中学受験失敗の原因を生んだ「自分は勉強ができない」という思い込み
精神科医の和田秀樹さんは、勉強ができるかどうかは才能や素質ではなく、やり方次第だと語ります。和田さんが代表を務める「緑鐵受験指導ゼミナール」では、数学を解かずに解答を暗記する「暗記数学」という独自の勉強法により、毎年無名校から東大合格者を出すという実績を残しています。本稿では「暗記数学」のポイント、そして勉強のやり方を変えて東大合格を果たした和田さんの弟さんのお話を紹介します。
※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです
小学生のときに身につけた計算力が私を救ってくれた
「暗記数学」がこれほどの効果をもたらしたのには、2つのポイントがあったと私は考えています。
1つは、解法パターンや解答を暗記するときに、ただ単に暗記するのではなく、一つずつ理解しながら暗記をしていったということです。
これに関しては、コピーをつくってくれた同級生に感謝しなければなりません。彼は、優等生の解答を写して編集する段階で、自分が読んでわからない解法については、わかりやすく書き直してくれていたのです。ですから、その解答コピーは、読んでいて非常に理解しやすいもので、覚えやすかったのです。そういう点では、非常にラッキーでした。
理解しながら覚えていくと、次第にたくさんの解法パターンのストックができます。すると、他の参考書や問題集の答えを読んでいても、簡単に理解できるようになっていきました。そしてよく理解できると、暗記もしやすくなるものです。
このようにして、「理解できるから暗記しやすくなり、暗記した豊富なストックがあるからいっそう理解しやすくなる」という好循環が生み出されていったのです。これが数学力を飛躍的に高めることにつながっていったと考えています。要するに、「理解しながら覚える」ということが「暗記数学」の重要なポイントなのです。
ただし実際の模擬試験や入試問題では、「暗記数学」で覚えたとおりの問題が出るわけではなく、ひねったり、改変したり、組み合わせたりしたような問題が出ます。それでも、「暗記数学」で解法パターンをたくさん身につけていると、ある問題が出たときに、「たぶんこの解法でいけるだろう」ということを試してみることができるのです。そのやり方で解ければそれでOK。
もし解けなければ、すぐに別のやり方を試すのですが、受験数学のレベルであれば、何回か試しているうちにほとんどの問題で答えは出るようになっているものです。
この「暗記数学」を行ううえで、私にとって非常に役に立ったのは、基礎的な計算力でした。小さいころにソロバンをやっていたおかげで、計算だけは速くて正確だったのです。ソロバンの珠が頭の中に浮かんできますから、計算することはまったくおっくうではありませんでした。
そのために、一回目の解法パターンで解けなくても、すぐに二回目の解法パターンにトライでき、人より短時間で何種類ものやり方を試すことができたのです。
計算が遅い人や、計算が不正確な人は、おそらく一回目のやり方でできないと、「もういいや」とあきらめてしまう確率が高くなっていたのではないでしょうか。そういう意味では、「暗記数学」を支えてくれていたのは、実は「計算力」だったということになります。
一般的には、「計算力」を身につけても、「思考力」は身につかないと思われがちですが、私はそうは思いません。計算力がしっかりしている人のほうが、短時間で何度もいろいろな解法を試せますので、はるかに思考力も鍛えられるのです。
いずれにしても、「暗記数学」の効果を上げる支えとなり、数学ができなかった私を最終的に救ってくれたのは、小学校のときに身につけた「計算力」だったということは間違いありません。小学校での勉強をおろそかにしてはいけないということを、私は身にしみて感じています。
この「暗記数学」と、そこから応用して考えた「暗記物理」のおかげで、成績は飛躍的に伸び、最終的に現役で東大理Ⅲ(医学部進学課程)に合格することができたというわけです。
「バカだ」と言われ続けてきた弟は中学校受験で失敗した
弟の受験体験についても少しふれてみたいと思います。
私の一つ違いの弟は、小さいころは体が弱くて、死にかけるほどの病気を小学校入学前にしています。小学校に入ったときには、不適応を起こしてしまって、当時、特殊学級と呼ばれていたところにいかなければ無理と言われるくらいの状況でした。
母は、兄の私がソロバンをやって非常に勉強ができるようになったということから、弟にも小学校2年生のときにソロバンを習わせました。「ソロバンをやらせたら、何とかなるかもしれない」と考えたのだと思います。
ところが、弟は左利きということもあってか、ソロバンに全然なじめなくて、三日でやめてしまいました。そんなこともあって、弟は小学校二年生のころは、学力に関しては絶望的な状況でした。
母は非常に教育熱心でしたから、弟を何とか勉強のできる子にしようとして、その後公文式学習法をやらせるようになりました。公文式では単純計算を勉強しているだけなのですが、それでもやっているうちに、どんどんできるようになっていくようでした。
弟は、学校でも家庭でも母以外からはずっと「バカだ」と言われ続けてきたのですが、初めて自分の学年より少し上の学年の計算ができるようになったものですから、それがうれしくて公文式でがんばるようになり、計算だけはできるようになっていったのです。
ただ、計算以外のことはできませんから、まわりの子に追いつくことはできず、まして中学校受験で灘中を受けるというようなことはとても考えられないような成績でした。
それでも弟は灘中を受け、当たり前の結果として、落ちてしまいました。弟は、「公立中学に行って灘高を受け直したい」と言ったのですが、高校から灘高に入るというのは、灘中よりも募集人数が少ないので、どう転んでも無理な話と親も私も判断しました。
そこで、どこでもいいから中高一貫教育の私立の中学校に入れて、大学を目指させようということで、弟は滑り止めで受けた私立の中学校に通わされることになりました。
しかも、片道1時間50分もかかるような遠い学校でした。その当時私は灘中2年生で、ちょうど成績がどんどん落ちているときでしたから、「やっぱり俺たちはダメだ」というようなあきらめにも似た感じが兄弟そろって渦巻いていました。二人とも、「勉強は素質だ」という素質論を信じるようになっていたのです。
弟は、「自分はもう敗残者だ」「落ちこぼれだ」と思ったようです。人生をすねていましたから、小説とか哲学書などを片道1時間50分の通学時間の間にせっせと読んでいました。しかしそれがよかったのか、国語だけは少しできるようになっていったのです。
と同時に、私が「英語だけは素質じゃない」と思って英語の勉強をし始めたのを見て、弟も英語だけは兄にならって勉強するようになりました。そういうわけで、弟の場合は国語と英語だけはまあまあできるという状態になりましたが、数学については全然ダメな状態がずっと続いていました。
弟の勉強法を変えさせ、東大文I合格へ
高校に入っても、弟の成績は低迷していました。弟の通っていた高校は、当時は数年に一度、東大に一人受かるか受からないかというレベルの高校でしたが、その高校の中で、中の上くらいにいたのです。そんな成績では東大など受かるはずもありません。
弟は京大の哲学科に行きたいという希望を持っていましたが、成績を飛躍的に上げないかぎり、京大であろうと不可能な状況でした。
私のほうは東大に受かっていましたので、その時点で弟の勉強法の改善に乗り出しました。弟は、国語と英語はある程度できましたが、数学ができなかったので、さっそく「暗記数学」を試してみました。解法をどんどん暗記させたのです。「暗記数学」を始めてからは、弟は数学がグングンできるようになりました。
私は、京大の試験の傾向を知りませんでしたので、志望校を東大に変えるように弟にすすめました。東大なら、試験の傾向もよくわかっていましたし、灘高の友だちがさまざまなノウハウを持っていたからです。
当時の東大入試の社会科は、早稲田や慶應のように細かいことを覚える問題は出ておらず、800字程度の論述問題が出題されていました。そこで、東大専願にして東大の社会科に備えるために、たくさんの歴史の新書を読ませることにしました。灘高の文系の友だちがみんなそうしていましたので、そのまま弟にやらせてみたのです。
勉強法を変えてからは、弟は信じられないほど成績が伸び、最終的には、その学校始まって以来二人目の東大文I(法学部進学課程)現役合格を果たしました。弟のように、小さいころ「(勉強の)できない子」と言われていた子でも、高2まで普通の高校の中くらいの成績にいた人間でも、勉強法を変えれば、東大に受かることは可能なのです。
私は、このような経験を通して自分の勉強法に自信が持てるようになり、その後この勉強法を多くの受験生に教えるようになりました。
勉強は素質ではなく、やり方次第
私は自分の受験体験を通じて、そして弟やそれ以外の多くの受験生たちに教えてきた経験から、「勉強は才能や素質ではなく、やり方(とある程度の努力)の問題だ」ということを確信しています。実際に多くの受験生に「暗記数学」などの和田式勉強法をやってもらったところ、かなりの数の子どもたちが成績を伸ばしています。
「自分は頭が悪いから、東大になんか行けない」「早稲田や慶應になんか行けない」と思っていた子が、そうではないということに気づく。「自分は頭が悪いから勉強ができないのではなく、これまでの勉強のやり方が的外れだったから努力が無駄になっていたのだ」「勉強のやり方が悪いから勉強ができなかっただけなんだ」と思うようになって、勉強のやり方を変える。
そうしてやってみたら、成績が上がった、希望する学校に行けた、という例がいくらでもあるのです。こうして自信をつけ、成功していく子どもたちを見ていると、それだけでもうれしくなります。
また、私にとってさらにうれしいのは、こういう教え子たちから「和田式勉強法は社会に出てからも役立っている」と言ってもらえることです。社会に出てからも、うまくいかないことや、壁に突き当たるということはいくらでも出てきます。
そんなときに、「ああ、俺には才能がない」と言ってあきらめないで、「やり方が悪いのかもしれない」と、いろいろなハウツー本を読んだりして、別のやり方を試すようになったと言ってくれる人が多いのです。つまり、人生に向き合う態度が、変わったのでしょう。
子どもに対しても、おそらく一番大事なポイントはそこではないかと思います。「あなたがいま仮に勉強ができないとしても、それは頭が悪いからではない。勉強のやり方が悪いだけ」と、あるいは「やるべきことを十分にやっていないから」と思わせることができるかどうかがポイントなのです。
これは、単に小学校の勉強ができるか、できないかということにとどまらず、これからの長い人生の中で、「自分には才能がないからダメだ」とあきらめるような人生態度をとるのか、それとも「やり方が悪いのかもしれないから工夫してみよう」というふうに少しでもやり方を探して工夫する人生態度をとるのかということにもかかわってきます。
本来、人間のもともとの知能というのは、それほど大きな差があるわけではありません。ですから、いま仮にうまくいっていないとしても、それは「自分は頭が悪いから」ではないのです。
まず、親自身が、「勉強ができないのは、素質がないからではなく、勉強のやり方が悪いのだ」という認識を持ち、子どもに工夫と努力をさせることを絶対にあきらめないという姿勢が一番重要なポイントだと私は思います。
『勉強できる子が家でしていること 12歳までの家庭教育マニュアル』(和田秀樹 著、PHP研究所刊)
著者は学生時代、「勉強は素質だ」とあきらめていたところ、勉強法を変えることで成績が伸びて、東京大学に合格した経験があります。「子どもに合わない勉強法で劣等感を持たせるよりも、子どもに合ったやり方を見出して勉強をさせれば必ず伸びる」というのが、著者の強い信念です。それができるのは、家庭の働きかけがあってこそ。
中学受験する子も、しない子も! 子どもにとって“最後の砦”といえる、家庭で心得ておきたい「令和版・和田式勉強法」をお届けします。