「子どもの権利を守る法律」がスタート 家庭で注意すべき2つのポイント
2023年4月1日に「こども基本法」が施行されました。子どもの権利を守る必要性が、法律として明文化されたのです。しかし子どもの権利を守るとはいっても、家庭においては具体的にどのようなことに気を付ければ良いのでしょうか。中山芳一さんが解説します。
※本稿は中山芳一著『「やってはいけない」子育て 非認知能力を育む6歳からの接し方』(日本能率協会マネジメントセンター)から一部抜粋・編集したものです。
中山芳一(岡山大学教育推進機構 准教授)
専門は教育方法学。1976年岡山県生まれ。大学生のキャリア教育に取り組むとともに、幼児から高校生までの子どもたちが非認知能力やメタ認知能力を向上できるよう尽力している。さらに、社会人対象のリカレント教育、産学官民の諸機関と協働した教育プログラム開発にも多数関与。学童保育現場での実践経験から、「実践ありきの研究」をモットーにしている。
権利をまもるといっても…
子どもの権利を国としてまもることをわが国がはっきりさせたのは1994年です。この年から「子どもの権利条約」をまもるぞ…となったのですが、残念ながら30年もの年月が経とうとしているのに、あまり私たちの中に浸透していません。
そこで、2023年4月からこども家庭庁が発足するのと同時に、「こども基本法」という法律がスタートしました(法律そのものができたのは2022年の6月です)。
そもそも、障害のある方々をまもるための国際条約や女性を差別からまもるための国際条約は、すでに基本法として法律になっているのですが、このこどもの権利に関しては、だいぶ遅れをとってしまっていました。
それが、ここにきてやっと法律になって、「本気で子どもの権利をまもろう!」という方向性になったのです。
これは、学校や学童保育所、幼保こども園の先生だけがまもらなければならないのではなく、大人としてだれもがまもらなければならないものであるということをくれぐれも知っておいてください。
さて、それではこのこども基本法ですが、大きくは4つのことをまもっていこうという法律になっています。
ここが先ほどの子どもの権利条約と重なってくるわけですね。
1つ目は、子どもは命をまもられて成長することができる。
2つ目は、子どもは障害や国籍などで差別されることはない。
3つ目は、子どもは意見表明ができて、いろいろな活動や団体への参加もできる。
4つ目は、子どもにとっての最善の利益が保障されている。
繰り返しになりますが、私たち大人がこれら4つをまもることが法的に求められるようになったわけです。
「子どもの意見に耳を傾ける」とは?
でも、ちょっと待ってくださいね! 子どもの命をまもるとか、子どもを差別しないとか、これらについてはとても明確でわかりやすいのですが、子どもの意見にしっかりと耳を傾けるというのは、どうでしょう?
子どもが「あれをしたい」「これもしたい」「あれやって」「これやって」といろいろなことを私たち(特に親)へ伝えてきたとします。
もちろん、何も伝えられないよりは、伝えてくれた方がよいのですが、その中にはいわゆる「無理難題」だって含まれることは少なくありません
。そんなときに、「あっ、これが子どもの意見表明権だよな」と子どもの無理難題をなんでもかんでも受け入れることが、本当に子どもの意見表明権をまもっていることになるのかというと、それはやはりちがいます。
ここでいう、子どもの意見表明権をまもるというのは、あくまでも親と子どもで「合意をつくる(合意づくりをする)」ということなんです。
この合意づくりというのは、親のほうがマウントをとって一方的に言うことを聞かせるとか、「子どものくせに生意気よ」などと子どもの意見をないがしろにするとか、そういうことをやめましょうと言っているのであって、決して大人が子どもの言いなりになりましょうと言っているわけではありません。
つまり、子どもと大人がお互いに意見を出し合って、どこで納得ができるのか、どこで折り合いをつけていけばよいのかを決めるということです。
親が「やってはいけない」2つのこと
結局のところ決定的に「やってはいけない」ことは、子どもに対する「全否定」と「押し付け」の2つになります。
例えば次のような例がそれに当たります。
【全否定】
子「このお菓子ほしい!」
親「いつもわがままばかり言って! 買いません!」↓
子「このお菓子ほしい!」
親「この前食べてたよね。今日は買ってあげられないけど、今度来るときに買うのはどう?」
【押し付け】
子「もっとゲームしてたいよぉ~!」
親「ゲームは1時間って約束したでしょ? 禁止にするよ!」↓
子「もっとゲームしてたいよぉ~!」
親「ゲームは1時間って約束したよね? あの約束はどうする?」
子「やっぱり1時間は少ないよぉ~!」
親「じゃあ、約束を変えないといけないね。どんな約束にすればいい?」
いかがでしょうか? 「全否定」と「押し付け」を変えてみた一例を紹介してみました。
もちろん、矢印のあとに出てくるようなかかわりを必ずしましょうということではありませんし、状況によっていろいろと変わってくるでしょう。ひょっとしたら、みなさんの中には「こんなお手本みたいなやりとりができたら苦労しない」と思われる方もいらっしゃるかもしれないですね。
そう、お手本みたいなやりとりをすることが大切なのではなく、「全否定」と「押し付け」をやってはいけないということそのものが大切なんです。こども基本法は「ルール」です。
極端ですが、サッカーでゴールキーパー以外の選手が手を使わないのもルールです。このルールを難しいから守れないなんて言ってしまえば、当然サッカーのようなルールのあるスポーツはできません。
本当に極端な例かもしれませんが、あえていってしまうなら、この「やってはいけない」というのは、それぐらい守ってほしいルールなんです。
もちろん言うまでもなく、子どもをたたく、食事をあげない、病院に連れて行かない…などは、絶対にまもらなければならない「最もやってはいけない」子育て(児童虐待)というレベルですが、それよりももっと手前にある全否定や押し付けも、やはり子どもに「やってはいけない」こととして、私たちが肝に銘じておかなければならないルールなんです。
なんだ、たったそれだけのことか!? そんなの当り前じゃないか!? こんなことネットに出てくることじゃないか!!
読者のみなさんからそんな声がいまにも聞こえてきそうです。
そうなんです。当たり前のことを言っているだけなんです。もう少し言ってしまえば、この「全否定」と「押し付け」がNGというのが当たり前だと思えている人は、もうすでに「やってはいけない」子育てを当たり前のようにやっていない方々なのかもしれませんね。
しかし、本当に胸を張って、私はわが子に「全否定」と「押し付け」をせずに、お互いに意見を表明し合って健全に合意をつくっている…と言えそうですか?
ちなみに、いまこうしてこの記事を書いている私自身も、胸を張って言うことはできません。本当に残念ながら、わが子に対して全否定してしまったことも、無理やり自分の意見を押し付けてしまったこともあります。
その原因もはっきりしています。多くの場合、感情的になったときや急いでいて余裕のないときですね…。
先ほど、サッカーのルールを例に出しましたが、ルールはまもるべきものです。そのため、私がついついやってしまったわが子への全否定や押し付けは、そのたびに審判から反則のフエを吹かれているようなものだと思わなければなりません。
そう考えると、結構大変だと思いませんか?
だから、プラスαの子育てをする前に、たったこれだけのことをやらないというのを揚げてみたんです。それぐらいシンプルにしておかないと、「あれもNG、これもNG」で、やってはいけないことだらけだと今度はこっちの身が持ちませんよね。
だから、わが子への「全否定」と「押し付け」だけは、ときどきフエを吹かれちゃうかもしれませんが、常態化してしまって退場や失格にだけはならないようにくれぐれも気を付けましょう。
家庭で起きがちな3つの問題
さらに、注意すべきことがあります。「やってはいけないこと」が当たり前になるのはよいのですが、油断してしまったときに起きてしまいがちなのが、「忖度問題」や「ダブルバインド(二重拘束)問題」と「パターナリズム(父権主義)問題」です。
こちらについても注意喚起のため説明しておきますね。
まず、「忖度問題」は言葉の通りです。
こちらがわが子と合意をつくることに一生懸命注意していても、わが子はどうしても相手が大人(特に親)であることを気にしてしまい、本当はイヤなんだけどイヤと言わずに受け入れてしまう…それをこちらはわが子と合意をつくれたととらえてしまう…という構図です。
子どもも大人も、多くの人たちが経験したことがあるのではないでしょうか。特に、見えない力関係が働いてしまっているときは、とても難しいですよね。
そのため、まったくもって忖度をゼロにできるかどうかはわかりませんが、イヤならイヤと言える経験ができるようにしてあげたいものですし、何よりもわが子が「イヤ」と言えたことを喜べる大人(親)になりたいですよね。
つまり、「イヤ」と言えたわが子をほめられる親になるということでしょうか…。そんな親の反応を見て、「イヤなときにはイヤって言ってもいいんだ」と理解してくれたらしめたものですね!
次に、「ダブルバインド(二重拘束)問題」です。
これも有名な子育ての落とし穴の1つです。ひと昔前の学校の先生で、「そんなに授業中しゃべるなら出ていけ!」と言い放ったかと思えば、実際に生徒が出ていこうとすると「待て! いまは授業中だぞ!」と逆のことを言ってしまう…これもダブルバインドになります。
大人(特に親)たちの発言や態度の中に、こうした矛盾した内容が重なってしまうと、当然のことながら子どもは混乱してしまうわけです。
特に、小学生の3・4年生以降になると、この矛盾に違和感を強く持ち始め、信用できない存在として大人を認識するようになるでしょう。
そういう大人とは合意をつくろうと思えなくなるし、そこから「この人には何言ってもわかってもらえない」というあきらめに近い気持ちによって「忖度問題」へつながることさえあり得るでしょう。
そして、「パターナリズム(父権主義)問題」ですが、これは「いままで誰のおかげで生活できていると思っているんだ」とか「あなたのことをここまで育ててきたのに…」といった言葉を使って、わが子に言うことを聞かせようとしているときによくあらわれるものです。
わが子にNOを言わせないために、その子からしてみればどうにもできない全否定をしてしまっています。これもまた、その子の拒否権を奪い、健全な合意づくりができないようにしているわけです。
この忖度問題も、ダブルバインド問題も、パターナリズム問題も、怖いのは案外こちら側に自覚がないことです。
つまり、私は全否定も押し付けもすることなく、わが子の意見に耳を傾けて健全に合意づくりをしているつもりになっていても、気づかない間に見えない圧をわが子にかけてしまっている場合が少なくありません。
だからこそ、私たちは「やってはいけない」子育てを当たり前のこととしてとらえる一方で、実際の行動としては当たり前ではないのかもしれないという注意も払っておく必要があるでしょう。
「やってはいけない」に注意すべき理由
「やってはいけない」をやらないとどうなるのか?
使い古された話ですが、植物を育てることと人を育てることとを重ね合わせた話をご存知ですか?
植物も人も、まわりの環境から育ててもらうのと同時に、自分自身で育つこともできます。この2つのバランスを見誤ってしまうと、水や栄養を与えすぎてしまった植物は、根腐れを起こしてしまいます。
子育てについても、与えすぎたり、特定の何かをさせすぎたりすると、植物でいうところの根腐れのようなものを起こしてしまうと考えられます。逆に、植物に必要となる水や栄養を与えない、植物が育つ場所へ置いてあげられていない…となると、根腐れどころか植物は枯れ果ててしまうでしょう。
もちろん、枝葉や根っこを無下に傷つけるというのも植物の命にかかわります。
これが、育児放棄(ネグレクト)であったり、体や心や性に対する虐待であったりと重なってくるわけです。
こうした児童虐待によって、子どもの心や人格は深く傷つけられてしまい、脳の中にまでダメージを与えてしまいますので、まさに「最もやってはいけない」ことです。
それでは、ここまでみなさんと確認してきた子どもの権利、特に子どもの意見に耳を傾けて健全に合意づくりができていない場合はどうでしょうか?
先ほどの植物を例にするなら、この「やってはいけない子育てをしないこと」こそが、植物に適度な栄養や水分を与え、植物が育つために適した場所へ置くことではないだろうかと考えています。
そうすることで、植物と同じで、根腐れを起こすことも、枯れ果てることもなく、自分自身で育つ機会を持てるようになり、すくすくと自ら育っていけるのではないでしょうか。
ただし、子どもと植物とでは育つ時間の長さや育つ過程の複雑さなどがまったくもって異なっています。
栄養や水を「適量」といっても、子育てではいったい何をどれぐらいのさじ加減にすればよいのかはわかりにくいですよね。
そのための基準こそが、「やってはいけない」子育て…つまり、子どもの意見に耳を傾け、子どもとの健全な合意づくりを大切にする子育てなのです。
子育ては、本来なら親によってそれぞれのやり方があるのかもしれません。それは、一人ひとりの子どもに適した子育てといっても過言ではないでしょう。
また、先ほどの通り、子どもは周囲から与えられるだけでなく、自ら育つこともできる存在であるため、最終的にこちらが与えてきたものがよかったかどうかという「答え」はわからないままとなってしまいます。
そして何よりも、いったい何をもって、どのタイミングで「答え合わせ」をすればよいのかもわかりません。だから、いままで私の中では、子育ては「正解がないもの」でした。
しかし、いまあえて子育てに「正解がある」とすれば、それは子どもの権利をまもることなのかもしれないと考えるようになりました。
このまもるべきところをまもってさえいれば(やってはいけないことをやらなければ)、その先の答えはわが子に委ねてしまえばいい! そうはいっても、やっぱりわが子の将来が不安だし…というお気持ちもあるかもしれませんが、一人の親として「やってはいけない」子育てをできるだけやらないようにがんばってきたことが十分に「よい親」であり、その上で自ら育っていった子どもは十分に「よい子」であると思ってみませんか?
「プラスα」の子育てをしている親だけが、必ずしも「よい親」というわけではありません。「プラスα」によって得られる「親にとっての安心感」と「わが子が育つこと」とは、決して同じではないのですから…。
関連書籍
「やってはいけない」子育て 非認知能力を育む6歳からの接し方(日本能率協会マネジメントセンター)
「自分のしかり方はこれでいいんだろうか」「子どもにどう接したらいいのだろう」と感じているママ必見! 6歳からの子育てで「本当に大切にしたいこと」とは。本書では「やってはいけないこと=子どもの権利を侵害すること」として、やってはいけないことがどのようなことかを紹介するとともに、なぜそれを避けるだけで子どもの自己認識が変わり、自己肯定感や非認知能力が高まっていくのかを解説します。