単位は取れず…。
石井「時間かけて履歴書を汚しただけなんですよ僕(笑)。1年生の単位が取れてなくても自動的に2年生にはなれるんで、2年生が終わる時に中退しました。大学を辞めるのと同時にお笑いサークルも辞めました」
その後NSC(NSC吉本総合芸能学院)に入り、芸人への道を突き進んだ。
石井「同期がラランド、令和ロマンの髙比良くるまで。学生時代にはサーヤ(ラランド)ともコンビ組みましたし、今も一緒に仕事する機会もあり、みんなの活躍は嬉しいですね」
「親は子どもを肯定してあげてほしい」加熱する中学受験への思い
石井「親のことはもちろん、好きなんですけど、母とぶつかることもありました。母は、自分の考えが正しいと思い込む傾向にあって、そこでよくぶつかってて、僕からすれば『いやあなたの意見が100じゃないし、正解でもないし』っていう議論をよくしてましたし、今でもします」
お互いに言いたいことを言い合える親子関係は、石井さんにとって成長するきっかけになることも多かったようだ。
石井「幼少期から母に教えられてよかったのは『自分で考えなさい』ってことですね。小さい頃に何かを聞いても必ず『自分で調べなさい』って。そのおかげで、自問自答する癖がついたと思います」
両親に感謝する気持ちの一方で、近年の加熱する中学受験に関してどう感じているか聞いてみると…。
石井「正直、中学受験を自分の意思だけで決める子どもは少ないと思うんですね。僕も、親の敷いたレールに乗って、小さい頃から塾に行き、周りからは優等生と見られていたので、周りの友達がやっていた小さな悪戯を一緒にやることもなかった。小学生だから許される小さな失敗とか、子どもだから経験できることをやらずに僕は過ごしたことを後悔しています。
子どもらしくいられる時期、子どもらしくいられることの価値は高いと思うので、それを勉強で割いてしまうのは、本人の幸福度は本当に上がっているのか? というふうに考えてしまう面もあります」
こんな石井さんの問いかけにも『中学受験は子どものため』と思う親御さんも少なくないだろう。
しかし、受験には必ず合否の結果が分かれるものであり、不合格となった時のこころづもりを持っておくべきだろう。
石井「たとえ受験に失敗しても、親には『あなたはあなたでいいんだよ』って言ってほしいと思います。それから、子どもは親のものじゃなく、自立した個人なので、親と子どもがそれぞれいいと思うものが、決して一致しているとは限らない可能性を考えてあげてほしいです。
親にできることは、子どもが何をしたいかを考えられる環境を作ることと、それが見つかった時に応援できるように準備をすることだと思います」
そして、子どもとともに受験戦争に挑むすべての親たちに、子どもの気持ちを石井さんが代弁してくれた。
石井「受験に限らず、『子どもに対して私がこうしていれば…』という言葉を聞くことがありますけど、親はそんなに自分を責めなくていいと僕は思います。子どもは自分のなりたいようになるので。子どもは、親が自分を肯定してくれたらうれしいし、安心できると思います」