志望校全落ちのあとに見えた希望とは? シンママが「中受を後悔していない」と語る理由【後編】

宮本さおり
2025.01.30 10:53 2025.02.03 11:50

外をみる小学生の男の子

まるで“戦場“のような中学受験塾で、劣等感に苦しむようになった伸也君。
シングルマザーの順子さんは現状をリセットするために、埼玉から東京への引っ越し、そして会社員からフリーランスへの転職という思い切った決断をします。しかし、その後の母子を待ち受けていたのは、中学受験によるさらなる試練でした。

ジャーナリストの宮本さおりさんが取材した中学受験のリアルな体験談を、前編後編に分けてご紹介します。(本記事は後編です)

※本稿は宮本さおり著『中学受験のリアル』(‎集英社インターナショナル)から一部抜粋・編集したものです。

集団塾から個別指導塾に

勉強する男の子

劣等感の固まりと化してしまった息子。多くの子どもたちが1点を争って競い合う集団塾に入ったのでは、埼玉のときと同じように、気持ちの面で潰れるかもしれない。まずは、劣等感を払拭することが先決と考えた順子さんは、一人ひとりに合った指導をしてくれる個別指導塾を探した。見つけたのは首都圏を中心に教室を運営するトーマス(TOMAS)だった。順子さんは自宅近くの教室にさっそくコンタクトを取り、伸也君と出向いた。

「息子の状態を見た先生からは『もっと早くに転塾を考えるべきでしたよ』と、言われてしまいました。渦中のときは気がつかないものですね。セカンドオピニオン的にほかの塾の先生に見てもらうのは、必要なことかもしれません」

個別指導塾に通う目的はただ一つ、劣等感を払拭すること。それさえできれば、集団指導の塾に戻っても大丈夫だと考え、夏まで期間限定で通うことに決めた。4月から7月までの4カ月の塾代の見積もりは30万円。シングルマザーで、独立したばかりの順子さんには大きな出費だ。

「でも、一人親になったのは親の都合。離婚のときには将来、本人の夢をあきらめさせることがないようにと、調停で養育費をしっかりともらえるように努力しました」

小学6年生での転居に、転塾。中学受験の世界では「ありえない」と言われてしまいそうな決断だが、それは見事、成功した。個別指導塾で伸也君は自己肯定感をみるみる回復し、ぐんと明るくなった。そして、なんと偏差値を10ポイント上げたのだ。

当初の目的を達成したため、トーマスは4カ月で退塾し、自宅近くの早稲田アカデミーに移った。ほんの数カ月前まで深刻だった劣等感はほぼ見られなくなり、楽しそうに集団塾に数カ月通い、受験本番を迎えることになった。

盤石に見えた出願戦略

勉強机と目覚まし時計と辞書

伸也君が第一志望に据えたのは、今も人気の広尾学園中学校。偏差値的には簡単に手が届かないチャレンジ校だが、見学に行った伸也君が授業の様子を気に入った。第二志望、つまり本命にしたのは男子校で同じくサイエンス系にも力を入れる高輪中学校。滑り止めには、当時の模試では安全圏に入っていた三田国際学園中学校と日大系の中学を選んだ。

三田国際は「ここならば受かる」と、塾の先生からも太鼓判を押されての出願だった。しかし、この出願で順子さん母子は中学受験の恐ろしさを知ることになる。三田国際がメディアなどに露出したのをきっかけに人気が爆発、応募者数が急上昇したのだ。

中学受験の人気校は、ふとしたことで入れ替わる。学校名が変わる、共学になる、制服が変わる……。火種は何とはいえないが、数年に一度、こうした変化をきっかけに、人気爆発となる学校が出現する。最近で言えば、男子校だった日本学園が良い例だ。共学化と、明治大学の付属校になることを発表すると、人気が一気に上がった。近年、大学の募集停止をよく見聞きするようになっているが、その波は中学、高等学校にも及んでいる。子どもの数が減っているのだから当たり前のことなのだが、第2次ベビーブーム期と同じ席数を維持するのは難しい。私立中学の多い東京では、少子化の影響で共学化や他校との合併が相次いでいる。

話を戻そう。伸也君の志望した三田国際は、戸板中学校・戸板女子高等学校という女子校が前身だ。2015年に共学化、名前を三田国際学園に改称すると人気が急上昇した学校だ。ICT教育などが多くのメディアに取り上げられたこともあり、本科クラスだけで、応募者総数は1000人越えになっていたのだ。このため、一時期は30台、当時40台だった偏差値はこの年、一気に50台に急騰した。

伸也君の受験時、応募者総数はさらに増え、インターナショナルクラスも合わせるとまさかの3000人超えに。首都圏の共学校のうち、応募者総数では5本の指に入るまでに膨れ上がっていた。伸也君の通う塾からは20人が受験したが、受かったのはたったの1人だったという。

合格圏と塾から太鼓判を押されていた伸也君だったが、その1人とはなれなかった。その塾では「早稲田が第一志望のお子さんでも落ちた」という話も出ていた。

中学受験の世界では、1月〜2月2日あたりの初期の日程で合格校を押さえ、安心感を得てから、チャレンジ校である第一志望の受験に乗り込むというのが黄金ルールとされる。ところが伸也君は、受験日程の序盤で“押さえ“のはずの学校に不合格となってしまったのだ。そのショックを引きずるように、そのほかの学校でも不合格が続き、気づけば、受験した学校にすべて落ちるという最悪の結果となっていた。

最後の結果を聞いたのは、2月4日の午後9時過ぎ。5日にチャレンジ校の広尾学園最後の入試を残していたが、もはや、記念受験にしかならないとあきらめた。

泣きじゃくる本人を横に、塾の先生に状況を報告すると、

「成功体験をさせてあげましょう」

と勧められ、まだネットで出願を受け付けている学校を教えてもらった。午後11時41分、ネットから願書を提出。翌朝、伸也君と一緒に受験会場に向かった。

宮本さおり

ジャーナリスト。1977年、愛知県生まれ。同志社女子大学卒業。地方新聞記者として文化・教育紙面を担当。2004年に渡米し、シカゴにて第一子の子育てに専念。2008年から教育、子育て、ワークライフバランス分野を中心に取材活動を再開。『AERA』などで執筆。『東洋経済オンライン』の連載「中学受験のリアル」を含む教育ルポで東洋経済オンラインアワード2020「ソーシャルインパクト賞」を受賞。プライベートでは大学生と中学生の子を持つ母。2022年一般社団法人 Raise を設立、共同代表に就任。著書に『データサイエンスが求める「新しい数学力」』(日本実業出版社)などがある。