息子の“悪いくせ”ごまかし作戦と最強の切り札発動に挑むパパの葛藤【うちのアサトくん第16話】

黒史郎
2025.12.18 09:56 2025.12.25 20:00

積み木で遊ぶ幼い男の子

パパに見られた“まずい瞬間”。アサトくんは証拠隠滅のためにトイレにダッシュします。叱られる空気を察したアサトくんとパパの攻防戦。軍配はどちらに──!?

小説家・黒史郎さんが、自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いたショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。

※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年9月号から一部抜粋・編集したものです。
※画像はイメージです。

叱るモード

「こらっ、何してんだ!」

僕の声を聞くなり、アサトは走ってトイレへ駆け込んだ。

まずい!

すぐに追いかけるが、もう遅い。水を流す音が聞こえてきた。

トイレへ行くと、入れ替わりでアサトが出ていこうとする。

「おっと、逃がさん」

肩をつかみ、しゃがんで、アサトと視線を合わせる。

アサトはすぐ視線をそらせた。

やっぱり、やったな。僕は確信する。

「いま、何をトイレに流した?」

アサトは、そしらぬ顔をしている。

ほほお、ごまかす気か。

そこで僕は表情を《叱るモード》にチェンジする。

――まず、何が起こったかを説明しよう。

先ほど、ふとアサトを見ると、ノートパソコンで動画を見ながら、何かを口に入れてガジガジとかじっていた。

白くて、指の先ほどの小さいものだ。ポップコーンに見えるが、オヤツの時間ではない。

あれは……丸めたティッシュでは?

アサトの悪いくせのひとつ。

無意識に、身近にあるものをガジガジとかじる。

ボールペンのふた、エンピツ、ペットボトルのふた。どれも誤って飲み込んでは大変だ。

この瞬間を目撃したら、僕らはしっかりと息子を叱ることにしていた。

僕が声をかけるとアサトは自分の行為に気づいて、慌ててトイレへ走った。なんのためかって? もちろん、証拠隠滅のためだ。自分がかじっていた証拠のブツをトイレに流し、なかったことにしようとしているのだ。

すぐに追いかけたが、もう流されてしまっていた。

これでは、何をかじっていたかもわからない。

でも、ダメなものをかじっていたことは確かだ。

よし。叱ろう。

――という流れからの《叱るモード》である。

しかし、アサトはいっこうに僕と視線を合わせようとしない。逃げきる気だな。そうはさせるか。

ここで終わらせてしまえば、アサトはまた、都合の悪いものをトイレに流してごまかそうとする。過去にも何度か同じことをしている。

僕は逃げ回る視線を追うことをやめ、無言でアサトの顔を見つめた。

じっと。じいっと。じいぃっと。

顔は《叱るモード》のままで。

アサトの視線が、おそるおそる僕に戻ってくる。

まだまだ見つめる。目でしっかりと気持ちを伝えるのだ。

すると、この空気に耐えられなくなったのだろう。

ニコッ。アサトが微笑みかけてきた。

聞こえる。聞こえるぞ! アサトの心の声が――

パパ、どうしたの? なんで、そんなこわいかおしてるの?

ぼく、なんにもわるいことしてないよ。ぼく、いいこだよ?

ほら、わらって。ね? こうしてわらって。

――正直に言おう。このとき、僕の「叱るぞ」という意志はグッラグラだ。息子の笑みに陥落寸前。

だが、ここで《叱るモード》を解除しては、ニコッとすれば許されると思われる。

なんとか意志を保って、僕はじっと見つめ続ける。

さあ、アサト。パパは君の言葉を待っているよ。悪いことをしたのだから、ごまかそうとせず、ちゃんとパパにごめんなさいをしなさい。そして、もうやらないと約束しなさい。

そのときだ。アサトは次の攻撃に打って出たのだ。

両腕を大きく広げたかと思うと。

ぎゅっ。

僕を抱きしめた。

そして、僕を見上げ、

ニコッ。

「……ジュースでも飲むか?」

ああ。僕はだめなパパだ。

黒史郎

横浜市在住。重度の自閉症(A2)と診断された息子さん、奥様とともに暮らす。著書に、『幽霊詐欺師ミチヲ』(KADOKAWA)など多数。