少年「僕だって時間をかければできるよ」…韓国のベストセラーが教える”ゆっくり待つ”の大切さ

キム・ソヨン

私たち大人にも子どもの時代があったはずなのに、いつの間にかあのころの気持ちを忘れてしまっていませんか…? 2022 Asia Book Awardsを受賞した韓国のベストセラー短編エッセイ集『子どもという世界』より、何気ない日常の中できらりと光る子どもたちの言動を瑞々しく描いた一篇をご紹介します。 

※本稿はキム・ソヨン著『子どもという世界』(かんき出版)から一部抜粋・編集したものです。

キム・ソヨン
児童書の編集者として長年働き、現在は読書教室で子どもたちと本を読んでいる。著書に『児童書の読み方』『話す読書法』(すべて未翻訳)がある。
Blog.naver.com/sohosays

時間がかかるだけだよ

ヒョンソンが新しい運動靴を履いてきた。サッカーのスパイクのように見えたが「フットサルシューズ」なのだと言う。私がよく聞き取れずにいると、はっきりと「フット、サル、シューズです。サッカーじゃなくて」と強調した。フットサルシューズはサッカーのスパイクとは靴底が違って、普通の運動靴よりも甲の部分がひらべったくてボールを蹴りやすいそうだ。

お父さんとネットのショッピングモールで選んで、自分は小学3年生のわりには足が小さいからサイズを決めるときにちょっと悩んで、先週注文したのがやっと届いたから今日初めて履いてきたのだと。「これでうまく走れるような気がしたのだけれど、思ったようにはいかなかった」と言った。立て続けに話をしようとするヒョンソンをどうにかして止めた。

「そっか、じゃあとりあえず脱いでから中に入ろうか?」

ヒョンソンはおそらく、このことを話したくて、あれこれ言っていたのだろう。

「これ、今日初めて履いてきたでしょ。だから、お母さんが紐を結んでくれたんだけど。ほどけたら、自分じゃできないかもしれません」

「じゃあ、先生が結んであげようか?」

「昨日の夜、練習したんです。だから、もしかしたらできるかも」

「わかった。ヒョンソンがやってみてダメだったら先生が結んであげるのはどう?」

そう話し合って教室に入っていった。

読書教室のおかげで子どもについて新たに知ることがたくさんある。そのうちの1つが、子どもは靴を履くのに、かなり時間がかかるということだ。知らなかったというより、改めて発見したと言えるかもしれない。

考えてみれば、靴を履くこと自体が複雑な動作ではある。左右の靴を整え、足を入れてかかとをつぶさないように最後まで足を押し入れる。大人だって腰をかがめて手を使わなければならないこともある。それに、子どもたちは靴がしょっちゅう変わる。成長するからだ。自分では意識できないだろうが、靴を履くたびに足の大きさは変わっていることになる。

いつだったかこの話を友人たちにすると、ある友人が、子どもの頃、靴の左右を見分けるのが難しかった、とプンプンしながら打ち明けた。

「どうして、2つとも似たような形なの? そもそも左右別々のデザインにすればいいじゃない。色だけでも変えるとか。微妙に違うだけだから履くたびにテストされてるような気分になる。大人はどうしてすぐに左右の見分けがつくのか不思議だった」

「だからお母さんが靴底に『右』『左』って書いてくれたんだけど、やっぱり気に入らなくてね」

「私は運動靴の紐がほどけるのがすごく嫌だった。マジックテープのより紐のほうがずっとかわいいし。でも、どうして子どもの頃ってあんなによく紐がほどけたんだろ」

「最初の結び方がよくなかったんじゃない? リボン結びも最初は難しいし」

その子どもたちが、今はこんなに大きくなってたいしたもんだとみなで声を出して笑った。

ちょうどその日ヒョンソンと読んだのは『時間が流れると』(※イザベル・ムニョス・マルティンス著、マダレナ・マトソ絵、イ・サンヒ訳、『時間が流れると』、絵本工作所)だった。輪郭のはっきりした絵と簡潔な文章で「時間が流れると」起こることを描いた絵本だ。

時間が流れると「子どもは大きくなってえんぴつは短くなる」。時間が流れると、「パンは固くなって、お菓子は湿気る」。それに続いて、靴紐を結ぶ子どもの姿が登場する。「難しかったことが簡単になったりもする」という文章と共に。

なぜかジーンときて、ヒョンソンに伝えた。

「だから、大人になったら靴紐を結ぶのだってだんだんと簡単になるんだよ」

すると、ヒョンソンが淡々と答えた。

「それもそうだけど、今だって結べるよ。大人は速くできて、子どもは時間がかかるってだけだよ」

その時の私の顔は絶対に真っ赤になっていたに違いない。今だってできるけど。さっきヒョンソンははっきりと「練習した」と言っていたのに。子どもはあとになればできるのではない。今だってできる。時間がかかるだけなのだ。

どちらが右足の靴なのか、じっと考えながら私たちは大人になった。かかとがつぶれないように、指でひっぱりながら足を入れて、指が抜けずにウーンウーン言いながら大人になった。履きやすいマジックテープか、かっこいい紐靴にするか悩みながら大人になった。

ヒョンソンの言うこともその通りだが、あの時も私たちは私たちだった。今よりも時間がかかっただけだ。

バスに乗って降りるとき、ドアを開けて閉めるとき、人混みの道を歩いたりエスカレーターの前で戸惑うとき、子どもに早くしなさいと目くばせする大人をときどき目にする。大人から見れば簡単なことだから、子どもが時間をかけて、わざとそうしているように見えるのかもしれない。

その一方で、私たちが子どもだった頃、待っていてくれる大人がなかなかいなかったせいかもしれないとも思う。今、子どものことを待ってあげたら、子どもたちは私たちのような大人にはならないだろう。

この世のある部分は歳月が流れても変わらない。私は子どもをのんびりした大人に育てることが、広い意味で、世界をよい方向に変えていける一歩だと思う。子どもを待ってあげられる瞬間には小さなやりがいや喜びもある。それも成長だと言えるのではないだろうか? 子どもと大人は一緒に成長できる。

授業が終わってからヒョンソンは、お父さんに習った方法を思い出しながら運動靴の紐を結んだ。

「足を全部入れたらここをひっぱって、しばってから輪を作って回して…あ、ほどけちゃった。輪っかを作ってから回して?」

ヒョンソンは私が手伝わなくても両方の靴紐を結んで意気揚々と帰っていった。ところがエレベーターの前でもう右の靴紐がほどけていた。

「こっちだけ先生がやってあげるね。エレベーター乗らなくちゃならないから」

ヒョンソンも今度はうなずいた。私はあんまり速く見えないように気をつけて、しっかりと結んだ。この日ヒョンソンが母親の顔を見るやこう言ったそうだ。

「ママ、左側は僕が結んだんだ!」

読書教室で子どもたちと出会って、よいことがたくさんあった。そのうちの1つは、左の靴紐を一人で結んだヒョンソンの顔を見られたこと。

関連書籍

子どもという世界(かんき出版)
韓国で20万部突破! 多彩な色を放つ子どもたちとのエピソード集。柔軟で、奇抜な発想で見慣れぬ世界と向き合っていく子どもたち。ちょっとした危険ならば勇敢にたち向かって冒険を楽しむ子ども、どこまでも愛情深くやさしい子ども、大人の間違いをはっきり指摘する子ども…。特別個性的な子どもたちのエピソードを集めたわけではない。大部分の大人が、なんとなく素通りしてしまいがちな瞬間を、つぶさに見つめて心を込めて記録した一冊。