日々“できる”が増える自閉症の息子 喜びの裏に潜む公園での恐怖体験とは?【うちのアサトくん第14話】

黒史郎
2025.12.02 12:14 2025.12.18 20:00

6歳の男の子の草原を走る後ろ姿

昆虫が苦手な黒史郎夫妻。しかしアサトくんは興味津々なお年頃。公園では笑顔で警戒を怠らない夫妻ですが…?

小説家・黒史郎さんが、自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いたショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。


※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年7月号から一部抜粋・編集したものです。
※画像はイメージです。

巨大バッタの災難

子は日々、成長する。

アサトは《できる》をどんどん獲得している。

以前までアサトは、取りたいものがあっても自分の手を使わず、妻や僕の手をクレーン代わりにして入手していた。それが最近は、自分の手を使って取ろうとしている。気になるものがあると、とりあえず手を伸ばすようになったのだ。

アサトに《できる》が増えるのは何よりうれしい。でも、同時に困ることも出てきた。

虫まで手に取ろうとするのだ。

いや、虫は困ります。

僕ら夫婦が蛾を恐れていることは以前にも書いたが、実は虫全般が苦手だ。理由をあげたらキリがないが、一番の理由は、と訊かれたら僕はこう答える。「もろさ」と。

そう。虫はもろい。手でちょっと払っただけで潰してしまう。薄い翅(はね)や細い脚は簡単に取れてバラバラになる。自らの手で、虫をそうしてしまったときの罪悪感たるや……。

アサトは虫がもろい存在だとは知らない。それにまだ、力の制御もできない。

だから、鉛筆や玩具をつかみ取るのと同じ力で虫を触ろうとする。つかもうとする。

子どもといっても虫からすれば恐ろしい巨人だ。その力は彼らを簡単にぺしゃんこにし、バラバラにする。そんな行為を息子にさせたくないし、そんなグロい光景も目にしたくない。

そういうわけで僕らは、アサトが虫と接触するのを全力で阻止していた。

虫採りをする子ども

ある暖かい日の午後だった。

僕ら夫婦は、久しぶりに近所の公園へ行って、はしゃぎまわるアサトを笑顔で見守っていた。

その笑顔の裏に、SPばりの警戒心を隠しながら。

なぜなら、公園には虫がいるからだ。

「だめよー、なんでも拾っちゃ(ひぃっ、蝶の死骸なんて拾わないで!)」
「こらこら、そっちに入っちゃだめだぞー(草むら! 虫の天国! いや、地獄!)」

笑顔で警戒中の僕らは凍りつく。

アサトの足から約30センチ先の地点に、緑色の細長いものがいる。それはピョンピョンと跳ねながら、アサトとの距離を縮めてきた。

バッタだ! しかも、サイズは※ベヒモス級!
※ベヒモス……旧約聖書の怪物。ゲームなどでは強く巨大なモンスターとして登場することが多い。

アサトの目はすでにバッタをとらえている。まずい! 触ろうと手を伸ばしている。

すぐさま妻がアサトの背後に回り込み、ぎゅっと抱きしめる。

「アーサト、つかまえたぁ(いかせはせぬっ、いかせはせぬぞ!)」
「あはは、ママにつかまっちゃったなー(グッジョブ! ママ!)」
「ねぇ、向こうでブランコしよっか? (退避! 退避!)」

ずるずると後ろに引きずられるアサト。バッタに伸ばされた腕はゆっくり下ろされる。

あきらめたのかと思いきや、彼の足が象の鼻ように振り上げられ──。

「ア、アサト? や……やめろぉー!」

ぺしゃ。

「「あっ……あああああ~」」

僕と妻から悲痛な声が漏れる。なんてことだ。思いっきり踏まれた。今、息子の靴の下ではバラバラになった緑の脚や翅がぁぁぁぁ……と悶絶していると。

靴の下から、緑色のものがよろよろと這い出てきた。

バッタだ。嗚呼、よかった! 生きてた!

僕らは胸を撫で下ろした。

ぼろぼろのバッタは、弱々しい跳躍で草むらのほうへと逃げていく。

「虫も大切な命。やさしくしてねって、教えてあげないとね」

妻の言葉にうなずいた僕は、新たな目標をもつ。

アサトに、大切な《できる》を育てよう。

命を大切に《できる》心を。

黒史郎

横浜市在住。重度の自閉症(A2)と診断された息子さん、奥様とともに暮らす。著書に、『幽霊詐欺師ミチヲ』(KADOKAWA)など多数。